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《長編小説》全身女優モエコ 第九話:全身女優開眼 その2

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 そしてモエコは下着姿で再び走り出した。もはや小銭しか入っていない財布とシンデレラの絵本と、そしてシンデレラの衣装一式抱えて。彼女は走る。死地へと。見慣れたマグマの生まれた場所へと。私は生まれた場所へ戻るのよ!熱く蠢く大地の奥深くへ、すべての生命の源へと。そして生まれ変わるのよ!今度こそシンデレラに!みんなに愛されるお姫様に!彼女は火山へと向かう山道に入った。死への道をひた走る彼女は遮るものをことごとく吹き飛ばしてしまった。鹿も、山犬も、熊も、そして絶滅確定のニホンオオカミも!そしてウワァーと彼女は獣よりも激しく叫んだ。さよなら私の短すぎる人生よ!せめて最後は花火のように美しく咲き誇りたい!そう心に決め勢いを挙げて駆け出したその時だった。彼女の左足に何が引っかかり、そのまま彼女はつんのめって転がってしまったのだ。

「痛い!なんなのよ!」

 モエコは叫び、もんどり打ちながら引っかかった左足を見た。彼女の野生のカモシカよりも白い左足は地中から飛び出した木のねっこの間に挟まっている。モエコは左足を引っこ抜こうとしたが太い根っこは彼女の足に絡みつきびくともしない。彼女は怒り狂い体を起こして、この邪魔な根っこを、生きていたところで燃やされて煤っこになるだけの木ごと折ってやろうと掴んだのだ。根っこを掴んだ瞬間だった。彼女はその根っこの生々しい、まるで動物の体を掴んだような感触を覚えてハッとしたのだ。モエコは何故か体が震えるような感動を覚えた。そしていつの間にか彼女の視線はこの根っこの元を辿っていた。

 そこに大きな太い木が立っていた。幹を包む樹皮の皺は幾年月の雨風に耐えた姿を晒していた。どっしりと立っているその姿はまるでこの森の守り神のようだった。木は葉を揺らしながらも、だんだん強くなって来る風などもろともぜずここに立っている。モエコは放心して木を眺めていたが、突然さっき担任教師に言われた言葉を思い出したのだ。

『バカヤロー!木だってちゃんと生きているんだ!お前はなにか勘違いしているぞ!人間だけじゃ地球は成り立たないように、このシンデレラだって木の役がいなければ成り立たないんだ!』

 木はそこに立っていた。そして枝を広げて私たちを自然の脅威からずっと守っていたのだ。モエコはそんな木を見て涙を流した。ああ!なんでこと!こんなに私たちを見守ってくれた木に対してめ燃やされて煤っこになるだけだなんて酷いことを言って!そう、先生の言う通りだわ!木がなくちゃ人間は生きていけないように!シンデレラだって木がなくちゃ成り立たないのよ!ああ!私やってみせる!全身魂をぶつけて木を演じて見せる!

 モエコは再び根っこに挟まった左足を見た。彼女はゆっくりと左足を動かしたが驚くほどスルリと抜けた。そしてモエコは立ち上がり木に向かって歩いて行った。ああ!神聖なる木よ、木の神様。私にどうしたらあなたを演じられるか教えて下さい。モエコはそう木に向かって懇願しながら、木になろうと両腕を広げると、そのまま棒立ちになってその場に立った。しかし彼女は目の前の木を見て自分のあまりにもお粗末な演技に絶望してしまった。自分が今やっている演技は同級生がやっているシンデレラと同じではないか。あのどうしようもない棒読みと一緒なのだ。だが彼女はこの目の前の木をどうやって演じていいかわからなかった。モエコはそのままの姿勢で立ちながら何度も木に問うた。私はあなたを演じたいの!どうしたら、どうしたら完璧にあなたを演じられるの?

 ああ!モエコは今全身女優としての階段を一歩登ろうとしていた。演じるのは所詮学芸会の出し物の背景でしかないつまらぬ木でありながら、そのつまらぬ木を全身で演じるために目の前の木に向かって女優魂を激しくぶつけているのだ。女優としての階段を登るために最初に登る大きな一歩であった。それを女優になることなど考えてさえなかった小学生のモエコは懸命に登ろうとしていた。彼女は木を完璧に演じるまで山を降りぬつもりであった。木になって見せる!私は完璧な木になって見せる!そしてシンデレラの後ろで私の演じる木は舞台を生きたものにするの!木のない地球なんてありえないように、私の木のないシンデレラなんてありえないんだわ!

 やがて天気予報どおり激しい雨と風が吹いてきた。すでに日は落ち森は真っ暗闇となっていた。しかしモエコは吹き曝しの雨風を浴びながら木の前でさっきと同じポーズで立っていた。モエコは目の前の木に向かって何かを語りかけるように凝視した。しかし木からは何も答えは返ってこない。風に吹き飛ばされた葉と枝がモエコに当たってくる。モエコはそれでも負けじと木のポーズを取り続け、目を見開いて木を凝視する。しかし木は相変わらず無反応だった。自分と木の間には超えられぬ壁がある。こんなに必死に木を演じているのに木はまるで自分を相手にしない。雨風は吹き荒れる中、モエコはポーズをやめ気にぶつかり、そして抱きしめて叫んだ。

「お願い!どうか私に心を開いて!あなたを、何百年も生きていた貴女の全てを私に教えて!私はあなたのすべてを知りたいの!あなたと分かち合って、あなたを理解して、そしてあなたと一つになりたいの!あなたがこの森を守って来たように、私はシンデレラの舞台を支えたい!」

 その時だった。何故かモエコは手にから冷たい液体のようなものがしみてくるのを感じた。それは胸の中をかけめぐり、最期に下腹部を貫いてゆく。彼女はハッとして木を見上げた。

 The tree has entered my hans,
 The sap has ascended my arms,
 The tree has grown into my breastーDownward,
 The branches grow out of me, like arms,

 木がわたしの手にはいりこんだ
 樹液がわたしの腕をのぼった
 木がわたしの胸に生じた―
 下に向けて、
 枝が腕のようにわたしから生える。

 モエコは全身を駆けめぐる木から迸る体液に恍惚として身を委ねていた。この小学生であり、しかも処女である女は今、木と一体化し木と激しく交わっていた。木は彼女を受け入れ己のすべてをこの少女に捧げる。交わりの中モエコはこの情事の間木から果てしなく長い物語を聞いた。

 やがて朝日が昇り始め木の懐から目覚めた彼女は木の前で再び演技をした。木は葉を震わせて匂い放って喜んだ。モエコはボロボロの下着姿で喜んで1回転した。ああ!これで完璧に木になれたんだわ!もう誰にも煤っこだなんて言わせない!私は木なのよ!あのバカどものシンデレラを優しく支える木なのよ!私の力で天国のシンデレラを喜ばせてあげるのよ!ああ!モエコちゃん!あなたが木を演じてくれたおかげでまともな舞台になったわ!ホントは日本一の美少女のあなたにシンデレラを演じてもらいたかったけど!

 モエコが木に別れを告げ山を降りたのは午前6時ごろであった。雨でびしょ濡れになってしまった彼女のシンデレラ服と、同じような水を吸ってガビガビになってしまったシンデレラの絵本を抱きしめて彼女は恍惚に満ちた表情でゆっくりと歩いていった。そしてモエコは家の玄関を開けて、畳が地に染まったお茶の間で、同じく血塗れの包帯を巻いてお茶の間に寝そべる父と、大の字でガーガーいびきをかいている母を跨いで寝室に向かいそのまま爆睡してしまった。


 一方学校では、モエコが学校に出ず、しかも電話連絡もないので担任は一日中青ざめていた。モエコの家に電話をかけても誰も出ないので、担任はもしかしてと最悪の事態を想像して恐ろしくなった。そうなったらもう自分の教員人生は終わりだと嘆いた。しかしそんな担任の苦労などどうでもよい目の前の女生徒どもは今日も下手くそなシンデレラを演じ、そしてモエコの悪口を言っていた。

「あの煤っこさ、今日はマジでこなかったね。やっぱり昨日のいぢめが聞いて……」

 それを聞いたシンデレラ役の女生徒が鼻で笑いながら答えた。

「ふん、よかったじゃない。そうなったとしたら」

 そして彼女は手に持っていた箒で床を振り払ってこう言った。

「やっとあの汚い煤を永遠に払えたのよ!」

 それを聞いた女生徒たちはゾッとしたが、その時体育館の入り口から誰かの叫ぶ声が聞こえた。何事かと担任とクラスの生徒一同は体育館の入り口を見たのだが、そこに木の枝を体にくっつけた下着姿の異様な少女を見たのである。みな何事かと思ったが、この化け物みたいな少女は自分たちの所にベタベタと歩いてくるではないか。ああまさか!あの女は!

 そのまさかであった。担任と女生徒たちの所に歩いて行くのは全身女優に目覚めた。モエコだったのだ。彼女は担任と生徒たちがいるステージにむかって叫んだ。

「先生、皆さん、ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。私、モエコはこれからは木を精一杯演じます!一本の木としてこのシンデレラの舞台を支えて見せるわ!」

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