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《連載小説》おじいちゃんはパンクロッカー 第二十九回:嵐の前の平穏

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 今週は先週の慌ただしさが嘘のように平穏であった。しかし当然ながら不安はあった。今の所垂蔵には何の異変も報告されていないが突然それが起こることだってありえる。それと土曜日のライブがある。ライブの途中で体調に異変が起きたたら命に関わる。露都は湧き出す不安を仕事に没頭する事で打ち消そうとした。とにかく土曜日のライブまでは何も起こらない事をひたすら願った。露都は何事もなく一日が終わるとホッとするのだった。

 垂蔵のライブ当日の土曜日は予想した通り休日出勤になった。露都は課長補佐という責任ある役職の立場なので絶対に出勤しなければならなかった。職場は再来週からの通常国会の開会に向けて急に忙しくなり始めた。露都はしかしこれも来週に比べたらまだまだ序の口と自分を引き締めて日々業務を行っていた。

 家に帰るのはいつも十一時過ぎで、妻の絵里は起きていたり起きていなかったりしていた。息子のサトルはいつも寝ていた。彼は玄関を開けた妻がかけるお疲れ様という労りや、彼女が寝る前に作った夜食と共に置かれたちゃんと食べてと書かれた書き置きを読む度に、ありがたさとすまなさを同時に感じるのだった。

 露都は朝と夜絵里起きていた時に彼女と話をしていたが、その時彼は必ずサトルのことを聞いた。絵里はそのたびにサトルは普通に学校にも塾にも行っていると、サトルから聞いた学校での出来事とかを話で露都を安心させたが、ある時絵里はサトルが笑ってあの子今週に入ってからずっとおじいいちゃんのデストロイばっかりしてると話した。彼女の話ではサトルは土曜日の垂蔵のライブが待ちきれず塾から帰る度に早く土曜日こないかなと言っているそうだ。露都はこれを聞いて頭を抱えた。彼はもう息子がこれ以上垂蔵に影響されてクズの道に走らぬように祈るしかないと思った。

 週の中頃、露都は長い残業を終えて深夜近くに家に戻ったが、その玄関を開けた瞬間、どこかからかかすかにあのデストロイがかかっているのを聞いた。彼はきっとサトルの奴がまだ起きていて曲をかけているに違いないと思い、なんで絵里はサトルを寝かしつけずに寝たんだと憤りながら、さっさと寝るように注意しようと玄関を上って早足で歩いた。しかしその途中、ふと台所の方をみると、寝ていると思っていた絵里がテーブルでスマホを眺めていたのである。彼はこれをみて唖然として妻にサトルのデストロイ放置して何をやっているんだと妻に言おうとしたのだが、その時音の出所に気づいてあっと声を上げた。

「あっ、露都おかえりなさい。今日も遅かったね。野菜炒め作っといたけど、どうする?レンジで温める?それとももう一回炒め直す?」

「炒め直すじゃねえだろ!お前何聴いてんだよ!」

「何ってこれお父さんの曲じゃない。サトルが散々流しているでしょ?これ最近YouTubeで見つけたんだよ。今まで全く知らなかったけどお父さんのバンドって結構有名なんだね。今見てる動画もコメントの数凄いよ」

「バカやろ!そんなゴミを深夜に聴くやつがいるか!サトルならともかくお前までそんなもの好きになり出したら近所の恥だろうが!」

「何が恥よ!あなたそれって自分の親に向かって言っていい言葉なの?あなただって土曜日にお父さんのライブ行くんでしょ?会場で恥かかないように土曜までにちゃんと予習復習のために聴いておきなさいよ!」

「あんなゴミどもに恥なんかかかされても平気に決まっているだろ!バカどもが持ち上げようが俺は絶対にそんなゴミは聴かん!」

「へぇ~、この間そのゴミのような人たちが暴れているビデオ観ていた事息子にバレたのは誰でしたっけねぇ~!」

「うるさいうるさい!俺は今からトイレに行くんだからもう喋るんじゃねえ!」

 露都はそう言うなり慌ててトイレに逃げ込んだ。その逃げる夫の背中を見て絵里は大きくため息をつき、全く素直じゃないんだからとつぶやくのだった。


 妻にはこんな態度を取っていた露都だったが、彼もまた人に隠れてこっそり垂蔵の事をネット検索をしたりしていた。彼は月曜日の昼間に葛木にSNSで垂蔵の事がバズっているという事を聞き、その夜に家時からの垂蔵の体調の報告を知らせるメールを読んだ。彼はそこでサーチ&デストロイのメンバーと肩を組んだ、昨日より元気そうに見える垂蔵を見て、この世間で話題になっている父がどんな風に語られているのか知りたくなった。それで少しだけ見てみようと、メールのリンクにあったSNSのサーチ&デストロイのアカウントを押した。

 最初は家時がどのように垂蔵の復活をどう発表したのか確認してそこに書かれたコメントをチラ見したらすぐに閉じるつもりであった。それで彼はまずサーチ&デストロイの公式発表を読んだのである。露都は昼間に葛木が昼間に垂蔵が退院したのかと聞いてきたのを思い出し、家時がそのような嘘を書いているのだと勘繰った。しかし公式発表には退院などとは書かれておらず、ただリハーサル中の垂蔵の写真付きで大口垂蔵大復活とエクスクラメーションマークを多発した煽り文句が書かれているだけだった。露都はその下に書かれているファンらしきものたちの退院おめでとうというコメントを読んでその勘違いっぷりを嘲笑したが、その彼らのサーチ&デストロイへの思いの丈を綴った文章を読んでいるうちに不思議に体が熱くなってくるのを感じた。頭ではバカげたものだと切り捨てても、いつの間にか共振してしまっていた。ライブで垂蔵に殴られた事をまるで勲章のように語る連中。垂蔵のパンクの心構え等といったインタビューのくだらない発言を引用して自分語りをする連中。全てクソだ。だがそのバカげた戯言を読んでいると妙に心が震えてくる。彼はふと亡き母も垂蔵をこんな風に見ていたのではないかと考えた。

 それから露都は気づいたらいつの間にかネットで垂蔵のことばかり見るようになっていた。彼はこれはあくまでも土曜日のライブのための下調べだと無理矢理自分を納得させようとしたが、だがそれが誤魔化しに過ぎない事を彼自身が一番よくわかっていた。彼はサーチ&デストロイの過去のインタビューの発言をまとめたサイトに載っていた垂蔵のあまりに幼稚な権力批判をせせら笑ったが、しかし笑いながらも次から次へとページをクリックして夢中になって読んでいる自分に気づく度に愕然とするのだった。

 この一週間、露都の頭の中は垂蔵で占められていた。これほど父に対していろんな事を思った事はなかった。彼は垂蔵との過去を思い出して腹を立て、垂蔵が余命いくばくもない事を思って悲しみ、そして垂蔵のために土曜日のライブが無事に成功する事を願うのだった。

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