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短編小説は世界を認識する最も確実な方法なんだ

 大学時代の友人と久しぶりに飲んでいたらふと彼がこんな事を喋り出した。

「短編小説こそ、世界を認識する最も手軽かつ確実な方法なんだ。君は長編小説の方が世界を認識できると思ってるかもしれないだろうけど、実は長編小説で世界を認識するのは非常に困難なことなんだよ。長編はその膨大な文章で説得力のある論理を積み上げているので一見世界の全てがそこに書かれているように思える。だけど、その書かれた世界とはあくまで俯瞰で見た映像のようなもので、近くで見たらピントがぼやけた写真のように何も見えないものなのさ。それに比べて短編はたしかに長編のように世界の全てを把握出来ないかも知れないけれど、確実に世界の一部を切り取っているんだ。その一部は世界のかけらのようなものかもしれないけど、しかしそこには世界のありようがハッキリと写っていて、そこに僕らは世界というものを確実に見る事が出来るんだ」

 僕は友人がしゃべるのを聞きながら、コイツは相変わらずだなと思った。相変わらず世界の全てが文学で出来ているような口ぶりだ。僕はそんな友人の久しぶりに聞く青臭い文学論を聞いて微笑ましくなった。僕は昔みたいに友人に向かってそうだよなと笑って相槌を打ち、そして彼に向かって「今どんな小説読んでるんだい?相変わらずカーヴァーかい?」と聞いた。すると彼は首を振ってもうカーヴァーは読んでないよと答えたので、僕は不思議に思い、「カーヴァーじゃなかったら何を読んでるんだい?チーヴァーかあるいはチェーホフとかの古典かい?」と重ねて聞いた。すると友人は僕を見て含み笑いをすると、持っていたグラスに残っていたブランデーを飲み干して僕に言った。

「僕は最近とある短編集を読んでね。それを読んだらカーヴァーなんてどうでも良くなってしまったんだ。いや、カーヴァーどころじゃなくてさっき君が言ってたチーヴァーとかチェーホフとか、それとヘミングウェイみたいな優れた短編小説の巨匠達さえどうでも良くなってしまったんだ。僕はその短編集に収められた数々の短編にこそさっき僕が話した手軽かつ確実な世界認識の方法が純粋に示されていると感じたんだ。そこにはまるでダイヤモンドのように凝縮された言葉で世界のすべてが書かれていた。そのヘミングウェイなどより遥かに簡潔な言葉で書かれた短編は陳腐な比喩かも知れないけどまさに言葉の宝石だよ。僕は今その短編集を持ってるんだ。よかったら一緒に読んでみるかい?」

 僕は当然頷いた。友人の話を聞いているうちにいつの間にか僕まで昔の文学青年だった頃にに戻ってしまったみたいだ。友人は僕の同意を得ると早速バッグから短編集を取り出して読み上げた。


人生

 生きて死んだ。 終わり

恋愛

 今日やった。 終わり

失恋

 男がいた。 終わり

梅干し

 種飲み込んだ。 終わり

貧乏

 貯金が無くなった。 終わり

歴史

 いい国はもう作れない。 終わり

世界

 地図読めない。 終わり

認識

 バカだからわからない。 終わり



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