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自分が思いつくものはもう誰かがしてる。だったら、とことん自分の好きなことをしたほうがいい~学びnote①~

「才能には意味がない。もう機械でできる」

才能があるということがマウンティング
 なるんじゃないかと思ってきた。
 才能を誰かに見せつけることも、仕事が
 できることとかも。それって
 他人よりも自分がすごいことを証明する
 こと
で、悪いこととされてなかった。
 (いわゆる才能ハラスメント)
・でも才能は全部もう、
 機械で代わりができる。
・秀でてることが全て機械で代替されるように
 なる。才能があるといっても機械を使った
 方が上手い、早い。

「すごいじゃなくて、これ真似たい」

・だから、「すごい」にはもう意味が
 なくなってきてる。
・インスタとかTikTokとかでも起きてる、
 「これ真似たい」には意味がある。
 「これ真似たい」ことをやってる人って
 何なのかというと、楽しそうにしてる人
・そうなると「愛する技術」とかの方が
 価値を持ってくる。

「自分のやってることに意味なんてないから、やりたいことをやる」

・自分が簡単に死ぬことが分かった。
 死ぬ時ってもうちょっと予感があるかと
 思ってたけど、違った。
・本当に僕のやってることとか
 意味ないなって思った。
 ただただやりたくてやってるだけって
 思えるようになった。
 →俺も第一線から離れて思ったけど、
  俺がいなくても出版界は何も変わらず
  進んでいくし、テレビの中も変わらず。
 →俺がいなくなっても俺の代わりに
  毎日誰かがそれっぽいこと言ってる

・そうだよね。ほんと意味ない。
 →要は、理屈をつけて業界のためとか
  世の中のためとか言ってるけど、
  こんな簡単に死ぬなら何でもないじゃん
  ことだよね。
・そう。だから、僕がしゃべってることに、
 なんか価値がある風にしゃべったりとかは
 全く意味ないなとか思って。
 僕は、僕がやりたくてやってるって
 正直に言った方が良いなって。
他の人がこれ見えてないだろってことを
 話すことに価値があると思ってた。
 需要はあるけど本質的な価値じゃなかった。
・誰かが週1回のYouTube生配信でくだらない
 質問にただ答えるのと、
 「僕が今、世の中はこうなっているんだ」と
 分析することに1mmも差がない。
・すごいことを言う方が、
 自分は他人と違うって
 ちょっと勘違いできるだけ

 →でも、そこまで真理捉えちゃうと
  もうなんもやることなくない?

「だからこそやりたいことがいっぱい。」

・やってることに価値がない。
 だからこそ、もうほんとに僕の好きなことを
 やるっていうだけ。
・僕は新しい才能で新しいコンテンツを
 作る
んだって決めてる。
 ある種、『鬼滅の刃』みたいな現象を
 羨ましいって思う気持ちを失くすために
 地方移住しようって思ってる。
 僕のまわりが100億単位のお金を持って
 ヘリで移動してたりする時に、
 なんで俺はできないんだろうと思うのも
 バカらしいなって思って。
 →ぶれるよね、ほんとに求めてるものから。
・そう。僕が作ろうとしてるコンテンツ、
 僕がやりたいことと
それは全く関係がないから

 別に今も大して左右されてないけど、
 少なからず影響は受けてる。
僕は僕が作りたいものに
 もっと集中しないとダメだ
と思って。

「諸行無常の中で行き着くのは、創造的で
曖昧なもの」
・スポーツでも勉強でも、基本的に学習って
 曖昧な中で模倣にしていくもの。
 少しずつ上達していくと
 絶対的で模倣度が高いものになるの。
 トヨタの車とか。
・絶対が一番いいっていう風になる。
 絶対的なものの象徴がお金。
 誰にでも分かる評価だから、
 みんな稼ぎたがる。
・お金みたいな絶対なものが満たされると
 次は創造に向かう。
 絶対的でありながら創造的でもある。
創造で絶対的なことって感情なんだよね。
 みんなが共感できる感情とか感覚とか。
 例えばご飯が美味しいとか、サウナが
 気持ちいいとか。
 この感覚ってみんな一緒じゃん。
・絶対的なんだけど創造的なもの、
 つまりエンタメの領域だよね。
 ディズニーランドも全部エンタメ。
 『鬼滅の刃』も『ワンピース』とかも。
 この絶対で描かれるエンタメには、
 友情が描かれる。
 友情=正しいとか善なんだよね。
 友達がピンチの時は絶対助けるみたいな。
・でも、『ワンピース』だと
 友達が死んじゃう時はあるけど、
 見捨てることは絶対に起きない。
 この創造と曖昧の端っこがコンセプトに
 あたる

創造で曖昧度が高いものって真ん中は空で、
 そこにコンセプトが入る状態
だと思ってる。
 →答えはまだないけどコンセプトだけはある
・そう。コンセプトがあって、
 その周りはみんなが自由に考えられる
 余白がある
ってこと。
・だから、よくサブカル好きが
 意味分かんないことを言うのって、
 この曖昧なんだけど、
 創造的なところに惹かれるからなんだ。
・人の成長って曖昧な中の模倣から入って
 学習していって、
 絶対的で模倣できるものを得ようとして、
 そこで満たされると
 絶対的なんだけど創造の方に行って、
 最後に創造的で曖昧なものになっていく。
結局は諸行無常で絶対のものなんて
 何もない。誰かが決めただけ
なんだ。
 社会とか、そのタイミングで
 固定されてる絶対的なものだから。
 そこに気付いたら求めなくなる。
 本質的な価値はないって思う。
・あと曖昧な創造の方が豊かなんだよね、
 きっと。幸せっていうかさ。

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あさのはな(2021年2月11日の学び)

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