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南方に消ゆ

序章

 孤高の日本画家として有名な猿島一人はいわゆる呪われた天才の一人であった。その生涯にわたって描き続けた絵は、彼があの不幸な事件を起こしその人生を終えるまで世に認められることはなかった。賞の類は彼が美術学校時代にもらった優秀賞だけであり、それ以降彼は賞とも名声とも無縁のままの生涯であった。

 猿島一人は栃木のとある村のかなり豊かな地主の家に生まれた。彼は幼少の頃は病気がちであったが、絵が非常に上手く、暇つぶしに描いた猿の絵は家族や近所の住人を驚嘆させ、文化的な素養のあった両親はこの子は将来偉大な日本画家になると確信し、近所に住む地元の高名な画家に弟子入りさせてみっちり美術教育を叩きこんだ。しかし子供はときたまそんな両親の厳しさに耐えかねて根をあげる事があった。そんな彼を叱咤し励ましていたのが姉の支子である。彼女は弟の絵を見たときから彼の才能を信じ、この病気がちな弟のために全てを捧げるつもりでいた。

 彼はそんな家族たちに見守られながら成長し、上京して美術学校に入った。そして学校を優秀な成績で卒業し、いよいよ画家として活動を始めたのだが、そんな彼を待っていたのは世間の無関心という残酷な現実であった。その頃時代はすでに昭和に入っており、文明開化とそれと同時に入ってきた西洋画の影響もあって、長い歴史を持つ日本画の伝統も技法も忘れられ始めていた。いや、日本画は美術学校で教えられ、その伝統は今も残っているではないかと人は言うかもしれない。しかし日本画という形式は残っても、肝心の技はどうなのか。現代の日本画家は西洋画のように筆で何本も線を重ねてから、絵具を何様にも塗り重ねてようやく絵を完成させる。昔の画匠のように一筆で絵を書き上げる画家などほとんど居ないだろう。勿論彼の生きていた時代にはそのような画家がまだ残ってはいただろう。しかし彼らのような画家は古いものとして排斥され、画壇の隅へと追いやられることになった。猿島一人もまたそのような画家の一人であった。私は彼の南画を見た事がある。梅の木と猿を描いたものであるが、その梅の木を描いた線はたくましく春の息吹を感じさせ、猿は線と点と滲みだけで描かれている。しかし西洋画に追いつけ追い越せと必死に西洋画をとりこまんとしていた当時の美術界にとっては、南画や大和絵など過去の遺産を引き継いだ猿島一人の絵は時代にそぐわない古めかしいものだと思われていた。結局彼は表舞台に出ることはなく、普段は印刷工として働きながら、週末には路上画家として通行人相手に似顔絵や猿の絵を描いたりして塗り口をしのいでいた。そして僅かな時間を見つけてはせっせと絵を描き完成した作品を展覧会に出していた。しかし猿島一人の作品は賞をもらうことも注目されることもなく、人の集まらない壁に飾られ、展覧会が終わるといつも不用品そのままに会場の隅に無造作に置かれるだけだった。

挫折

 そうして年月が過ぎ、美術学校の同期や後輩たちが有名になり、画壇の権力者になっても猿島一人の状況は良くなるどころかかえって悪くなっていた。生来芸術以外では全くの役立たずであった彼は、後先考えずに画家一本で行きたいと印刷工の仕事を辞めてしまった。故郷の両親はすでに亡く、今実家に残っているのは未だに彼の才能を信じ続けて彼にお金を送り続けている姉の支子だけであった。彼女は自分のすべてを弟と彼の芸術に捧げるために結婚もせずにひたすら弟のために家土地を切り崩して金を工面していた。彼女は全く売れない弟の作品を引き取り、そのかわりとして彼の生活費を工面していたのだ。彼女は手紙で弱音を吐く弟に返事を書き、お前の絵が世に受け入れられないのはお前に才能がないのではない。世がお前の偉大さをわからないからだと叱咤激励して慰めた。しかしそんな姉の慰めも今の彼にとっては虚しいだけだった。猿島一人は相変わらず路上画家として道ゆく人相手に猿の絵を売りつけ、たまに気まぐれに肖像画を依頼する客に向けて絵を描きどうにか暮らしていた。そして今度こそと展覧会に応募し続けたが、いつも佳作止まりで入賞出来なかった。そんな時彼はたまたまとある展覧会のパンフレットを目にしそこに懐かしい名前を見つけたのである。
 その展覧会の審査委員長は彼の学生時代の後輩で、かつての後輩が審査委員長を務める展覧会は素人画家でも応募可能な展覧会で、正直にいってあまり格の高くない展覧会であった。彼は応募パンフレットに載っているかつての後輩の、今では画家として大成し展覧会の審査委員長まで務めるようになった、その芸術家らしい風格のある写真を羨望の目で眺めたのだった。この男はいつも自分の絵を見て先輩凄いですね。今こんな絵を描けるのは先輩だけですよとお追徴を並べていたものだった。昔の猿島一人だったらこんな展覧会など徹底的に軽蔑し応募することすら考えなかっただろう。しかし今はそれどころではなかった。もはや人生五十年まであと十年という年齢になり、なりふりなどかまってはいられなくなったのだ。猿島は今度こそ確実に賞を取らなければ自分は二度と画家として浮上できないと焦っていた。彼は今は誰もが認める大画家となった後輩の審美感にかけた。彼ならばその審美感で自分の作品を正当に評価してくれるだろう。いや、くれなくても未だ苦境に喘ぐかつての先輩に深く同情して彼に一票を投ずるかもしれない。彼はそんな自らの卑しさも剥き出しにした希望を込めて、展覧会に確実に入賞し、世間から注目されるであろう作品を一晩中考えて選んだのだ。彼は自らをゴッホやゴーギャンの境遇に重ね、彼らのように自分もいずれ皆に認められるはずと意気揚々と一枚の絵を選んだ。その絵は写生に言った時に見つけた郊外のうらぶれた農家を描いたものだった。その絵は寂しくもあり、同時に懐かしくもあるような感じのする絵である。背景の金箔の空に黒ずんだ焦げ茶色の農家が浮き出ていて、その農家の隣には同じく焦げ茶色で描かれた枯れた柿の木が描かれている。その枯れた柿の木に一つだけ実っている柿は異様に瑞々しく描かれている。そしてその柿を食べようとしているのは一筆の筆で描かれた猿である。この絵から画題を読めば瑞々しく実る柿は作者自身でありその作者の分身の芸術である。そしてその柿を食べようとしている猿は作者の芸術を理解しない俗衆である。作者は審査員たちがこの画題に気づいてくれることを願った。日本画の宝である猿島一人が、今誰にも気づかれずに猿のような俗衆によって食べられ芯だけになって捨てられようとしているのだと、この絵で強いメッセージを送ったのである。彼は絵を風呂敷で包むと、意気揚々と会場に絵を持っていった。そして展覧会の会場の受付を済ませると、彼は結果発表の日まで今か今かと毎晩眠れずに結果を待った。
 しかしその結果は彼の希望を粉々に破壊するものであった。彼の作品は相変わらず佳作止まりであり、奨励賞さえ与えられなかった。大賞を取ったのは有名な成金で、趣味で絵を描いている男であり、優秀賞も同じような成金がとっていた。猿島一人は体を震わせながらこの結果を読み、せめて美術学校時代の後輩である審査委員長が自分の作品に何かしら触れていないかと一分の望みをかけて選評を読んだ。しかし選評には彼の名など全く言及されておらず、そのかわりに書かれていたのは今回の展覧会は非常にレベルが高く優秀作品を選ぶのに苦労したという当たり障りのない雑感と、大賞を取った成金に対する下手くそなお追徴だった。多分この連中は審査員たちのパトロンなのだろう。彼らにいつも支援してくれているお礼として賞をくれてやったにちがいない。この彼のかつての後輩を含めた審査員たちは、かつて天才と褒めそやしていた猿島一人の芸術よりも、そして苦境にあえぐかつての先輩への同情よりも、自らの名誉と金のほうがよほど大事だったのだ。

姉の死

 猿島一人は画壇の全てに絶望し、彼の生活は一気に荒んだものになってしまった。猿島は絵を描くのをやめ、姉からの送金を全て酒代に使ってしまった。彼は絵を描く事を半ば放棄し無為の日々を過ごした。当時日本は真珠湾を奇襲攻撃しその一瞬の成功に国内中浮かれていたが、猿島はそんな世情とは裏腹に昼間から酒を飲み、ときたま道端でこう喚いて道ゆく人を驚かせていた。
「降れ降れ爆弾よ!こんな下らん世界など燃やしてしまえ!」
 猿島の破滅願望からでたやけくそな言葉の通り、その後の日本の戦況は日を経るごとに悪化していった。アメリカの参戦後、南方戦線はあっというまに後退し、アメリカ空軍による本土爆撃が頻繁に行われるようになった。そんな状況の中、猿島一人は絵を描く事をすっかり放棄し、近所の住人にたかって防空壕にまで酒を持ち込んで飲みながら暮らした。あれほど爆弾よ降れ降れと喚いていた彼だったが、実際に爆弾が降るとなると警報がなると真っ先に防空壕に逃げてしまうのであった。

 そして戦争が終わっても猿島の自堕落な生活は変わらず、毎日昼間から彼はなけなしの金を使って飲み歩いていた。そんなある日のことだった。
 いつものように酒をかっくらって家の玄関に着いた猿島一人は、郵便受けに白い封筒が挟まっているのを見た。それを見た瞬間彼はなにか悪い予感を感じ郵便受けに駆け寄って手紙を取り出した。予感は当たっていた。手紙は今の猿島にとってただひとりの家族であり、彼の才能を信じ続けていた姉の支子の訃報を知らせるものであった。手紙によると姉は戦争が激化する中、病に倒れ長い闘病生活を送っていたそうだ。そして彼女は弟に心配をかけぬようにと、身の回りの世話をしてくれたものに自分の病気のことは弟には黙っていろと口止めしていたらしいのだ。猿島はその手紙を読むなり、その場にへたり込み激しく泣き崩れた。何ということだろう自分が絵を見捨て放蕩三昧の生活を送っている中、姉は死に至るまでひたすら自分を信じ続けていたのだ。彼は荷物をまとめるとすぐさま故郷へと向かった。
 実家に帰ると姉はすでに荼毘に付され、設えられた仏壇には生前の姉の笑顔が写っている写真が置かれていた。その仏壇のある部屋、いやこの家中に猿島一人が姉のために送っていた絵が所狭しと飾られ、一種の個人美術館のようになっていた。それを見た猿島一人は幼い頃から自分の画業を支えてくれた姉のその姿を思い出しまた泣き崩れた。何ということだろう姉はここまで彼を信じ支えてくれたのに、自分ときたらそんな姉の期待を裏切っていたなんて。彼は姉の仏壇の前に座るなり一心に手を合わせ遺影の姉に向かってひたすら謝った。だがその部屋を眺めた親族の誰かが仏壇の前で姉に手を合わせている猿島一人に向かって聞こえよがしにこうつぶやいたのだ。
「おばさんもかわいそうに……。死ぬまで結婚もしないでこんなゴミばかりせっせと集めて……」
 しかし今の猿島一人はそんな親戚の嫌味を涙を飲んで聞くしかなかった。たしかに世から見ればろくに売れもしない彼の絵などゴミ同然であった。そうなのだ。姉は自分のために自らの人生を犠牲にしてこうして息絶えてしまったのだ。そんな中いつまでも仏壇に手を合わせている猿島一人に向かって親族のひとりが声をかけた。彼に来客があるということだった。彼は自分なんかに誰がようなのだろう、ここには親族以外少年時代の友人しか交流はないはずと訝しみながら玄関に向かった。玄関には白髪交じりの見知らぬ老人が立っていて、猿島一人を見るなり今回はご愁傷さまと挨拶をしてきて自己紹介してきた。

見知らぬ弔問客

「私は岡田邦夫と申しまして、千葉のほうで病院を経営しているものです。亡くなられたあなたのお姉さまとは亡くなる少し前から交流がありまして……。というよりお姉さまとはあなたが描かれた絵をきっかけに知り合ったのです」
 それを聞いた猿島一人はこの思わぬ来訪客に恐縮してお礼を言うと、さあどうぞと客を家に上げて姉の仏壇まで案内をした。そしてその場にいた親族の連中に席を外してもらうように言った。親族の者たちがブツクサ言ってその場から去った。それから客は彼にいざなわれて仏壇の姉に向かって手を合わせると、目の前の彼に向かって再び話しかけてきた。
「お姉さまによると、あの方はあなたの絵を、旅館や公民館などに貸し出していたそうなんです。私はたまたまここの近くの旅館に泊まったのですが、そこで私はあなたの絵を見たのです。私は旅館のホールに飾られていたあなたの絵を見た瞬間思わず目を止めました。そして旅館の主人に聞いたのです。この絵は誰の作品かと、失礼ながら私は日本画にはさほど詳しくない。知っていたとしても横山大観や川合玉堂などの有名な画家ぐらいです。だから私はこの絵の画家がどんな有名な画家なのだろうかと思って主人に聞いたのですが、主人は驚いた顔をして、これは近所の女性の弟が書いた絵だと言うではありませんか、しかも無償で借りているものだと言う事でした。主人はこうも言っていました。お姉さまが絵をわざわざ持ってきて飾ってくれと頼んできたとき断ろうとしたそうです。しかしお姉さんの弟を想う熱意に押されて絵を飾ることにしたそうです。私は旅館に飾られていたあなたの絵に一瞬にして囚われてしまったのです。美術趣味のろくにない私ですが、本物と偽物の区別ぐらいわかります。私あなたの絵は紛れもない本物だと確信し、すぐさまこの絵の持ち主であるあなたのお姉さまの場所を教えてもらったのです。旅館の主人にお姉さまの居場所を教えてもらい、お姉さまに会ってあなたの絵を見た感動を伝えると、お姉さまは感激して私に言いました。自分の愛する弟の絵を認めてくれる人をやっと見つけたと。そして彼女はこの屋敷中に飾れられているあなたの絵を残らず見せてくれたのです。幼少の頃にあなたが描かれた大量の猿の絵。それは無邪気にウキー!と泣き出しそうなものでした。そしてきらめくような画想に満ちた植物画や動物画など。私はそれら屋敷中に飾られた絵を見ているだけで興奮が抑えられなくなりました。なぜこのような素晴らしい絵を描く画家が世から黙殺されなければいけないのかと義憤にさえ駆られました。私は興奮のあまりその場でお姉さまに絵の一つを譲ってもらえぬかとお願いしてしまったのです。私も病院を経営しているのでそれなりの蓄えはあるのでいくらかは、多少値が張っても出せる限りは出して譲ってもらうつもりでした。しかしそれを聞いたお姉さまは、私の申し出に感激してくれたものの、まだ弟は世間に画家として認められていない、そんな半人前の画家の作品など売ることはできない、いずれ弟が世間に画家として認められた時、あなたに弟の絵をお譲りしましょう。と言って私の申し出をあくまで固辞したのです。なんというかたくなな態度であったか、彼女はどこまでも、亡くなるその時まであなたの成功を信じていたのです。彼女がもう少し長生きして、彼女が生きている間にあなたとこうして出会えたなら、私があなたを支援させてもらってよいか彼女とそしてあなたに相談するつもりでした。しかし彼女は急にこんなことに……!」
 そう岡田氏は言葉を断ち切ると、声を上げて泣き出した。猿島一人も同じく声をあげて泣き出した。そして彼の知らぬところで彼のために尽くしてくれた姉に対して自らの不徳を深く謝罪した。ああ!己が呪わしい!姉がこんなにも自分のために動いている間、自分はいったい何をやっていたというのか!あの展覧会の落選以降自分は絵などすっかり忘れ、姉の送金で飲み歩いていたのだ。姉が旅館や公民館に絵を展示してくれと頭を下げている間、自分は電柱に上って猿のように顔を赤らめてウキー!と喚いていただけだった。猿島一人は悲しみに耐え切れずとうとうその場にへたり込んでしまった。その彼に向って岡田氏が再び声をかけてきた。
「あの……こんな時にこんなことを言うのはあまりにも場違いだと思われますが、やはり言わずにはいられません。お姉さまには断られましたが、再度、今度は絵の作者であるあなたにお願いがあります。私はあなたの絵を購入したいのです。これは投資でもなく、気まぐれでもなく、私はあなたの絵を心から愛しているのです。そしてこれからもあなたが絵を描き続けていけるためにもあなたの絵を購入し続けます。あなたが絵を描き続けられるだけのお金ならいくらでも用意できます!」
 この突然の、いや、あまりにも宿命的な申し出を受けるのに迷いはなかった。確かに自分が画家として世間に認められるまでは決してみだりに絵の知識もないような見知らぬ他人に絵は売らぬと岡田氏の申し出を固辞した姉の気持ちもわかる。しかし猿島一人はこうして自分の絵を評価してくれ、それを購入しようとまで言ってくれた。それどころか彼の生活まで見てくれるのだ。猿島一人はこの岡田氏の申し出を受け入れ、岡田氏と明後日にまた相談しようと約束してその日は別れた。

芸術の楽園

 その二日後に岡田氏は自ら運転する車とトラックを連れてやった来た。一昨日に絵は岡田氏の好きに選んでよろしいと約束したのだ。岡田氏は一礼して玄関に入るとまずは姉の仏壇に線香をあげ、あなたとの約束を破ってすまんと謝った。それから猿島一人に案内されて彼の絵を見て回った。岡田氏が気に入った絵を選ぶたびに彼は自分の自信作が手元から離れていくのを感じて寂しいものを感じた。それにしても岡田氏の絵を見る目は非常に確かであった。確かに美術に対して詳しいとも言えない氏であったが、その美に関する感覚は玄人はだしであった。ふと気づくといつの間に彼の自信作は岡田氏のトラックに丁寧に梱包されて積まれていた。そして彼の手元の小切手には彼が今まで見たこともないような金額が書かれていた。これだったらしばらくは何もせずとも暮らしていけるだろう。猿島一人が小切手を見ながらそう思いを馳せていると横から岡田氏が喋りかけてきた。彼はよかったら一緒に自分の家に行かないかと言っていた。猿島一人はまるで人にもらわれてゆく飼い犬のように作品の行く先が心配になってきたので岡田氏の誘いを受け入れた。岡田氏自ら運転する車の後部座席に座りながら猿島一人は、買われて新しい持ち主のところに連れていかれる絵のことがまるで新しい飼い主に貰われていくペットのように心配になり、自分の絵をちゃんと大事にしてくれるだろうか、岡田氏の家族に自分の作品がひどい目にあわされないだろうかと、揺れる車の中でそんなことばかり考えていた。そして夕方になり日が暮れかけたころようやく岡田氏の家に着いたのである。
 岡田氏の屋敷は猿島一人の実家の倍の広さだった。岡田氏によると岡田家は猿島家と同じく元々は地主の出身で、江戸時代からこの一帯の土地を所有していたそうである。その屋敷の少し離れた場所に彼の経営する病院があり、屋敷と病院の間の土地に小さな公民館のような真新しい建物が建っていた。「あそこの建物にあなたの絵を飾ろうと思っているんですよ」と岡田氏はその建物を指差して言った。そう言われてその建物を見た猿島一人はこれは夢なのかもしれぬと、目をきつく閉じたり開いたりして自分がまぎれもなく現実の世界にいることを何度も確認した。岡田氏は建物の前で車を止めると猿島一人に対して降りるよう促した。そして彼に対して少しここで待つように言い、車庫に車を止めに行った。
 やがて岡田氏がやってきて建物の門のカギを開けた。そしてすぐに玄関につき岡田氏が錠をもって玄関の戸を開けた。開けた途端にヒノキの鋭いにおいが漂ってきた。やはり真新しい建物であった。「この建物は私が引退した後のために道楽のために建てたんですよ」と氏は上機嫌に語っていた。岡田氏は先導して建物の中を案内しながら時々立ち止まり、猿島一人に向って絵の飾り場所の相談をした。猿島一人にとってこの建物は彼の絵の展示場所として大満足であった。この和洋折衷の建物は淡い光があたりを照らし晴れた日などは照明などなくても絵を鑑賞できる。しかししれよりも彼は、誰にも見向きもされなかった自分の絵がこうしてこのような素晴らしい場所に展示されることに感激し震えが止まらなかった。そして彼は実際に自分の絵が飾られている場面を想像して室内を見渡すと、そこに小さな絵葉書のようなものを見つけた。見慣れぬ風景の絵だった。猿島一人は絵葉書をもっと間近で見ようと近づいた。見るとそれは着色写真だった。おそらく南国の風景であろう。写真の中心には異様な形をした大きな木の実がたわわに実っており、その周りには見たこともないような葉が茂っている。その下には猿が映っており、おそらく猿はこの実を食べようとしているのだ。猿島一人が写真の前で立ち尽くしていると、横から岡田氏が話しかけてきた。
「この写真は息子が戦争中南方にやられたときに送ってくれたものです。珍しいものがあるっしょっちゅう手紙に書いてくれたもんですよ」
 写真を食いつくように見ながら猿島一人は岡田氏に尋ねた。
「これはどこの風景なのですか?外国ですか?」
「日本です。日本の南方にある猿ヶ島というところです。ほら平家物語で有名でしょう。平清盛に謀反を起こした俊寛って坊さんが島流しにあったとこ。あそこです。これは有名な伝説ですが、俊寛坊さんは早く都に帰りたいって島の浜辺にずっと立っていたそうですが、清盛が亡くなったので罪を許されて、彼を迎えに都から役人がやってきたのですが、なんとその俊寛坊主はいつのまにか猿になっていたのです。まあうちの息子は死にもせず、猿にもならず無事に帰ってきて、来年私の後を継いで病院の医院長になることになりました。まあ生意気な息子で芸術の理解など全くないから、私の趣味にいちいちケチをつけるんですな。まったくどこまでも母親似の子供です。少しは私の血を受け継いでくれたらよかったのに!」
 猿島一人は岡田氏の話など上の空だった。彼は目の前の写真の風景のことしか考えていなかった。彼は写真を見た瞬間、眼だけでなく体のすべてが開かれたような気がした。彼は写真を見て悟ったのだ。ここだったら自分の理想の絵が描けると。自分が不毛な都会で惨めに暮らしながら夢見た絵はこの写真の土地にあると。彼はひとりごとのようにつぶやいた。
「私はここに行きたい……」
「今なんとおっしゃいましたか?」
 彼は岡田氏の問いにハッキリとこう答えた。
「岡田さん、私は猿ヶ島に移住しようと思います。ここにこそ私の描くべき絵があるのです!長い画家人生の中で私はひたすらこの風景を求めてきたような気がするのです!」
「それは残念だ。私はあなたにこの建物の一部をアトリエとして使ってもらいたかったのに。しかし芸術家のあなたがそう決めたのなら仕方がない。私はあなたの決断を受け入れます。移住ともなればその小切手の金額では足りなくなるかもしれない。しかしご安心ください。あなたが絵を送ってくだされば私はいつでもお金をあなたに送るつもです」

猿ヶ島

 猿ヶ島への移住は驚くほど速やかに行われた。猿島一人は東京のボロアパートを引き払い、姉がいなくなった実家の屋敷から、幼い頃から成人するまで彼が書いた落書きや、姉の自分への手紙など必要なものだけを持ち出すと、二度とここに戻るまいと、屋敷を業突張りの親族に二束三文で売り払ってしまった。そして岡田氏ひとりに見守られながら彼は船で猿ヶ島へと旅立って行ったのである。
 猿ヶ島は着色写真で見たよりも遥かに強烈な色彩で猿島一人を出迎えた。見るものすべてが絵の題材であった。本土では見られぬ原色の服を着た人々、同じように原色の色彩を持つ花、そして島中を覆い尽くす、濃い緑の葉とあの写真で強烈に自己主張していたあのトゲトゲの大きな実がある。彼は島の中を歩きまわり、島の住民に怪訝な目で見られるのも構わず、それらを注意深く眺めたのであった。やがて猿島一人がこの島で住むことになった古い一軒家の大家がやってきて彼を家まで案内した。彼は相変わらず島の集落をキョロキョロと見回しながら、案内人に「そこら中に実っているトゲトゲのあの実はなんだ」と聞き、大家からアダンの実だと教えられるとアダンの実というのかと何度も繰り返した。そして道中何度も「この島は素晴らしい」と感嘆まじりに何度もつぶやいた。大家はは本土からやってきた人間が物珍しさから必ず言うこの言葉を笑みを浮かべながら聞いていた。やがて家につき大家が玄関を開けた瞬間、強烈な湿気が猿島一人を襲った。彼は本土と明らかに違うこの島の風土をこの湿気から垣間見たような気がした。「ここは日光と台風とジャングルに覆われた土地でね。山ン中には猿がうようよいてウキー!とか夜中中泣いてますわ」と大家は言った。しかしここが彼の住むところなのだ。おそらく一生自分はここで暮らすのだろう。そしてここで自分は誰も書いたことのない絵を書き始めるのだ。もはや還暦に差し掛かろうとしていた男の再出発であった。
 彼は猿ヶ島で暮らし始めるとしばらく絵を放棄していたのが嘘のように絵を次から次へと書き出した。この島は彼のインスピレーションの宝庫であった。彼はこの時代表作『アダンの実と海辺の猿』を描いている。アダンの実を持った猿が日が落ちようとしている海辺を眺めている絵である。これは実際に猿がアダンの実を持って海辺に立っていたのを猿島一人が見つけて写生して、作品にまで仕上げたのだ。猿島一人が書いた傑作はこれだけではない。おびただしい傑作がこの時期に集中して描かれたのであった。彼が確信していたようにやはりこの島は彼の芸術にとって理想の地であった。彼は傑作を次から次へと書き、それを千葉の岡田氏に贈り続けた。そして岡田氏からは自分の絵への賛嘆と、いたわりの言葉と、彼の生活費が返ってきたのである。

不幸の手紙

 しかしそんな幸福な生活は長くは続かなかった。猿島一人は猿ヶ島で暮らし始めてから三年間毎日絵を描き続けて、そして完成した作品を岡田氏に贈り続けていたが、ある日を境に岡田氏からの手紙と送金がぱったり来なくなってしまったのだ。島への移住費用と絵の具代で彼の蓄えは尽き、岡田氏からの送金でしか生活できなくなってしまった彼は途方に暮れ、恥を忍んで岡田氏に送金の催促の手紙を送ったのだ。もしかしたら何かの事故で絵が届いていないのかもしれない。こんな時代である。戦争が終わったばかりだと言うのに、今度は隣でまた戦争が始まったのだ。本土との交通だって途絶えてしまったかもしれない。不安に駆られた彼は岡田氏から返事が届くまで何度も、最期には『お願いします!あなたからの仕送りがなければ私は絵すら書けず家を叩き出されてしまいます!』と恥も外聞もなくひたすら内情をぶちまけてお金の催促をしたのである。そうしてしばらく経ったある日のことだった。岡田氏からやっと手紙が来た。手紙を見た途端、猿島一人は自分の書いた文章を思い出し、思わず恥ずかしくなった。あんな恥さらしな手紙は一刻も早く燃やしてしまいたいものだと思った。しかし手紙を開けて読み始めた途端彼はその内容を読んで頭が真っ白になり、その場に立ち尽くしたのであった。
 手紙にはこう書いてあった。岡田氏は一ヶ月前突然心臓発作で亡くなったこと。そしてそれを知らせる息子らしき人物の手紙にはこう書かれてあった。
『父はあなたの絵を高額な値段で買っていたらしいが、父がなくなった今あなたにお金を渡すことなどできない。私は晩年の父の気まぐれを何度もやめされようとした、あなたのようなインチキ画家にだまされるなと何度も言った。しかし父は決して私達家族の言うことを聞きはしなかった。あなたのために掘っ立て小屋までたてて、あなたのまともな人間なら見向きもしないポンチ絵をひたすら愛でていたのだ。だが父がなくなった今、あなたとの付き合いはもう終わりだ。あなたがそのポンチ絵で父からだまし取っていた金はいまさら取り返そうとは思わない。だが、あなたが家賃が払えないと泣きわめこうがこれからは金など一切払わない。もちろんそのポンチ絵など送ってくれなくても結構だ。あなたが父に押し付けたポンチ絵は今すぐにでも送りつけてやる。おそらく一ヶ月あとぐらいにはすべて返せるだろう。正直にいって父をあんなにも狂わせたあなたのポンチ絵など我々家族は二度と見たくもないのだ』
 猿島一人は暗澹たる思いで手紙を閉じた。手紙の中に書かれた岡田氏の息子の罵倒に怒りすらわかなかった。彼がやっと手に入れた理想の芸術の楽園はあまりにも惨めに崩壊した。最大の理解者であり庇護者であった人間をあっという間に失い、代わりに彼の前に現れたのは彼の芸術に対してあまりにも無理解な現実というものであった。猿島一人は彼の元から去ってしまった理解者達を思ってその場に泣き崩れた。幼い頃から自分を励まし、支えてくれた姉の支子。その彼女が最期に結びつけてくれた医者で芸術愛好家の岡田氏。ああ!どうして彼らのような人間が去ってしまうのか。いったいこれから自分は誰に向かって絵を描き続ければいいのだろうか。岡田氏の息子のような芸術に無理解な人間に向かってか。それとも未来にいるかもしれない芸術の理解者に向けてか。今の猿島一人の生きる世界には彼の芸術を理解できるものはおらず、彼らの前に絵を掲げても石を投げられるだけだろう。このままこれまで何度かおぼろげに見てきた未来への儚い希望をいだきながら自分は絵を描き続けていくのだろうか。しかし今の彼はそんな未来への希望を抱くにはあまりにも年を取りすぎた。今、自分の画をひたすら描き続けた日々を振り返り、本当に自分は画家としての才能があったのか疑わしくなってしまった。

人生の終わり

 それから一ヶ月たち、手紙に書いてた通り岡田氏の息子は彼が送った大量の絵を返してきた。トラックに大量に載せられた絵は彼の借家の前に止まり、運転手が荷台から絵を放り投げていった。しかし猿島一人はその絵の山を、ただのゴミの山を眺めるかのように無表情で眺めるだけであった。そうしてしばらく家の前に佇んでいると大家が家賃の催促にやってきた。大家は来るなり「いい加減に家賃払ってくれないと出ていってもらいますよ」と言ってきたのだが、その時この絵の山を見たのだった。「なんだいこりゃ!」と言いながら大家は絵の山を漁っていたのだが、彼はこの猿島一人がこの島の風物を描いた絵を興味深く眺めたのだった。「こりゃ、お土産にピッタリだ」と大家は言った。大家は絵をいくつか持つとニコニコして猿島一人に訪ねたのだった。「これ、何枚かいただけないか?これを土産屋に売りつけてやるんだ。いい絵だぜこれは。観光客に高く売れそうだ!」猿島無言でうなずいた。もはや絵などどうでもよかったのだ。
 結局大家が絵のいくつかを土産屋や旅館に売って家賃分を建て替えてくれたので猿島一人はしばらくそのまま家に住むことはできた。そして大家は土産用に彼にさらに絵を描くようせがんだ。猿島一人は大家から支給された子供用の安い絵の具で、特に思い入れもなく大家の注文通りの絵を描いたが、芸術などはなからわからぬ大家はそんなことは気にせず無邪気に喜んで受け取った。彼は毎日夜中まで家賃のためにひたすらどうでもいい、岡田氏の息子の言うポンチ絵を描き続けたが、ある夜、いつものように絵を描いていた猿島一人は猿が海辺に向かってウキー!となく声を聞いたのだった。彼にはそれは遠く離れた誰かを想う切なく悲しい叫びに聞こえた。猿島一人は立ち上がると玄関を開けて戸を閉めずそのまま海へと歩きだした。この島は夜でもまだ暑かった。暑く湿った風が彼の浴衣に巻き付いてくる。彼は猿が泣き続ける方を目指して歩いた。指を傷だらけにしながら木を掻き分け彼はとうとう猿を見つけた。
 猿は砂浜でアダンの実を抱いていた。そして夜の海に向かって何度も叫んでいた。猿島一人はその猿を見て、今の自分に重ねた。あの猿も一人この島に取り残されてしまったのだろう。彼は自分から去ってしまった仲間を思って泣いているのだろう。もしかしたらあの猿は昔岡田氏が言っていた坊さんなのかもしれない。だとしたらあの猿は島流しにあった時からずっとこうしてウキー!と泣きながら都に帰りたがっているのだろうか。
 いつの間にか夜は白み、日が海面に浮かんでいた。猿島一人はいつの間にか木の下で眠っていたようだ。海辺を見るといつの間にか猿は消え、辺りには誰もいなかった。ふと顔を上げると真上にアダンの実がなっていた。猿島一人は木に登って手を傷だらけにしながらアダンの実をもぎ取ると、その実を抱えて砂浜に向かった。日の出の光が目に入ってきた。彼はあまりの眩しさに体が光に包まれたような感覚を覚えた。猿島一人はそのままアダンの実を持ったまま海に入り、そして中に消えた。

猿島一人

 名声とは気まぐれなもので、妙なきっかけで訪れるものである。猿島一人が海に消えたということは島の中でも話題にはなったが、この島ではありふれたことであったのですぐに忘れられた。しかし時は過ぎ、観光地としてこの猿ヶ島が人気になると、島のそこら中にある絵が観光客の間で人気になった。その絵は観光客向けの土産物にしては緻密な絵であり、独特の色彩感覚を持った絵なのでそのうちに観光客だけでなく美術愛好家の間でも話題になったのだ。そしてこの絵を描いた作者を探したのだが、作者はすでに亡く、四半世紀も前に海に消えて亡くなったとのことだった。それから猿島一人の名前は急速に皆に知られるようになった。彼が傑作をいくつも残しながら賞に恵まれずずっと無名の画家であったこと。そして自分の芸術のために南の島に移住してその地で不幸な事故によりその生涯を終えたこと。そして彼を支え続けた姉の支子の献身。そして彼の唯一のパトロンであった岡田氏のことなどが世間の周知のこととなった。あれほど手紙で猿島一人を罵った岡田氏の息子などは頻繁にテレビに登場し、父と僕だけが世間から全く評価されなかったあの人をずっと支えていたんですと、彼の経営する病院の医院長室で猿島一人の元に送り返したはずの作品を壁に飾って涙ながらに語っていた。
 そして今日はテレビ局のレポーターとカメラマンはこの猿ヶ島で猿島一人の取材をしていた。猿島一人が最期に住んでいた狭い借家は、今や猿島一人記念館となっていた。道案内をするのは猿島一人の借家の大家の息子であり、今ではこの猿島一人記念館の館長になっている男だ。彼は道すがら猿島一人が父のために喜んで絵を描いてくれたと自慢気に話していた。その時彼がレポーターに妙なことを言ったのだ。
「あのですね。ここには幽霊じゃなくて猿が出るんですよ。ウキー!とかよく泣いてこの家に勝手に入り込んでくるんですよそれがすごい奇妙で……」
 と館長が言った瞬間、記念館の方からウキー!と猿の鳴き声が響いた。ああ!まさかと館長は記念館の方に向かって走り出した。そして記念館の戸を開けると、そこに一匹の猿が筆を持って、猿島一人がその晩年に気乗りもせずに描いた土産物のポンチ絵に落書きをしているではないか!それを見た館長は猿に向かってこう怒鳴りつけた。
「なんてことすんだこの猿!いつもいつも人の絵に落書きしやがって!それは猿島一人がうちのオヤジのために精魂込めて描いてくれた絵なんだぞ!それを……それをお前は!今度こそ殺してやる!この猿め!」
 そして館長は猿に向かって飛びかかった。しかしこの皺だらけの白髪で覆われた猿でも獣は獣である。老人の館長では太刀打ちできるわけではない。猿は館長をボコボコにするとポンチ絵に向かって次から次へと落書きしていったのである。ウキー!と叫びながら猿は大きな実のようなものを次々と描いていった。そして落書きしたあとで満足したようにそれを眺め始めるのだ。テレビ局のカメラはその一部始終を捉えていた。そして倒れてもんどり打っている館長を置いて猿を追った。
 猿は自分の落書きに見飽きたのか、筆を放り投げると猿島一人記念館から逃げ出して海へと走っていった。そして猿は砂浜に立ち、走る途中に木からもぎ取ったアダンの実を抱きしめながらウキー!と海に向かって叫んだ。やまびこすら帰ってこない海に向かって、この老いた猿は声を張り上げてもう一度叫んだ。猿は誰に向かって叫んでいるのだろうか。あの有名な坊さんのように彼もまた元は人間であり、画家であったかもしれない。ウキー!と海に向かって叫んだところで、夕日が落ちようとしている海からは返事は返ってこない。白髪の猿は抱えていたアダンの実と自分の手のひらについた筆の塗料を見比べていた。もうすぐ日は落ち、やがて夜になるだろう。そしてこの色彩に満ちた島はひとときの闇に覆われる。海岸に一匹佇む猿はただ一匹、光が消えるその時までずっとその場に立って海を見ていた。


《完》





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