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つながりの可能性

私は半年に一度ほど地元に帰省します。その時に遠くに住む友人と会ってご飯を食べる機会がとても大切だと考えていて、そこから考えたちょっと当たり前かもしれない「つながり」の大切さについて文章にしてみたいと思います。

まず私は、人は一人では生きていけないと考えています。
それは、人は社会的存在であり、世界中無数に存在している人の一人である為だと考えています。現代社会で利用可能な多くのサービスは人の影響度合い、関与は細分化され、人々の有機的な連鎖と個人の幸せを連携させる事で、充実感が得られると考えています。
人が人として充実した生活を送るためには、「つながり」が何よりも大切だと考えています。

ここでいう「つながり」とは、仕事、家族、プライベートの友人など、人との多様な関係性全般を指します。つまり、「つながり」には上記に示した、もしくは示しきれない多様な関係や形態があるのではないでしょうか。

人は孤立した存在になってしまう事で脆くなると考えていて、多様な考え方を取り込めないことで、一つの考え方に固執しがちだと考えていて、人が人として柔らかくしなやかに生きる為に重要なことだと考えています。

仕事における「つながり」では、単に業務上の協力関係に留まらず、些細な会話も含めたコミュニケーションが重要だと私は考えています。
もちろん生産性や効率性も重要なのですが、同僚とのおしゃべりは決して時間の無駄ではないと考えています。寧ろ、そのような些細な会話こそがチームワークの礎となり、コミュニケーション性を高めると考えています。つまり、仕事仲間とのスムーズな関係がチームワークを通じて、成果につながるのは分かりやすく必要な要素かもしれないと考えています。

家族との「つながり」は、日々の生活を支える基盤ともなり得ると考えています。楽しいことも苦しいことも共有するのが家族の醍醐味であって、毎日の大変なことを家族というチームで乗り越えていく事でタフさが生まれると考えています。もちろん時にはケンカをすることもありますが、それを乗り越えてこそ家族の絆は強まるのかもしれない。

友人関係での「つながり」は、仕事の励みになったり、家族のあり方を相対化したり、新しい知見を得たりと、自分では気づきにくい刺激を与えてくれることが多いのではないでしょうか。
学術的な言葉で言うと、ジョハリの窓で言うところの盲点をセルフフィードバックによって気付き自己認識を広げることが出来るのがポイントとも言えることができないでしょうか。

つまり、友人は人生のスパイスとでも言うべき存在と言う事ができます。友人という存在は、背景が違ければ違うほど、自分の知らない世界を教えてくれると考えています。
趣味は違えど穏やかな時間を過ごせる友人もいれば、仕事や議論好きな競争性の高い友人とは白熱した論戦を楽しめることができる。人それぞれ、友人の選び方は千差万別であり、多様な友人関係が自分を成長させてくれる大きな要因となり得るのではないでしょうか。

ここまでの文章で、「つながり」が人間らしい充実した生活に不可欠な要素と言えると考えています。
「つながり」や人間関係には軋轢も付き物とは思いますが、その摩擦を繰り返すことで人は成長すると私は考えています。その軋轢や摩擦を恐れないことが自己成長の機会と言えます。

最後に、つながりを大切にし、尊重することで、相互の理解が深まり、お互いに良い影響を与え合い、孤独を避け、人生をより豊かなものにできる可能性が開けるのではないでしょうか。

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