情緒不安定と向き合おうとしている話

現代の若者は心が弱いといわれているが、私はそう思えない。
今回は少し私の背景と共にお話していきたいと思う。

私は環境に恵まれていた。
昔からの友人もおり、家族も仲がいい。
少し前まで恋人もいたし、遊びや飲みの誘いも多く充実している。
欲しいものは基本買ってもらえたし、受験諸々も大した努力なしに順調であろう日常を過ごしていた。

しかし、その日常に劣等感がある。

なぜそこに私が居るのか。
顔が整っているわけでもないし、大したとりえもない。
努力もできないし、勉強もできない。
今は怠惰な生活を送っている。

昔は相手のことばかり考えて、優しかったと思う。
考え方が変化して言葉にとげがでても、時間にルーズでも、まだみんなは関係を続けてくれている。

いつになったら、どこまでいったら離れていくんだろうか。
魅力のない私となぜつるんでくれているのか。
第一印象だけは良い自信があるから、時間がたてば自然と離れていくと思っていた。

私って何もないんだ、気づいてよ。

この思想が始まりだった。

友人との楽しい時間を過ごした後、家族にお休みを伝えた後、
一人になったら始まる自己反省会。
その時の会話の節々や帰宅後のLINEから思い出す私を気遣う言葉。

あんな対応をしたのに、なんで次のお誘いをしてくれるの?
私から声をかけることなんて滅多にないのに、
つまらない人間なのに、なんで何もない私なの?
もっと素敵な人間がたくさんいるのに、
こんな私が恵まれた環境に居てもいいのだろうか。

私なんかが居て良い場所じゃない。

何もできない自分のことや、こんな私と絡んでくれている周囲の優しさに甘えている現状に嫌気がさして、情緒不安定になっていた。

約10年前から今まで波はあるものの辛い感情が溜まっている。
甘えたくない、依存しないで自分で生きていけるようになりたい。

だから私は変わるために環境を変えようと決めた。
自分が胸を張って生きるために。

今後の仕事の都合を上手く調整して、実家を出ることを決めた。
自然にみんなと合う機会も減っていくだろう。
まだ確定事項ではないし、不安も多い。

それでもみんなの近くに自信を持って居られるようになりたい。
これをきっかけに離れていったとしても、ずっと思い続けてくれるような人がいたらいいなって思っている。

みんな心が弱いんじゃない。

多様性を認める現代で広い世界を知ることができるから、
自分を見つめなおす機会が増えただけ。

個性を認める現代で答えのない問題を解くようになったから、
求めるものが変わっただけ。

私も成長するために一歩踏み出してみようと思う。
きっともう少ししたら心から笑顔で会えるようになるはずだから。

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