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読書抜き

 息抜きという言葉は広く使われているが、読書抜きという言葉はほとんど誰も使わない。というのは当たり前で単に私の思いつきの造語でしかないからである。実際に誰かが使っていたらごめんなさいだが、別にある程度使われている事がわかっても別にどうでもいい。私がこの読書抜きという言葉を使っているのは私が勝手に意味を与えた言葉であり、他人がどのような意味で同じ言葉を使っていたとしても全く関係ないからだ。

 さて、さっきからだと打ち込むのに何度も間違って体と変換してしまったのだが、それは果てしなくどうでもいいことだ。とりあえずからだと体の話はおいといて読書抜きについて書くが、読書抜きというのは読書疲れを解消するためにしばらく読書やめちまえとという事だ。

 いくら読書家でも当然体調や気分によって本を読めない時があると思う、そういう時に無理矢理本を読む人なんてよっぽどその本が読みたいって人じゃなきゃまず読まないと思う。無理して読んだって内容なんか入ってこないしね。それとは別に、これは私だけかもしれないが、あんまり本を読みすぎると特に体調や気分が悪くなくても本の内容が頭に入ってこない、というより文字の羅列から中に進めないような状態になってしまう事がある。つまり文字に書いてあることの意味は読み取れるのだが、そこから何も思い浮かばない状態になってしまうのだ。それでもエッセイとか、あるいはお固い評論とかだったらまだ読める。だけど想像力を必要とする小説や詩なんかを読むと文字がそこらに飛んで頭でまとめられない。カポーティか誰かが他人の小説の文章をよく、ページが飛行するとか、文章が透き通る瞬間、って素敵な言葉を使って褒めているが、それはおそらく自分が小説の中に入り込むって事を語っているんだど思うが、それがどんな素敵な小説でも味わえなくなる。

 まぁこれは完全な読書疲れなんだが、でも別に肉体的にも精神的にも問題があるわけではないのである。私は結構長くどうしてこんな状態になるんだろうって考えたんだが、その結果これは脳の中に、血管の中の血が固まって血が流れないように、今まで読んだ本の情報が詰まって流れていかないんじゃと思ったのである。

 じゃあどうしようかととにかく考えて結局は本読んでも頭に内容入ってこないんだからいっそ読まなきゃいいんじゃね結論づけたのだ。それで私は一時的に読書を中断してテレビ観たり音楽聴いたりまぁ本には触れずひたすら他の事をしていたのだが、しばらくしてやっぱり本を読みたい欲求が出てきたので、試しに読んでみたらこれが驚くほど内容が入ってきた。やっぱり私は読書に疲れていたんだと思った。読んだ瞬間に文章の内容が頭に入ってきて、ページが飛行する、文章が透き通ったってそんな瞬間に何度もなった。それから私はちょっと読書に疲れたなぁと思った時はこの読書抜きをするようにしている。まぁ読書なんて強制的にやるもんじゃないし、そもそも読書とは本を読んだ数を競うより、本の内容を理解することだからね。

 とりあえず今回の記事はこれでおしまいだが、読書はどこかアルコールやタバコに近いと個人的には思う。アルコールもタバコもしばらくやめて、それでまた飲んだり吸ったりするとうまさがはっきりとわかる。だけど読書はアルコールやタバコと違って体に悪くないからなんの問題もないけどね。

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