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消費される性。満ちてゆく性。

「若い頃を振り返ると」なんて言葉を堂々と言えるほど成熟した大人になれている自信はあまりないのですが、

それでも今よりも若い頃のことを振り返ってみて、すごく感じることがあるんですよね。


なんか、世間的な風潮とか商業的な価値観でいう「女性の旬」みたいな年代を過ごした頃の私って、本当に「旬のわたし」だったのかなーって。

今になって、甚だ疑問に思うのです。


「旬」と言われるような年代の頃って、何が自分を幸せにするのかさえ知らなかったし、

あらゆる場面で他人と自分を比較しては劣等感とか優越感で一喜一憂してたし、

「認められなきゃ」っていう思いから過緊張で自己犠牲的になっていたし。


なにより女性である自分のカラダのことを、まだまだ全然知らなかった。

それに、女性的な感情の揺れや体調の変化が揶揄されたり迷惑とされるような環境にいたことで、なんとなく自分にいつも自信が持てなかったしさ。


そんな感じで “若い女の子” だった頃の私って、自分のこともよくわかっていないまま、なんかいつも戦ってたなあ、というか意味もわからず戦場に放り出されてた気がするなあって思うんです。

それも、社会とか他人に自ら消費されにいく消耗戦ばかりを、無意識のうちに「させられていた」んじゃないかなって。



なんで無意識のうちに自ら消費されにいっていたのかという話なんですが。

元を辿ると、これは私の中にあった「性への偏見」が原因になっているのだとおもうんです。


私が持っていた偏見とはこうです。

社会や男性は、女性が献身的に自己犠牲をすることを求めていて、そしてそうすることによって私たち女性ははじめて価値を認めてもらえるんだって、そんな思い込みを持っていたんですね。

言葉にするとすんごいキモいですが、本当に信仰レベルでそう信じていたんですよ。やばいよね。

(でも日本の性産業ってなんとなくこんな雰囲気じゃない?)



だから、そう信じ込んでいた “若い女の子” だった頃の私は、

自分の性(=生命力、感受性)を社会や他人に合わせて封じ込めたり切り売りしたりすることで、

他人や社会(=お父さんの幻影)に自ら支配されにいっていたんだなあって思うんですよ。


すべては「認められなければ(女として)価値がない」という性に絡みついた劣等感のために。


私は自分のカラダが女だから、女性の視点からしか気持ちをシェアすることができないのだけど、

性別に関係なく、この「認められなければ(女として/男として)価値がない」という劣等感によって、私たち日本人の性ってすごく傷ついて疲弊していると思うんですよね。


そしてその傷ついて疲弊した性が、新たな「他者の性(=生身のその人自身)へのジャッジや搾取」を生む。

こんなん地獄じゃないですか。


日本全体として、生命力である性を傷つけ合って疲弊している状況なわけだから、国そのものが縮小していくのも現段階では納得するしかない。

経済の発展とさらなる繁栄を求めて国民全体が性(ありのままの自分)を抑圧して頑張ってきたはずなのにね。ヘンな話だよね。



これまで私たちって、商業的な流行だとか広告だとか、はたまた性産業のマーケティングだとかで「性にまつわる価値のジャッジ」を丁寧に丹念に時間をかけて刷り込まれてきています。

そして、他人と自分の「性」の価値の比較を(無意識的に)させられる戦場に、多感な思春期の頃から常に投げ出され続けている。残酷な話です。


そういった広告・マーケティングとか、社会の空気感、組織ごと・地域ごとの常識などなど、誰だか知らん人が知らんうちに決めた正解や理想の「型」に自分も他人も はめ込もうとしてもがき戦っていた時期、

それが私の中では(皮肉なことに)「外側から見たときに一番きらきらしているとされている、旬と呼ばれる年齢」の頃と丸かぶりしていたんですよね。


外側から見たら、もしかしたらきらきらしていたのかもしれない。

でもその裏側で、自分を他人の満足のための道具のように扱ったり、他人を自分の満足のために使ってまで、

誰が作ったかもわからないような「正解」を生きようとしていた頃の私は、本当に「旬のオンナ」だったのかな。


旬どころか、感受性干上がってなかった?

心の内側、乾ききってなかった??

幸せって、優越感のことだと思ってなかった???

完全に、疑いもせずに、社会や他人に自ら消費されに行ってたよね。



自分の「旬」てさ、他人や世間に決められるものではなくて、自分で自分を満たせるようになって初めてやってくるものなのだよな。

誰が決めたかわからないような「女として/男としての価値」で自分を測るのはもうおしまい。

性を消費して傷つけるのはもうおしまい。

広告とか劣等感マーケティングで刷り込まれてきたネガティブな「あなたの価値」を真に受けるのは、もうおしまいにしよう。


これからは、一瞬一瞬を『旬な自分』として生きるんだぜ。




🌸🌸 ここからはお知らせです  🌸🌸


すでにお気づきのかたもいらっしゃるかと思いますが、



Sunao詰め合わせBOXができました
🎊


初めて記事を投稿してから早三年が経ちますが、

これまで書いてきたどのnoteも、有料記事を執筆するのと同等かそれ以上の気持ちで(時に自分でも涙を流しながら)愛を込めて書いてまいりました。


「何年経っても色褪せない文章しか書きたくない」

そんな思いで書いてきた記事たちの中からさらに厳選して『自己統合編』『女性性受容編』『恋力・感性開花編』の三種類におまとめしております。(詳細は下へ)


三種類それぞれのBOXに価格をつけてみたのですが、

これは私自身、無料のものだけを受け取るフェーズにいた頃と、支払いをした上で他者の言葉を受け取る段階にきてからとでは、

自分の成長度合いもセルフイメージも、人生の風向きのようなものも、大きく変容したということを実体験で骨身にしみて感じたためです。


どこか遠いところにいる凄い人でも何者でもない、私というフツーの(なんならコンプレックスだらけの)生身の人間の、

自己受容・自分との和解・女性性の肯定、またフォロワーゼロからの発信活動の軌跡として何か受け取っていただけるものがあれば、これほど嬉しいことはありませぬ。


それではここからは、それぞれのお詰め合わせBOXのご紹介をしていきますね。

ご自身への夏の贈り物に、ピンとくるものをお受け取りいただければと思います。


『自分自身からの永遠の愛を思い出す自己統合BOX【抱擁】』(¥5000)

自分の中の創造主である『内なる自分』を再発見するためのnoteの玉手箱です。

自分を認め受容するために「足すべきもの」など、本来何もないのです。
私たちがすることは、自分自身から絶えず向けられ続けている恋心にただ気づいて、そして迎え入れるだけ。

長い間の自分責めや人との比較などで厚ーく積もってしまっていた「心の埃」を取りのぞき、ぴかぴかに輝く『純なわたし』を一緒に探しにいきましょう🌸🌸



『内なるチカラが溢れ出す女性性受容BOX【潤】』(¥4900)

性の受容&女性性開花特化BOXです。

女性性とは生命力であり、現実を生み出すチカラのこと。

自分の中の性・感受性に絡まりついた罪悪感や被害者意識、怒りやかなしみをリリースして本来の豊かさを取り戻し、人生そのものを〝 泣いちゃうくらいのエクスタシー 〟に、一緒に変容させていきましょう🌸🌸



『運命の出逢いを創造する恋力サポートBOX【凛】』(¥2500)

運命の出逢いとは、自分自身で生み出すもの。

大人になるほどに恋することが難しく感じるようになるけれど、人を想う気持ちは罪でも恥でもありません。

自分自身との相思相愛の先の『運命の他人との純愛』を体験したいかたに捧げる、恋する感性を取り戻す言葉の玉手箱です。

何歳からでも、〝 わたしが主役〟の恋しよう。何歳からでも、モテちゃおう🌸🌸


三年分の記事を最初から全部読んで、自分で共感したり泣いたりしながら丁寧にお作りした玉手箱たち。

どのBOXもいい香りがしそうでくらくらする。

(ここのところ更新が途切れがちだったのはこれを進めていたためでした🐻)


過去記事保管庫のようにもなっていて、これからも時を経るごとに記事を収載してボリュームアップしていく予定ですので、お手にとって愛でていただければ幸いです。

そして、泣きたくなったときや無価値感・孤独を感じたときに開いてもらって、「ああ、ひとりじゃないな」って感じてもらえたら、すごく嬉しいなと思います。


長くなりましたが、本日は以上です。

それではまた。



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