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《連載小説》おじいちゃんはパンクロッカー 第三十回:ライブ前夜

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 サーチ&デストロイの復活ライブを明日に控えた金曜日の夜、残業を終えた露都は帰りの電車の中で本日送られてきた家時のメールを読んでいた。家時のメールにはまず明日のライブの準備が万端である事から始まって、それから明日のライブはスタッフに直接声をかけるようにという注意が書かれ、最後に今日の垂蔵の体調の報告があった。家時はその中で垂蔵が日を追うごとに元気になっていると嬉しそうに書いていたが、露都はそこに添付されている垂蔵の写真を見て彼の書いている通りだと思った。実際に写真の垂蔵は日を追うごとに体調を取り戻しているようだった。今日の写真はマイクで歌っている垂蔵を撮ったものだが、そこでの垂蔵は病院で見たしょぼくれた姿からは想像もできないぐらい生気に満ち溢れていた。露都はその垂蔵を見て安心したが、同時に一抹の不安がよぎった。もしライブ中に何かあったらどうすればいいのか。

 家に着き玄関を上がって台所へと向かった露都はテーブルの上に絵里が作った夜食が置いてあるのを見た。皿の下には絵里のちゃんと食べてねの書き置きが挟んであった。彼は絵里に感謝して早速テーブルに座って夜食を食べようとしたが、ふと寝る前にネットで垂蔵の明日のライブの事を思い浮かべ、SNSでの反応を確認したくなった。それでバカバカしいと自嘲して妻や子にバレぬように夜食ごと持って書斎へと向かった。それから露都は書斎の机で夜食を食べながらスマホを見てSNSでのサーチ&デストロイのライブの反応を見ていたのだが、その最中にふと母が出ていたあのライブビデオの事を思い出した。確かあのビデオだけはサトルに返していない。あれはどうせビデオデッキがなければ観れないし、大体教育に悪すぎる代物だ。彼は机の引き出しからビデオを取り出してジャケットをしばらく眺めた。

 何度見ても酷い代物だった。こんな物をよく恥ずかしげもなく出せたものだと思った。ビデオの中身だって五月蝿いだけの騒音とバカげた暴力だけが映っているものだ。だが母はこんなクズみたいな事をやっている垂蔵を崇め、そして愛したのだ。露都はまたビデオを観たくなった。母と、その母が愛した大口垂蔵という人間を再度この目で確かめたくなった。

 露都は残りの夜食を急いで平らげると、机の下にしまっていたビデオデッキを取り出してテレビに繋いだ。そしてヘッドホンをかけてからゆっくりとデッキにビデオを入れた。するとこの間のようにテレビにノイズが走り、しばらくしてから『ラストハードコアヒーロー、サーチ&デストロイの狂気の流血ライブ!』という酷すぎるビデオのタイトルが映し出された。間もなくしてライブの映像と騒音と共に流れたが、露都はその時ふとヘッドホンがテレビに繋がっていない事に気づいた。しかもドアの鍵まで掛け忘れているではないか。これではまたサトルに見られてしまう。露都は慌ててリモコンで音を消し、ドアを閉めに行こうと後ろを振り向いたのだが、彼はそこにサトル、いや無表情で立っている自分の妻の絵里を見たのである。

「何やってんの?」

「な、何で勝手に入ってきたんだよ!」

「勝手にって、あなたトイレに来たら書斎からうるさい音がしたから来ただけじゃない。大体もう夜中でしょ?いきなりそんな騒音流されたら誰だって気になるでしょ!」

「わ、分かったからもう出て行けよ!俺は明日の仕事の準備しなきゃいけないんだぞ!」

「へぇ~、仕事ねえ」と言いながら絵里は露都のところに寄ってきて彼が手に持っているものを覗き込んだ。

「それって、もしかしてサトルが言ってたAV?」

「なにがAVだ!これは垂蔵のだな……」

「そのAV私にも見せてよ」

 絵里の言葉に露都は驚いて止まった。

「いや、こんなものとても見せられないよ。酷いものだ」

「やっぱりAVなんだ。あなた家族に隠れてこっそりAVなんて観てたんだぁ」

「AVじゃねえって言ってるだろ!」

「じゃあ見せなさいよ。AVじゃないんなら大丈夫でしょ?」

「ああわかったよ!そんなに観たきゃ見せてやるよ!だけどな最初に言っとくけど全く酷えもんだからな!俺だってこんなもの捨てるつもりで最後に確認のために観ていただけなんだから!」

「下手な言い訳はいいからさっさと見せなさいよ!お父さんが出ているAVなんでしょ?」

「だからAVじゃねえって言ってるだろ!」

 結局絵里に根負けして垂蔵のライブビデオを見せることになったので露都は妻の要求通り改めてリモコンでビデオを最初から巻き戻したのだった。絵里は露都がリモコンでビデオデッキの操作をするのを興味津々に見ていた。

「へぇ~、凄いね。私ビデオデッキって初めて見たけどそうやって動くんだ。これってあなたの実家にあったもの?」

「ああ、おじさんがくれたものだけど全然使わなかったからよくわからんな。確かビデオの容量の三倍で録画できるモードもあるって話だけど」

「凄いじゃん。じゃあハードディスクいらなくない?」

「なわけねえだろ!今はもう全然仕えねえよ。ってかもう最初まで戻ったぞ。さっ、観たいんだったらみろ。イヤフォン貸してあげるから」

「あなたは観ないの?映像だけ見てもつまらないでしょ」

「別にそんなもの見なくてもいいわ!」

「ダ~メ!ちゃんと観なさいよ!自分のAVなんでしょ。ほらイヤフォン片方あげるから!」

「ったくしょうがないなあ。ほんとに言っとくけどこんなもの観るもんじゃないんだぞ。まぁ明日のライブの予行練習にはいいかもしれないけどな。いいかお前が明日行くライブはこんなクズな事をやっている連中の……」

「ああ!もういい加減にしなさいよ!うだうだ言ってないで早くイヤホンつけてビデオ再生してよ!」

「わかったよ」と絵里に返事をすると露都は右耳にイヤホンを付けてからリモコンの再生ボタンを押した。テレビ画面には再び黒バックに白抜きのタイトル画面が映し出された。そしてライブの会場が映し出されると右耳からさっきの同じような騒音が流れた。今度は耳に集中するのでなんだかさっきよりうるさく聞こえたので思わずのけ反った。露都は絵里の反応が気になって隣を見たが彼女は騒音など全く気にならないようで一心にテレビ画面を見ていた。

「露都、あれお父さん?」

 テレビの方を向いていた絵里が突然話しかけてきたので露都は慌ててテレビを見た。画面では垂蔵がマイクを振り回しながら絶叫してステージを練り歩いていた。

「結構若いね。いくつぐらいかな」

「多分このビデオの発売日からすると今の俺たちより年下だろうな」

「そうなんだ」

「だけど酷いもんだ。俺たちより年下と言っても二十歳過ぎのいい大人がこんな幼稚な……」

 と言ったところで露都は言葉を止めた。テレビにピンクの髪を逆立てた母が大写しになったからである。彼は絶叫する母を観ていたたまれなくなった。ステージでがなり声を立てていた垂蔵はその母めがけて飛び込んだ。画面には騒音と客席で母を殴っている垂蔵が映し出される。全く酷いもんだ。こんな事よく母に向かってできたもんだ。露都は恐る恐る絵里を見た。絵里は呆然とした表情で画面を観ていた。

「凄いね……」

「酷いだろ?コイツこんなことばかりやってたんだぜ」

 テレビはまだ母を殴る垂蔵を映していた。今度は鼻血を垂らした母が垂蔵を殴り返す場面が映った。

「ははは、お父さん殴り返されてる。強いねこのピンクの髪の人」

「ああ」

 その時絵里がいきなり露都の方に顔を近づけてきた。

「あの、一つ聞いていい?」

「突然なんだよ」

「このピンクの髪の女の人。もしかして露都のお母さん?」

 絵里の言葉はあまりに突然で、あまりに図星だった。露都は驚いて妻を見つめた。

「な、なんでわかった?」

「わかるよ。だってこの女の人映った時、露都の目が凄い変わったから」

「ったく恥ずかしいな。母さんこれでも結構いいとこのお嬢さんで、大学もそれなりのとこ行ってたんだぜ」

「でもお母さん、すっごくカッコいいな。髪なんか思いっきりピンクにしちゃってさ。服なんか今着ても全然いけるって感じじゃん。私露都のアルバムの写真でしかお母さん知らないけど、なんて言うかすっごい輝いてるんだよ。ホントにお父さんの音楽が好きなんだなってさ」

「こんなゴミみたいなものにか?」

「ゴミだなんて言うな!自分のお母さんが夢中になってる音楽だぞ!あなたもちょっとは自分の父親の音楽に耳を傾けなさいよ。明日ライブがあるんだからさ」

 結局露都と絵里は垂蔵のライブビデオを最後まで見た。見終わったときにはもう一時近くになっていた。露都はビデオを観ている間ずっと母の事を考えていた。ビデオにはもう母は出てこなかった。チラッとさえ映らなかった。だが露都は観ている間ビデオの中に垂蔵を見つめる母の姿を思い浮かべていた。一体母は垂蔵のどこに惹かれたのか。彼女はステージの垂蔵に何を求めていたのか。考えても考えても答えなんかわからない。自分にわかるのは垂蔵のライブがどうしようもなく酷い代物だという事だけだ。ビデオを観終わった後絵里は露都に向かって言った。

「明日のお父さんのライブ何があっても絶対に行こうね。もし明日課長とかが文句言ってきたら、親父のライブがあるから残業できませんってきっぱり断ってやんなよ」

「ドラマじゃあるまいし、そんなこと言えるか!」

 しかし絵里は露都に答えずすくっと立ち上がって手を叩いた。

「さっ、明日も早いんだからさっさと寝る!あっ、あなたそういえばまだお風呂入ってなくない?さっさとお風呂入ってきなさい!」

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