平等と公平の境目
私は公平な考え方こそが世の中の人々が抱える凸凹を受け入れ、皆が比較的生きやすい世の中を構成することができると考えています。
公平性の観点では、世界的な潮流として「DEI」という言葉が広がりつつあります。このDEIは、Diversity(多様性), Equity(公平さ), Inclusion(包括性) の頭文字をとったものです。
多様性(Diversity)とは、人種、民族、性別、性自認、性的指向、年齢、宗教、障害の有無などの点で、個人の背景や属性の多様性を尊重することです。
公平さ(Equity)とは、全ての人に同じように公正に接するのではなく、個人の状況やニーズに合わせて、公正に機会を提供することです。
包括性(Inclusion)とは、多様な個人が居心地よく活躍できるよう、職場やコミュニティの環境を整え、全ての人を受け入れることです。
要するに、DEIは多様な人々を尊重し、個人の違いに配慮した公平な機会を提供し、誰もが居心地よく活躍できる包括的な環境を目指す考え方です。平等ではなく公平に焦点を当てている点が特徴的です。
ここで言葉自体の定義を整理してみると、
・平等とは機会や待遇の点で同じに扱うこと
・公平とは状況に応じて適切に配慮すること
という意味があります。
人生を生きる上で、完全な平等は難しく、ある程度の公平さが必要だと考えています。
例えば、病気の人と健康な人を完全に平等に扱うことは困難です。病気の人には配慮が必要で、それが公平といえるでしょう。
また、仕事の配分や評価で、家庭の事情や個人の適性に配慮し、一律の平等を押し付けないことが大切だと考えます。
より具体的に言えば、子育てをしている人とそうでない人の仕事の配分も、平等ではなく公平が求められます。子育ての負担に配慮した上で、適切な業務分担をすることが公平だと考えます。
別の例として、教育現場にも同様のことが言えます。
教育の場には、学習速度の早い子、ゆっくりと時間を要する子、理数が得意な子、文化活動が向いている子等、多様な特性の子どもたちがいます。平等に同じ教育をすれば、本来の能力を発揮できない子どもが生まれてしまいます。
例えば、読み書きが遅れがちな子どもに、他の子と同じ量の宿題を与えるのは公平とは言えません。子ども一人ひとりの特性とペースに合わせ、個別最適な学びを提供することが公平だと言えます。
音楽や美術などの才能も多様。それらの活動への機会を個々に最適化しながら均等に提供することが大切です。
そして教員は、個人差に配慮し、子どもの長所を引き出す教育を心がける必要があります。このように、教育の場では、平等ではなく、一人ひとりの個性と能力に応じた公平な対応が求められます。子どもの可能性を最大限に引き出す教育を実践するためには、多様性への理解と柔軟な支援が不可欠と言えるのではないでしょうか。
以上のように、状況に応じて柔軟に判断し、適切な配慮をすることが公平と言えます。公平を重要視する場合、時には平等でない状況が生まれてしまう場合もあるかもしれませんが、それが最終的な正しさや幸せにつながりやすいと考えます。
人それぞれ状況や文脈は異なり、困難に直面することもあります。
そんなとき、完全な平等を求めるよりも、個々の事情に配慮した公平さを保つことが大切だと思います。この考え方は、家庭、学校、職場など、社会のあらゆる場面で当てはまると思います。
前述したDEIの観点も含めて、公平性に関して考える機会は社会全体で取り組むべき課題であり、実社会ではなかなか公平性を高めるための具体策は出ていない現状ではありますが、各個人が考える要素としても重要と言えるのではないでしょうか。