見出し画像

男たちの文学賞

 人気純文学作家落合泰樹と売れない作家の落合こもるは親友同士だった。この同じ名字の二人は大学の文芸サークルで知り合ったが、出会った時、すぐに波長の合うものを感じて間もなくして友達になった。二人は友達になってからすぐにお互いが作家を目指している事を知ったが、それがますます二人の友情を親密なものにした。泰樹は派手でスキャンダラスに満ちた小説を書き、籠の方は繊細で内向的な小説を書いていた。先に文壇デビューしたのは泰樹の方であった。泰樹のデビュー作はドラッグあり、乱交ありの過激さてんこ盛りの内容で世間を驚かせるには充分なものであった。小説の反響は文壇を超えて世間にまで広がり、某文芸誌の新人賞を圧倒的な支持で受賞すると、その勢いでA賞まで受賞してしまった。泰樹は学生にして瞬く間に時代の寵児となったのである。対して籠の方は学生時代からずっと賞に応募していたが、ことごとく選考落ちしていた。それでもめげずに小説を書き続け、三年前にやっと新人賞を受賞したが、しかしそれから一向に目が出ず、文芸誌では未だに新人作家扱いされ、そして本は一冊も出していなかった。

 学生時代に籠は泰樹とお互いの未来の事についてよく語り合った。ある日籠が泰樹に自分たちもW村上みたいになれたらいいなと能天気に語った事がある。彼は自分たちの名前の字面が両村上に似ていると言って互いに名前を入れ替えたら僕たちそのまんまだと笑って言った。だが当時W村上を知らなかった泰樹は間抜けヅラをしてなにそれ?と言った。籠は純文学作家になろうとしている人間が両村上を知らないのにびっくりしたが、だけど人のいい彼はダブル村上について一から教え、二人の代表作を何冊か貸してまでやった。数日後泰樹は読み終えた本を返しにきたが、彼は目を潤ませて籠に感謝し、そしてこう言った。

「恩にきるよ。俺、お前のおかげで自分のゆくべき道を見つけたよ。お前の言う通り確かに村上龍さんは作風が俺によく似ていた。そしてお前は驚くほど春樹さんそっくりだった。俺は村上龍さんみたいな作家になるよ。そしてお前も春樹さんを目指すんだろ?俺たち両村上みたいにW落合になろうぜ。お前は俺に文学への道を教えてくれた。俺はその恩返しとしてお前が困った時に必ず手を差し伸べるよ」

 この誓いを泰樹はA賞作家となっても忘れなかった。泰樹は唖然とするぐらい誰も読まない籠の小説をいろんな文芸誌に推薦しまくった。忙しくてほとんど読めはしなかったが、それでもなんとか一作二作は読んで激励し、仕事であった編集者たちに籠を売り込んだのだった。

 だがその泰樹の口添えで文芸誌に載ったにも拘らず籠の小説は全く注目されなかった。泰樹はそれでも友人を売り込もうと自分が参加していた合評に無理矢理籠の小説を押し込んでかなり控えめに褒めたのだが、同じく合評に参加していた二人のベテランの女性作家にアンタこんな童貞くさいモノ好きなのと思いっきりバカにされた。翌月の雑誌の発売日に街の本屋その合評を読んだ籠の絶望はなんと言い表していいかわからない。籠は文芸誌を持ったまま万引きを疑われそうなほど立ち尽くした。もう作家をやめようとさえ思った。だが、彼は学生の頃の泰樹の言葉を思い出して顔を上げた。バカヤロウ!俺は泰樹とW落合になるんじゃなかったのか。泰樹は学生時代にデビューしてからもう十年ぐらい活動して今やいろんな文学賞の選考委員にまでなって文壇で着実に地位を築いている。そんな偉い奴がまだ新人作家とすら言えないヘボな物書きをこうして応援してくれているんじゃないか。こんなのに負けるな。スタートダッシュが遅れて春樹のように龍の後を走る事が出来なかった僕だけど、これから全速力で泰樹に追いついてやる。泰樹は本屋の中でこう決意した。そして早く家に帰って執筆しようと雑誌を持ったまま店を出ようとしたが、入り口でブザーが鳴り見事彼はパトカーに乗せられたのだった。

 そんな障害にもめげずに籠は一心に小説を書き、そして次々と公募に出した。その甲斐もあってようやく三年前に地方の由緒ある文芸誌の新人賞を受賞した。籠は初めての受賞にこれで道が開けたと喜んだが、しかしその後に待っていたのは甘味0%の苦い現実であった。確かに編集者は賞をとる前よりかは彼の原稿を採用はしてくれるようにはなった。だが、反響は相変わらず全くなかった。新人月評でも彼の小説は『いい年してガキみたいなこと書いてんな!自分の妄想ばかり書いて悦に入り浸ってるだけのゴミ小説』とケチョンケチョンに腐され、さらに原稿を読んだ編集者にすらこんなんでよく新人賞とれたの?と嘲られた。籠は新人賞をとってもまるで変わらないこの現状に絶望して作家の廃業どころか死ぬことすら考えた。

 泰樹からLINEが来たのはそんな時だった。籠は酒の飲み過ぎでうつらうつらしながら友人のLINEを見て、そして泣いた。泰樹は彼に会いたいと書いていた。お前のことが心配でしょうがない。いつ会えるのか教えてくれと書いていた。彼は友人のこの労りに感謝した。純文学作家として盤石の地位を築きその小説は純文学としては異例なほど売れている作家。そんな人間がこんな売れない、未だ新人扱いされている作家もどきを気にかけてくれているなんて。籠は一瞬躊躇ったが、だ友人に縋り付きたいという思いが彼のプライドを打ち消してしまった。彼はしばらくしてから泰樹にこっちはいつでも大丈夫だと返事をした。

 泰樹と会う場所は作家たちがよく通っている高級料亭であった。一度も料亭なんか行った事のない籠は料亭を前にして尻込んでいた。入り口の前でどうやって入っていいものか悩んでいると、店員らしき女性が駆け寄ってきて籠にさっさと出ていけとばかりにシッシと手を振った。籠は怯みながらも店員に向かってここで落合泰樹と会う予定だと言うと急に恐縮して頭を下げてきた。

「失礼しました!お客様が浮浪者にしか見えなかったものでつい誤解して!落合先生のお知り合いだったのですね!あっ、その前に名前聞かないと。お客様お名前を頂戴出来ますか?」

 籠は自分の名前を言ったが、女性の店員はそれを聞くなりああ!と叫んでまた喋り出した。

「ああ!名字が同じ!もしかしてお兄様でらっしゃいますか!きゃあああ~!ねぇお兄様!小さいころの先生はどんな子供でしたの?小さいころからイケメンで文才もありましたの?」

「あの、確かに名字は一緒だけど僕は別に落合先生とは兄弟ではありません。ただの友人なんです……」

 この籠の言葉を聞くと店員は急に冷めた顔になって彼につっけんどんに「どうぞ」と冷たく声をかけて彼を店へと案内した。

 案内された和室に泰樹はいた。彼は部屋に入ってきた籠に久しぶりと声をかけた。

「こんなとこ呼び寄せて悪いな。ここぐらいしか会えるとこなかったんだよ。居酒屋とかだとすぐ人が寄ってくるから」

「確かにここはセキュリティに関しちゃ無茶苦茶厳しそうだな。僕なんか浮浪者扱いされて叩き出されそうだったよ」

「そりゃ酷えなぁ。後で店に注意してやんなきゃ」

 籠はそう語る泰樹の立派な態度を見て、自分と彼の境遇の違いをあらためて感じて悲しくなった。間もなくして料理が運ばれてきた。泰樹は籠に食べるようにすすめたが、籠はいかにも高そうに見える料理に気が引けてしまった。

「なんだ?食べないのか?食べないんだったら全部俺が食べちゃうぞ」

 そう言って泰樹は自分の目の前の料理を箸を手慣れた感じで使って食べだした。それを見て籠はますます自分が惨めになった。大学時代一緒に作家を目指した友があっさりとその目標をかなえ、それどころか日本を代表する作家になろうとしている。対して自分は今も風呂なしの四畳半のアパート住まいで原稿料だけじゃとても食えないからバイトをして日銭を稼いでいる。それでも何とか雑誌には載せてもらえるが、単行本は一冊も出せないでいる。籠はこんな惨めな思いをするなら泰樹に会わなきゃよかったと思った。せめて友人に縋り付きたい。そんな思いで彼は友人でありライバルでもある泰樹に会おうと思ったのだが、いざ会ってみるとそれ以前にどうしようもない格差と身分差を感じてしまい、もう自分がいたたまれなくなった。

「どうしたんだ?」と不意に泰樹が聞いてきた。籠はハッと我に返って泰樹を見た。

「そんなに落ち込んでさ。なんかあったのか?最近編集者の連中が口を揃えてがお前が原稿の持ち込みに来なくなったって言ってるぜ。もしかしてスランプか?」

「そういうわけじゃない。ただ今バイトが忙しくて執筆の時間が取れないだけさ。そのうち閑散期が来るからまた書くさ」

「なる程ね。編集者の連中も心配してるから電話ぐらいしておけよ。でもそれはともかくとしてさ。俺は友人として、いや同じ作家としてお前が心配なんだよ。最近投げやりになってないか?編集者が言ってたぞ。お前の小説は途中からいい加減になってるって」

 籠は泰樹の話の通り確かに最近は投げやり気味に書いていた。本に何冊もまとめられる分は余裕で書いているのに単行本化の話はまるでなく、書いても書いても読者からの反応はなかった。それでいつの間にか小説をただ怠惰で書くようになっていたのだ。籠はこの友人の言葉に何も言えずに唇を噛んだ。

「傷つけたら悪い。だけど俺は自分に文学を教えてくれた恩人のお前がそんな風に投げやりになっているのを見るのは耐えられないんだよ。だって俺たちはW落合だろ?大学時代に誓ったじゃないか。俺たちはW村上の次を目指すんだって」

「そんな昔のことまだ覚えていたのか。確かにそんな話はしたさ。だけどもうそれは夢でしかないよ。確かに君にはW村上に匹敵するだけの才能があるよ?だけど僕には小説家一本で暮らしていけるだけの才能すらないんだ。僕にとっちゃそんなもの夢物語でしかないよ」

「そんなことはない!」

 と、泰樹が鋭い声で言った。その一言を聞いて籠は驚いて泰樹を見た。

「お前はいいものを書いているんだから、そんなに自分を卑下するのはやめろ!お前がいまいち評価されないのは小説がダメなんじゃなくて別に理由があるんだよ」

 籠はこの泰樹の言葉に驚いて思わず聞き返した。別の理由ってなんだ。僕の小説が誰にも読まれないのはどうしてなんだ。

「じゃあどういう理由で僕の小説は読まれないんだ。君から説明してくれよ」

 泰樹は籠の問いを聞いて口を閉じてテーブルのブランデーをグラスに移して一口飲んだ。そして再び話し始めた。

「この間、お前のことが気になってお前の書いた小説をめぼしいものを一通り読んでみた。お前がどうしていつまでも売れないのか知りたくてさ。で、読んでみてよくわかったよ。お前の小説が評価されないのは、お前が自分あてにしか小説を書いてないからだよ。お前は読者の存在を完全に無視しているんだよ。そのくせ自分を出すのを怖がって、文学的な知識かなんかでひたすらごまかしているんだ。そんな自己満足的な代物なんて誰の心も打たないし、誰も読んだりはしないよ。もっと読者と向き合えよ。そしてもっと自分を赤裸々に晒せよ。文学は作りものじゃなくて生き様なんだよ。俺は小説家になって十年以上になってそれがよくわかった。お前も今より上を目指すならそうしなきゃダメだ。でないといつまでたってもお前は這い上がれない」

 籠は泰樹の言葉に頭に来た。純文学作家を目指しているのに、まるで文学を知らなかった泰樹に文学のいろはを教えたのは自分だ。なのに今そいつから文学の心構えを説教されている。だけど泰樹のいうことは説得力がありすぎた。自分は今までずっと文学に甘えていただけなのだ。今まで書いた作品は自分の想像したことや、文学からインスピレーションされた物しか書いていない。学生時代から文学の最前線で戦ってきた泰樹からすれば甘ったれもいいことだらけだ。ああ!僕も心を開いて世間と向き合わなくちゃいけないのか。だけど今から作風を変更なんて出来るだろうか。僕にそんな力があるだろうか。

「実はまだ公式に発表されてないんだけど、俺次回からA賞の選考委員になったんだ。俺お前が最高の小説書いたら絶対にA賞を選ぶよ。他の選考委員も説得してお前がA賞を取れるように頑張るつもりさ。だからお願いだ。絶対に最高傑作を書いてくれ。傑作を書いたら編集者だって、他の選考委員だってA賞受賞には反対しないだろう。いいか?俺たちはW落合なんだぞ。見事A賞を受賞してW落合で日本文学を征服しようじゃないか」

 籠はまだ三十代前半の泰樹が選考委員に選ばれたと聞いて心底驚いた。その新しく選考委員になった友人が真摯に自分に傑作を書くよう懇願している。彼は今の泰樹の言葉を先ほどの説教と共に嚙み締めた。A賞に選ばれるにふさわしい傑作を書いてやるさ。もう文学への甘えを捨てろ、自分を晒すことの怯えを捨てろ。今やるべきことは自分の全てを小説にぶちまける事だ。籠は決然とした表情で泰樹を見つめて言った。

「君の言う通り確かに今までの僕は文学に甘えていた。だけど君の言葉で完全に甘ったれなものは消えたよ。待っていてくれよ。絶対に傑作を書いてやるから!」


 籠はそれからひたすら一日中小説に取り組んだ。執筆のためにバイトもやめた。完全に退路を絶ったうえでの執筆作業であった。だがそうやって自分を追い詰めたのが幸いして自分でも驚くほど深いものが書けるようになった。何故今まで自分は無駄な時を過ごしたのだろう。はじめっから素直に自分を晒していればもっとマシなものを書けたはずなのに。そしてとうとう小説を書きあげて全部読み返した籠は自分が最高の傑作を書いたと確信した。ああ!これならどこに出しても恥ずかしくない。きっと読者だってこの小説を認めるはず。そして泰樹もこの小説を絶賛してくれるはず。彼は小説を一晩中かけて校正し、そして丁寧に封筒に入れた。

 翌日籠は原稿の入った封筒を持って文芸誌の編集部に向かった。入口で編集者は彼の原稿を表情も変えず受け取り、今日は忙しくて読めないから、掲載するかどうかは後で電話かメールで伝えると言って奥に行ってしまった。

 籠はこの編集者のつれない対応を見て、現実なんてこんなものと落ち込んだ。彼はその編集者の態度を見て掲載されないだろうと判断して、アパートに帰ると明日また別の編集部に持ち込みするために再度PCに格納していた原稿をプリントして校正を行った。しかしその作業中にさっきの編集者から電話がかかってきたので、彼は慌てて作業を中断して電話に出た。彼はどうせ却下の電話だろうと思って出たのだが、電話の向こうの編集者は異様に興奮した調子で「さっき小説読んだけど、凄い作品だった。あんなゴミみたいな小説書いていた人間のものとはとても思えない」と早口でまくし立てていた。籠は編集者の言葉の節々にイラっと来るものを感じたが、しかし編集者がこんなにも手放しで自分の作品を褒めることはなかったのでやはり自分の作品は傑作だったのだと改めて確信した。

 その半月後籠の作品が乗った文芸誌が発売された。彼は発売日に本屋に駆け付けて文芸誌を見て、表紙に自分の名前が他の大御所や人気作家と同じぐらい大きなフォントで載っているのを見て思わず涙ぐんだ。ああ!いつも見えるか見えないかぐらいちっこいフォントでしか載せてもらえなかった自分の名前が尊敬する作家たちとおんなじぐらいに扱われている。名前と小説の題名の横に載っていた『期待の新人作家入魂の一作!』という十年以上作家やってんのにそりゃねえだろ的な紹介文には少々カチンときたが、しかしそれでもここまで大きく扱ってもらったことがなかったので感激し、あのろくでもない編集者に感謝の念すら覚えた。その翌日に泰樹から電話がかかってきた。彼も籠の小説を絶賛し、これはいずれ日本文学を代表する作品になると言ってくれた。そして続けて泰樹はこう言った。

「今のところお前の作品が今年のベストだ。このままいったら間違いなくお前の作品がA賞を受賞するだろう」

 この泰樹の言葉を聞いて籠は嬉しさのあまり電話の前で思いっきり泣いてしまった。ああ!僕はこれでやっと一人前の作家になれる!中学生の頃からなりたかった作家に!これも全部泰樹のおかげだ!大学時代からずっと小説家目指して併走していた友。そして今となっては貴重な恩人だ!僕は君のような真の友人を持てて本当に良かった。君はあの誓いを忘れずにゴール前でずっと待っていたんだ。三周ぐらい遅れてしまったこの僕を!

「ありがとう泰樹!君が諭してくれなかったらこんな傑作書けなかったよ!この恩は絶対に忘れない!」

「籠、それはこっちのセリフだぜ。俺はお前によって本物の文学を知った。お前がいなかったら俺はこの地位にいなかった。だけど今度はお前が俺の地位に上ってくる番だ。だって俺たちはW落合だろ?」

「そうだな!ずいぶん遅れたけど僕もやっと君と同じ場所に立てる!」

「今度のA賞授賞式はW落合の初お披露目の場にしようぜ!」

「そうだな!僕らはやっと大学時代に願った通りになるんだ」


 その数か月後にA賞の最終選考作品の発表があった。落合籠は緊張のあまり発表日の前日から一睡もしていなかった。友人でA賞の選考委員の一人である泰樹は確かに確実に賞を取れると言ってくれたが、もしかしたら選考作品の下読みをやっている編集が落とすかもしれない。そんなことがあったら自分はもう終わりだ。ああ!せめて最終選考の末席でもいい、せめて僕の名前が新聞やネットに登場しますように!彼は一番中声を上げてそう祈った。祈りすぎて隣に住んでいる危ない人に刃物を突き立てられたが、どうやら発表日当日まで生き延びられた。そして朝各メディアは一斉にA賞の最終選考作品と作家の名前を掲載した。

 籠の不安は杞憂であった。籠の名と作品は最終選考の五作品の先頭に掲載されていたのだ。これは恐らく自分の作品が今回の注目株なのだ。きっと下読みの編集者たちは僕の作品を一番A賞にふさわしいと考えているのだ。彼は約束された栄光を前にして舞い上がった。彼は他の候補作品を見てその確信を深めた。他の賞は訳の分からない変な芸名のTVタレントや、自分よりも遥かに年上の地味なベテラン作家の男女や、下の名前に難しい漢字をつけた女子大生の名前があった。タレントはどうせ話題狙い。女子大生も同じ。ベテラン作家二人はお祝儀。本命は僕だ。さっき見たネットの下馬評ではタレントや女子大生が賞を取るなんて書かれているが、いかにも文学知らずの野次馬的な予想だ。文学好きな人間は本物の文学の価値をわかっている。それは僕の文学しかない。籠は舞い上がった挙句完全に高みから賞の行く末を見下ろしていた。

 だが、A賞の発表日が近づくごとにだんだん不安になってきた。籠は最初は賞は自分のものだと思い込んでいたが、商業的な理由とかで自分の作品は結局弾かれてしまうんじゃないかと思うようになった。それに選考委員の中にはベテラン作家と親しい作家が何人かいた。その作家たちがベテラン作家の境遇に同情して彼らの作品を推したら、いくら編集者たちや泰樹の強力な推しがあっても勝てないんじゃないかと考えて目の前が真っ暗になった。ああ!やっぱり僕はダメなのか!落ちていつもの売れない作家に逆戻りなのか。籠は不安でいてもたってもいられなくなり、とうとう泰樹に電話をしてしまった。

 しかし泰樹は電話にはなかなか出なかった。ワンコール、ツーコール、スリーコール、そして七回目のコールの後籠は諦めて電話を切ろうとしたが、その時コールが止んで泰樹が出た。泰樹は少し疲れたようなけだるい声で籠かと言い、なんか用かと聞いてきた。籠は特に用はないと答えた。彼は何となく泰樹と話をして彼が今でも自分の作品を推してくれているかを知りたかったのである。泰樹はそれを察して籠を安心させるために「大丈夫だ。選考作品の中ではお前の作品がやっぱり図抜けているよ。変な名前のタレントの小説は問題外だ。なんで最終選考までに残ったのかわからないよ。ベテラン作家二人の小説は気の毒だけどスタイルが古すぎて今の時代と合わない。女子大生の小説にはいいものがあるけど、やっぱりお前の作品が一番だよ」

 彼はこの泰樹の言葉に心底ほっとした。彼はありがとうと礼を言おうとした。しかしその時電話の向こうから大きな雑音がして泰樹の声が途切れてしまった。それから間もなくして泰樹が慌てたような声で出てきた。

「あっ、今取り込み中なんだ。悪いけど電話これで終わりにしてくんない?」

 籠は友人が自分の作品の選評を書くために忙しくしているのだと察してこう言って電話を切った。

「ありがとう。A賞作家として君に会えるのを楽しみにしている。じゃあな」


 そしてとうとうA賞の発表日が来た。落合籠はやはり緊張のあまり発表日の前日から一睡もせず、それどころか食事もとらず昨日から受賞会見用のスーツ姿でひたすらテレビとPCの前でA賞の発表を待っていた。今の彼にとって相撲も世界情勢もどうでもよかった。それより遥かに大事なニュースが彼を待っていたからだ。ずっとこの日を待っていた。ずっとこの時を待っていた。文学を目指すものが誰もが夢見るA賞。今その賞への階段の真下に僕はいる。この階段を登れるのは一人だけ。発表の後すぐにこの手元にあるスマホにA賞の事務から受賞会見のホテルに来るよう電話がかかってくるだろう。いや、それよりも前に僕をホテルに連れていくために掲載誌の編集者たちこのアパートにやってくるだろう。ああ!早く来い!A賞よ!僕はもう待ちきれない!

 11時頃に掲載誌の編集者から電話があり、今日の夕方に賞の発表があるからそちらに行きたいが大丈夫かと聞いてきた。このアパートは危ない人だらけでとても大丈夫とはいえなかったが、今日に限っては大丈夫というしかなかった。殺されてもいい、A賞さえ取れれば死んでもいいんだ。A賞の発表を前にして籠の妄想は膨張しまくりもう破裂しそうであった。

 しばらくして掲載誌の編集者たちがやってきた。彼らは異様に興奮した調子で、長らく自分たちの雑誌からA賞の受賞者が出てない事を話し、もし籠が受賞したら大々的に宣伝するからと言った。彼らは籠の部屋を見回して笑って酷い部屋だと吐き捨て、それからこう付け加えた。

「でも、A賞受賞したらこんなとこともお別れだな」


 ネットでもA賞を誰が取るかで盛り上がっていた。変な芸名のタレントか、ペンネームの下の名の漢字の難しい女子大生か、まぁ、この二人はただの客寄せパンダみたいな扱いだけど。じゃあベテラン作家の男女二人のどちらかか、いやいや今回の大本命の落合籠を忘れちゃいけないでしょ。候補作品の中で彼の小説が一番いいし、何より彼は今回から選考委員になった落合泰樹の学生時代からの友人だよ。この二人は昔のW村上みたいに、W落合だっていって互いに競って小説を書いていたんだ。それは最近落合泰樹が明かしてくれた事だけど。功成りを遂げた作家が売れない友人のために花を持たせてやる。これってかなり素敵な話じゃないか?でも落合籠って華なすぎじゃない?小説も大江ミーツ村上春樹って感じの引きこもり御用達って感じだしさ。いやいや、文芸誌買って最新作読めよ。すげえ事になってんぞ。などとネットのユーザーは最終候補者の中から誰が受賞するかを口々に予想したが、結局落合籠かタレントか女子大生で意見が分かれ、その中でも落合と女子大生がやや優勢だった。

 時計が夕方の五時を表示した時テレビの画面に金屏風の会見場が現れた。籠は朝からテレビでこの瞬間を今か今かと待っていた。今着ているスーツなんてこの方来ていないしかなりくたびれているけど構うもんか。マスコミどもはみすぼらしいスーツを着た僕を見て憐れんで笑うだろう。だがそんなことはどうでもいい。僕は君らの憐みと嘲笑なんか気にはしない。なぜなら僕はもうすぐA賞作家になるんだから。

 会見席には大勢のマスコミが詰めかけていた。会見席には誰もおらずただマイクが一本中央に置かれているだけだった。しばらくすると脇に立っていた会見の司会がマスコミに向かって発表会見の開始を告げた。それと同時に一人の長身の男が颯爽と現れてマスコミに向かって一礼してから席に座った。籠はその男を見てハッとした。ああ!そこにいたのは親友の人気作家落合泰樹だったのである。彼はまるで初恋の時のように胸が高まった。ああ!叶わなかったあの初恋。だけど僕は今そんな昔のゴミッかすのような思いでなんかよりよっぽど大事な物を手にしようとしているんだ。ああ泰樹!君が発表会見をするとは思わなかったよ!さあ今すぐこの親友の名前と小説のタイトルを言っておくれ!ありがとう泰樹、君は一生の友達だ!

「今回の受賞者は……」

「今回の受賞者は?」

 ここで泰樹は言葉を詰まらせた。籠の部屋で彼と一緒に発表会見を観ていた編集者はこのクソったれもたせるんじゃねえと愚痴りだした。籠はこの編集者の無礼な態度に怒って睨みつけた。今泰樹が僕の名前を読み上げようとしているんだからお前らは黙って聞いていろ!さあ、早く読み上げておくれ。僕の、この落合籠の名前を。

「すみません。もう一度初めからやり直します。今回の受賞者は……え~と新崎めぐさんの『アスパラガス達に溺れて』です。受賞理由としてはテーマが性消費される女性の苦悩という非常に現代的なものを扱ったものであって、彼女の力強い文体がそれを見事に描写しているからです。我々選考委員はそこに深く感動して全会一致で新崎さんを推しました。他にハイベンショーベンパワーさんの『便器はもう泣かない』や加藤紀夫さんの『地肌の侘しさ』を推す声もありましたが……」

 籠は泰樹の読み上げた選考結果を聞いて頭が真っ白になった。今聞いた事が信じられずこれは幻想だと何度も頭を振ってテレビを見直した。だが、残念ながらそこには幻想ではなく事実しか映っていなかった。会見を映しているテレビの下のテロップには落合籠ではなく女子大生だという新崎寵の名前がでっかく載っているではないか。ああ!よく見たら女子大生のペンネームの下のめぐって漢字は自分の名前と同じ龍を使っている。ああ!これじゃ僕の名前が彼女に奪われたみたいじゃないか!ああ泰樹よ!あの時僕に言ったことは全部嘘だったのか?今回の候補作の中で俺の小説が図抜けているってのはなんだったんだ!あの電話でもこの新崎っていう女子大生の小説いいけど、僕の小説が一番だって言ったじゃないか!それなのに!それなのに!編集者はこのあんまりの結果にテレビに向かって怒鳴り散らしそして、呆然としている籠に向かって舌打ちしながらアパートを出て行った。

あんまりのショックに籠は泣くことさえ出来なかった。ああ!僕の前からA賞が遠くに去って見えなくなる。ああ!あれだけ素晴らしい小説を書いたのに!泰樹どうして最後の最後で僕を裏切ったんだ!一緒にW落合になるって夢はどこに行ったんだ!籠は怒りに駆られて思わず泰樹に電話をした。だが、泰樹はすでに着拒していた。


 それからしばらく籠は名前の通り籠って過ごした。しかし生活は誰かが何故か毎月送ってくれる金の入った封筒で何とか成り立っていた。籠はこれは泰樹のお詫びだと思ったが、だが本人にそれを聞く術はなく、聞こうすら思わなかった。もう僕と泰樹の友情は終わった。全く惨めな結末だが全て泰樹が悪いのでどうしようもなかった。編集者から聞いた話では選評で自分の作品に触れているのは泰樹だけで他の選考委員は誰も彼と作品を無視していたそうだ。編集者は多分これは選考委員たちの新しく選考委員になった泰樹に対する反発だろうと言っていた。編集者は籠に泰樹は自分と新崎の作品を強く推した事を教えた。籠はそれを聞いてもしかしたら泰樹は本当は自分の作品を推したかったが、他の選考委員の圧力に屈して仕方なく新崎なんてバカな過激さだけが取り柄のバカ女子大生を推したのだと考えた。そうだとしたら、そうだとしたら僕は彼に対して申し訳が立たない。僕なんかのために君がそんなに苦しむなんて……。

 だがその半月後、落合籠はすべての真相を知った。その日彼は近所のコンビニに買い物に行ったとき、ふと寄った雑誌コーナーにたまたま陳列されていたA賞の受賞作『アスパラガス達に溺れて』が載っている雑誌を見てしまったのだ。そこにはなんと新崎めぐとああ!人気作家であり、A賞の最年少選考委員であり、そしてかつての親友だった落合泰樹の受賞記念対談があったのだ。籠はあの泰樹によるA賞発表の忌まわしい会見を思い出し、見まい雑誌から目を背けたが、ふと編集者が言った言葉を思い出し、せめて泰樹の選評だけでも読んでおこうと思って雑誌の中身を開いたのである。編集者の言う通り自分の小説にまともに触れているのは泰樹だけで、その選評は確かに新崎と自分を推していた。願うなら二人を同時受賞させたいということも書いていた。しかしその選評は半分以上新崎のことばかりで自分が残り半分の三分の二くらいしか書かれておらず、他の作家に至っては二言三言で片付けられているような代物だった。

 籠はこの選評を読んで情けなくなって涙が出てきた。いくら圧力があったとはいえこれはあまりにも酷すぎる。きっと文壇全体でこのバカの女子大生の新崎めぐを売ろうとしているのだ。籠はバカの女子大生の新崎に対する憎しみに駆られ、この女の正体を知ろうと彼女と泰樹の対談を読んだのだった。その対談には小説に対する姿勢とか、今流行りのLGBTに関する二人の見解などが語られており、籠は読みながらこのバカ女もまともな考えを持っているものだと感心したが、最後のページで二人がぎょっとすることを語っているのに目を留めて何度も食い入るようにページを読んだ。そこではまず泰樹が男って滑稽な動物だよねと、学生時代の友達から聞いた話として彼女とのセックス中に電話に出た話をしたのだが、籠はその話がまるであの時の自分と泰樹の電話そのままだということに気づいたのだ。泰樹はこんなことを言っていた。

「そいつは電話だからって嫌がる彼女を引き離して無理矢理電話に出たのね?その電話結局そいつの友達だったわけよ。でもその友達用なんか何もねえって言うのよ。でもそいつはその友達が苦境に喘いでいるのを知ってたからとにかくその場しのぎの慰めの言葉を言ったのよ。まあ、それはその友達と会った時にはずっと言ってたことらしいんだけど。そいつにとっちゃその友達は恩人だったらしいから」

 それに対してこのバカ女子大生はこんな返事をしていた。

「でもいくら友情のためとはいえエッチを邪魔された女の子は腹立ったんじゃないですか?私を放って何やってんのよって枕なんか投げたりしたんじゃないですか?私も頭に来たらそうするし……」

「そうなんだよ。その子も枕投げたんだよ、君みたいに。でさ、そいつは友情とセックスを天秤にかけて女の子を待たせてこのまま恩人でもなる友達の相談に乗ろうと考えたんだけど、結局はセックスを選んじゃった。まあ男ってバカだよね」

「それって女も同じですよ。友情だのなんだの言ったって結局は自分ファーストなんだから」

 この後文章には「」の中には二人の思わせぶりな(笑)が入り、そして対談の締めに泰樹は新崎に対してこんなことを言った。

「俺たち似た者同士だね。なんか名前の下の漢字もそれぞれW村上に似てるしさ。いっそW落合にならない?」

「いやだぁ、先生からかわないでくださいよ。私夫婦別称派ですよぉ~」

 籠は対談を最後まで読み終えて世界の全てが崩れていくのを感じた。ああ!泰樹はあの電話の時このバカ女子大生とエッチしていたのか!それであんなに疲れたような声していたのか!あの雑音は枕がぶつかった音だったのか!ああ!ろくでなしめ!泰樹お前は僕を憐れんでいただけだったのか!このクズ野郎め!ああ!W落合になるって本気で思っていたのは結局自分だけだったのか!何が俺たち似た者同士だからW落合にならないかだ!W何とかってのは同性限定なんだよ!しかしこう叫んでも今はもうすべてが空しかった。今の籠は旦那の泰樹に騙され続けられついに捨てられた妻の籠であった。ああ!もう旦那から離婚して独り立ちしなくてはならない。友情を捨てて改めて作家としてものを書かなくてはならない。彼はW落合ではなく一人の小説家落合籠として生きなければならなかった。


 その後落合籠は路線を純文学から思いっきり路線変更してエロ作家となった。そのエロ作家としてのデビュー小説は自らの名字をタイトルに入れた『W落合の夫婦の営み』である。この小説は作家夫婦として今一番有名な純文学作家落合泰樹と新崎寵夫婦をモデルにしたものだが、あまりにも生々しいセックス描写が話題となり、モデルの落合・新崎夫婦から出版差し止めの訴訟するのではないかと言われている代物である。とにかくW落合の電話をしながらセックスする濡れ場が好評らしく、読者の中には小説の真似を実際にしたものもいるらしい。ちなみにこの小説は落合籠の初単行本作品である。売れ行きはそこそこあり、今では小説だけで何とか暮らしていけるらしい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?