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生き証人

 2055年、誰かが決めたわけではないが、今年はロック100周年ということで、世界のアカデミニズム界隈は、久しぶりのホットな話題に興奮していた。あの二十世紀後半と二十一世紀の四半世紀を代表する芸術運動であるロックの百周年である。既存のアカデミニズムに反発した、若き芸術家たちの熱い魂のパフォーマンスと、その芸術作品は今もなお我々に深い衝撃を与えるのだ。だがどんな芸術も終わるときなやってくるもので、2000年あたりからロックの栄光に陰りがみえ、そして2030年あたりを最後にロックバンドを組む若者はいなくなった。これはクラシックもジャズも経験したことだ。ジム・モリスンのあの秩序破壊のパフォーマンスも、ジミヘンのあのギター着火も、バッハのカツラと同じように、格好のパロディーのネタとなってしまった。今の若者は自己表現の手段としてロックはやらない。もう表現手段として古すぎるからだ。いま、ロックをやってますと言うと、「へえ、凄いねえ!そんな化石みたいな音楽演るなんて!」と笑われるのがオチだろう。しかしロックはシリアスな芸術として今もなお知的階級によって享受されているのだ。ロックは学術研究の新たな対象となり、ビートルズ、ローリング・ストーンズなどロックのパンテオンの芸術集団は知的階級に於いては神にも等しい扱いを受けるようになった。音源などでは飽きたらぬ者たちが彼らの曲を演奏する楽団を作り、それぞれビートルズ楽団、ローリング・ストーンズ楽団と名乗って彼らの当時の格好そのままで演奏会を開いていたが、その彼らの演奏を、小うるさいインテリが、「彼らの演奏は現代の客に媚び、恐ろしくビートルズを歪めている。それは聴取へのおもねりであり、歴史への冒涜だ!」とロック芸術サイトで批判したものだった。

 ある大学でロック100周年の講演会に、ロック全盛時代の生き証人が呼ばれることになった。もう百歳をとうに過ぎの老人だが、まだまだ矍鑠とした男である。彼はビートルズのコンサートを生で見た観客の中で現在唯一生きている男だった。彼はロックとほぼ同時期に生まれ、世界中を旅してあらゆるロックバンドを見てきた。ビートルズやストーンズは勿論、ドアーズ、ジミヘン、ブラック・サバス、セックス・ピストルズ、さらにはニルヴァーナなども観たらしい。まさにロックの生き証人だ。講堂の中には聴衆がぎっしり詰めていた。ほとんどがロック美学を研究する院生たちだ。彼らは老人に質問をするために必死にノートをまとめていた。「セックス・ドラッグ・ロックンロールの理論について」「ジミヘンのギター着火とパフォーミング・アーツの関連性」「ロックと宗教・ブラック・サバスを廻って」「セックス・ピストルズとバクーニン~アナーキーの表象を廻って」とこんなことをひたすらノートに書き付けていたのだ。やがて講演の開始を告げるアナウンスがあり、老人を拍手で出迎えるよう言っていた。そして老人が現れた。会場にいた人々は全員総立ちで拍手をして老人を出迎えたが、しかし老人が講壇に立った途端、聴衆は緊張のあまり、皆息を止め沈黙してしまった。これがロックの生き証人なのか。杖をついた腰の酷く曲がった男だが、その鋭い鳥のような目がギラツキ、それがロックという芸術がかつて現在進行系の表現だった時代の緊張感を伝えていた。しかし男は講壇に立ったまま、一言も喋らない。院生たちはつばを飲み込み緊張して老人が口を開くのを待った。

 このまま無限に老人が喋らないかと思われたその時だった。老人がプルプル体を震わせて一言こうこう言った。
「69!」
 老人がそういった途端、あたりにうんこの匂いが立ち込めた。ついでにアンモニア臭もした。聴衆たちはこれはなんだ!これがロックのパフォーマンスなのかと騒ぎ始めた時、横からおばちゃんが現れ、老人に向かってこう言った。
「おじいちゃん!おむつ履かなきゃダメでしょ!毎日毎日おむつ履けって言ってるのにどうしてわからないの!ああ!もう床がうんちとおしっこでいっぱいじゃない!おじいちゃん!みんなに謝りなさい!」
「69!」

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