見出し画像

もっと普通を疑え!

現代社会では「普通」という言葉が多用されています。しかし、そもそも「普通」とは何を指すのでしょうか?

「普通」の定義は人によって異なり、非常に曖昧で流動的な概念です。
「普通」という言葉を安易に使うことで、無自覚のうちに自分の固定観念が含まれることがあります。

人は経験を重ねることで、物事の処理は効率的になりますが、同時に柔軟性が失われていきます。
特に昔はできたことが今ではできなくなったり、新しいことへの抵抗感が生まれたりするのは、固定観念が強くなった証拠です。

固定観念とは、状況によっては明らかな誤りであっても、その考えを変えようとしない精神的な状態のことをいうと考えます。
固定観念は一度形成されると簡単には変化しません。その理由として、本人が自分自身で考えの偏りを見付けるのは至難の技と言えることが挙げられます。

だからこそ、まずは「普通」とは何かを常に問い直す姿勢が重要だと思います。
自分が当たり前だと思っていることでも、より深く考えれば違った見方ができる場合があるはずです。

仮に「普通」や固定観念に縛られている場合、その凝り固まった考えを壊す必要があります。
その考えを補正する一つの手段としてとして、帰納と演繹があると考えます。

帰納法は、複数の物事や事例から共通点を見つけ、これらを統合して結論を導く方法を言います。
一方で、演繹法は複数の物事や事例を足し合わせ(関連付け)、結論を導く考え方のことを言います。
これらはロジカルシンキングの基礎ではありますが、私はこの時は特に演繹的な捉え方をすることが多く、複数の事実という要素を足し合わせて「理想」を構成し、そこから実態を掴もうとします。

つまりこの時、具体から抽象を取り出し、再度具体に落とし込むという手続きを上記では取っています。

結果、多数派の意見に流されず、自分なりに「理想」を考えると、実態は何を捉えた上での今こことのギャップを把握できる可能性が高まります。
これが固定観念を壊し、柔軟な精神を取り戻す近道と言えます。

現実とのズレを感じたら、是正をためらうことなく行動に移す。それが「もっと普通を疑え」の精神だと思います。
この時の行動は、躊躇うことなく「普通」や固定概念を自分の中で壊しに掛かることを言います。

そして、物事を適度に疑うことで新しい発見が生まれ、世の中の固定観念を少しずつ変えられる可能性があります。

ただ、上記の文章には「適度」という表現を用いましたが、この言葉には曖昧さが含まれており、もし頷いてしまった方がいたとすると、もしかすると「バランス感が取れている状態が正しい」という固定観念にはまっている可能性もあります。

一方で、「過度の疑い」も問題がある可能性もあり、その答えは自分自身で正解の軸を持って捉える必要があるのかもしれません。

私たちは「普通」にとらわれることなく、もっと柔軟な思考を心がけれれば、そして意味を日々考え続けることで本質に近付けられるのではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?