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結末のわからないドラマを、紡ぎながら生きている。

人と人ってなんで出会うんだろうって、最近よく考えるんです。

出会うことに意味も理由もないのかもしれないんだけど、それでも何か理由があるんじゃないかって感じてしまうし、そこには何か大きな意味があるって思いたいって、思ってしまう。


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もうずーーっと昔のこと。

人生で初めてのアルバイトをしたときに、そこで出会った人がいるんだけど。

なんかこの人すげータイプだなって直感的に感じて、仲良くなって。好きになって。


隣にいるときは、時間が止まっちゃったんじゃないかって思うくらいの安心と居心地のよさを感じていたんだけど、悲しいかな私が彼の彼女になることはなかったんだよね。

それからお互いに別の彼氏彼女が出来たり、バイトやめて生活の中での接点がなくなって、

彼は結婚して離婚して、その後お互いがお互いの知人とアレコレあって微妙に気まずくなったりして。

それでもいまだに誕生日には「おめでとう」のメッセージが必ず届くし、なぜか徒歩10分ほどの近所に住んでいたり、たまーに思い出したようにご飯食べにいったり、部屋を掃除しに行ったり(バイト代とその日の食事代はしっかり請求する)っていう関係が細ーく長ーく続いてる。


最初恋をしていたときは見えなかった彼の人間性が、時を経るうちにすごい嫌いになったり(彼も私にイライラするだろうし)、

価値観とか幸せ観とか「話の軸」になるようなものがかすりもしないほど合わなすぎて、話していてげっそりしたり、

そういえば大きな仲違いをしたことも何度かあったな。


そんなこんなで色々あったけど、嫌いな人間性(笑)とか絶望的に合わない価値観も含めて、なんだかんだ10年以上縁が続いているんだよな。

好きだった頃みたいなときめきも安心感も居心地のよさも、今となってはもう感じないし、「可愛く思われたい」とかもないし、何よりもう同じ空間にずっと一緒にはいられなくなっちゃったけど。


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運命って、恋愛だけじゃないなって思います。

でも、恋心が呼び水になる(ときもある)のかも。


今日書いたのはひとつの例だけど、好きになった人との関係性の最善の形が「夫婦」とか「恋人同士」ではない場合もたくさんあるのだなと。

人を好きになると、自分がその人の生活や人生の中心(またはそれに近いもの)になれたらいいのにとか、そんな欲求を誰しもが多かれ少なかれ抱くと思うのだけど。

「相手を独占したい」っていう欲求が恋心というものなのかもしれないのだけど、「自分が相手の生活の中心になる」という以外にもいろんなゴールがあることは許容してもいいのかなって思いました。


たくさんの人たちと出会い別れすれ違い、生きてるうちにもう二度と会わない人たちもたくさんいる中で、なぜか縁が続いていく人。長い付き合いになっていく人。

なぜか惹かれ合ってしまう人。付き合いは短くとも多くのことを学ぶ相手。人生を変える出会い。

いろんなカタチのご縁があるけれど。


「なぜか惹かれる」とか「この人はなんか他の人とは違う気がする」というファーストインプレッションでの違和感や、共に過ごすうちに芽生える恋心が、そこからはじまる不可思議な縁のストーリーの予兆となる場合もあって、

そんな自分にとっての〝 特別な誰か 〟との出会いからの道のりを振り返ったときに、人はそれを(どんな形であれ)『運命』と呼んだりするのかな、などということを思ったのでありました。


大切な人や愛しい人、そうでなくとも なんとなくいつもそばにいる人、これまで出会ったいろんな人のことを思い浮かべてみると、つくづく人との出会いってすごいな、この世の素晴らしいシステムだなって思います。

そんなこと考えてたら、今ある縁に改めて感謝したくなった。それから、これからもたらされるまだ見ぬご縁にも。


だって「縁」って、人間界における最高のエンターテイメント。

誰にも結末のわからないドラマを、アナタもワタシも、みんなが創造しながら生きている。

それはこの世に生を受けた私たちが天から授かる、最小で最大のギフトなのかもしれないね。


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