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いじめっ子といじめられっ子

 同窓会なんかに興味がなかったのに来てしまったのは彼女が僕を招待してきたからだ。彼女は今年の幹事になったそうでその事を挨拶にも書いていた。お久しぶりですなんて書き出しは同窓会のテンプレで別にたわいもない言葉だ。だけど彼女が書いたとなると事情が変わってくる。この同窓会は中学三年のクラスの連中のものだ。毎年田舎の親が東京の僕の所に転送してきたが、僕は一度も行かなかった。それどころか高校に進学してから連中と会わないように避けていた。理由は簡単だ。僕はこのクラスである男にずっといじめられていたからだ。

 だけど彼女の招待状一つでこんなに心が変わるとは思わなかった。案内文は直筆で、中学の頃僕と当番になった時に黒板に自分の名前と僕の名前を書いていたのと同じ筆致で書かれていた。一番下には参加される場合は下のアドレスに参加希望の旨を書いて送るようにとある。僕は最初は行くわけがないと思いすぐに招待状をゴミ箱に捨てようとした。だけどいざ捨てようとした時ふとなつかしさがこみあげてきて留まった。

 彼女は僕の黒に近い灰色の十代を唯一彩ってくれた人だった。女子で話しかけてくれたのは彼女だけだったように思う。もしかしたら僕に好意以上のものを抱いているのかもしれないなんて事を考えたこともある。勿論そんな事はありえないってすぐに打ち消したけど。

 しばらく考えて行くか行くまいか迷った後僕は勇気を出して彼女のアドレスに参加希望のメールを送った。すると半日ぐらいしてから彼女から返信が来た。その中で彼女はあの男の名前を出して彼も来るよと書いていた。彼女は中学時代僕とアイツが友達同士だと思っていた。だけど今更誤解を晴らすにはあまりにも時間が流れすぎだ。アイツとは中学を卒業してから何度か会った事はあるが、アイツはあの頃自分がした事を過去の思い出だとものだと思っているようで、数年たってたまたま道で僕と会った時あの頃は悪かったよなぁなんて冗談めかして言っていた。

 そんなわけで僕は今同窓会の会場である東京にあるホテルの前にいる。同窓会は毎年ここででやっているそうだ。多分僕らの地元が東京からさほど離れてなく東京に住んでいるものが多いからだと思う。ホテルの入り口に着いて会場への案内板みたいなものを確認しようとしたら。スーツ姿の男が背中を向けて二、三人立っているのが見えた。男たちはキョロキョロあたりを見回し、振り返って僕の方を見た。僕は彼らの中にアイツがいたらと動揺したが、アイツではなかった。だがクラスの中の誰かの面影はある。彼らは僕に気づくこともなくそのままエレベーターホールの方に行ってしまった。

 僕は彼らが立っていた場所まで歩いた。多分あそこに案内板があるのだろう。来て見るとやはり案内板はあった。四階の中宴会場だとある。僕は案内板を見た瞬間いじめの記憶がよぎり、やっぱり来なければよかったと思い始めた。とその時後ろから数人の足音がした。僕は後ろを振り返ると早足でその場を去った。歩いてすぐ僕は自分の情けなさを悔いた。もしその連中がクラスメイトだったとしても、どうせ会場で会うわけだし挨拶でもしとけばいいのだ。たとえアイツがそこにいたとしてもこちらに何かしてくるわけじゃないし、適当にやり過ごせばいい。だけど僕は躊躇いの気持ちが表に出てしまい、思わず逃げてしまった。みんな僕に気づいたであろうか。誰も気づかなかったらこのままホテルから逃げて後で彼女に謝罪のメールでも送ればいいと考えた。

 だが、僕は四階行きのエレベーターに乗ってしまっていた。ホテルから逃げ出そうとしたら途端に臆してしまったのだ。彼女がわざわざ直筆の招待状を書いて誘ってくれたのに逃げるなんて出来はしなかった。エレベーターには誰も乗っていなかった。そのことに少し心が安らいだ。。だがあっという間にエレベーターは四階に着いてしまった。止まったと同時にドアが開いた。だけど僕は開いたドアから足を進められなかった。目の前のエレベータルームは異様に殺風景で人のいる気配などない。もしかしたら誰もきていないんじゃないかと思った。同窓会はなんらかの事情で急遽中止。あまりに急だったのでメールでの連絡も案内板を外すのも忘れていた。バカバカしいことだがそんな想像さえした。だがエレベーターはそんなバカみたいな想像をしている僕を怒鳴りつけるように早く降りろとブザーを鳴らした。僕は仕方なしに降り、そして案内板に書いてあったように左の通路に向かった。

 突き当たりを曲がる所で女性と出会した。僕は慌ててぶつかりそうになった事を謝ったが、女性もまた僕に謝ってくる。僕は女性に一礼して先に進もうとしたが、女性は僕を呼び止めて〇〇中学校の同窓会の参加者かと尋ねてきた。その女性の馴染みのある声を聞いて僕はハッとして振り返った。彼女は大人になってすっかり変わってしまったが、まだ中学時代の面影はあった。間違いない恵子さんだ。僕はそうですと答えてから自分の名前を言った。

「ええっ!義夫くんなの⁉︎あんまり変わってるから別の集まりの人かと思った。久しぶり!中学ぶりじゃない!全然同窓会に顔出さないからどうしてるのかって心配してたんだよ!へぇ〜ホント変わったねぇ〜!そうだ武くんとは連絡とってる?」

 恵子さんはアイツの名前を口した瞬間また中学の嫌な思い出が頭を掠めた。僕は全然とっていないと答えると彼女は武も来るんだけど少し遅れてくるんだよねと言い、そして僕にみんな待ってるから早く受付済ませましょと会場に僕を案内した。

 会場に入ると中にいた人間が一斉に僕の方を向いた。意外に参加者は多かった。丸テーブルの奥に座っている白髪の初老の男は担任だろう。その担任を囲んで何人か立って談笑している。他の連中は自席に座っていたり、壁際で話したりしている。その中にはさっき僕が見かけた男たちもいた。隣にいた恵子さんが部屋のみんなに向かって僕がきた事を伝えた。

 みんな不思議そうに僕の顔を見た。誰も僕のことなんか記憶にないといった感じだ。僕はそのみんなの表情を見て元々目立たない人間だったから覚えてなくても当然だと思った。それに時間があまりにも経ちすぎている。僕もみんなの顔などほとんどわからない。ただなんとなく輪郭だけなんとなく覚えているっていう程度だ。それにみんなもうあの頃とはすっかり変わってしまっていた。みんなもう中学生ではない。もう社会人で結婚して親になっている奴だっているはずだ。大体同窓会なんかに出てくる奴はリア充に決まっている。恵子さんもそうだが、きっとみんなそれなりに充実した生活を送っているんだろう。僕はやっぱり同窓会なんかくるんじゃなかったと思った。その時恵子さんが席を案内したいと言ってきた。そして僕を椅子に座らせると彼女はみんなに向かって言った。

「これで参加者は大体そろったね。みんな、今年は一番参加者多いんだよ。義夫くんも初めて参加してくれたし。武くんはさっき一時間ぐらい遅れてくるって連絡あったからもう始めるよ。じゃあみんな自分の席について。みんなが席についたらさっそく先生に乾杯の音頭とってもらうからね」

 席についた僕は両隣に座っていた参加者に軽く挨拶して名前を聞いた。しかし互いの名前を聞いても中学時代にろくに会話したことなんかないので全く話も進まなかった。二言三言言っただけですぐに話が途切れてしまう。僕の両隣の男と女は二人ともいい服を着ていた腕時計もブランド物だ。きっと彼らは身につけている高そうな服や腕時計をキャッシュで買えるのであろう。古着屋で慌てて拵えた自分の惨めな格好とは大違いだ。

 そうして参加者が全員席に着くと恵子さんの指示で元担任が立ち上がった。担任は涙ぐんで同窓会なんてやってくれるのはお前たちだけだ。教師を辞めて一年になるが未だお前たち以外の生徒からも同窓会の誘いがないと言った。元担任はそんな事を語った後グラスをあげて乾杯をした。

 そうして同窓会は始まりしばらくしてから男の方が僕の隣の女に向かって今何やっているのかと聞いた。女は自分は商社で働いていて先月ニューヨークに出張していると答えた。すると男は俺も商社なんだと言って自分が商品を格安で買い付けた事を自慢げに語り出した。女は男の話にすごいとか大袈裟に感嘆している。僕は二人の話を聞きながらやはり来るべきじゃなかったと思った。ここにいる人間の中で明らかに僕だけが浮いていた。まるでドラマのキャストの中に素人が紛れ込んだような感じだった。二人は僕を挟んで異様に盛り上がり今度どっかで逢おうとかそんな話をしていた。僕はなんだか居づらくなって椅子から立ち上がり二人に向かって自分は空いている所に座るから座っていいと声をかけた。男はいいのかと笑いながら僕に礼をいいさっそく空いた席に座った。僕は隅にある空いている席に座った。その僕を見てテーブルの向かい側の中程に座っていた恵子さんが近づいてきて訝しげな表情で尋ねてきた。

「あれ、席移っちゃったの?」

「いや、僕の両隣がなんか楽しそうに会話してるからなんか邪魔になっちゃうかなって思ってさ」

「ああ、そっかあ。今回は席をシャッフルして出来るだけみんな親睦を深めるように思ったんだけど。ごめんね、なんか気の毒なことしちゃったみたい」

「いや、別にいいよ。みんな久しぶりに集まった楽しくやったらいいよ」

「確かにね。あっそうだ武くんからもうすぐ駅に着くって連絡あったよ」

 武が来ると聞いて心臓がバクバク鳴りだした。全くバカげている。もうあれから十年は経っているのに今だに怯えるなんて。いい加減大人になれ。そんなんだから会社勤めも長続きしないでこんな惨めな状態になっているんだ。

「ねぇ、知ってる?武くん自分の会社立ち上げたんだって。なんか業績もすごい良くて新しく事業所を作るのに忙しいらしいよ」

「へぇ凄いね」

「それ聞いたら来てくれないんじゃないかって思ったんだけど、武くん何とか暇とって来るからってさ。ホント義理堅いよね。あっ、義夫くんが来ることも伝えといたよ。武くんすっごく喜んでたよ。早く会いたいって」

「そうか」なんて平静ぶって相槌打ったけど心は激しく揺れていた。多分アイツが来ても何も起こりはしないとわかっているのにそれでも体が震えた。

 それから恵子さんは自席に戻った。再び一人になった僕は部屋の人間がかしましく騒ぐのをただぼうっと見ていた。僕はますます自分がまるで出来の悪いドラマか映画に迷い込んだような気分になってきた。恵子さんは昔から全く変わらなく僕と接してくれるけど、それはほとんど貧しい人間への憐れみに近いように思えた。何もかもが惨めだった。この人たちはきっと幸せなんだろうななんてつまらない妬みさえもたげて来る。一人そんな事を考えていたら恵子さんがスマホを手に突然席を立った。とうとう武が来たのだ。

 恵子さんが部屋に一緒に入ってきた男を武くんだと紹介した時、一瞬僕はどこの武だと思った。このすっかり出来上がったような立派な男がとてもあの武だとは思えなかった。みんな武に向かって歓声を上げて拍手を始めた。武はその歓声の中挨拶に回った。みんなが彼の前で口々に褒め称えた。いきなり自分の会社持つなんて凄いよなぁ。まさか悪ガキだったお前がか。なんて事をみんな言っていた。その褒める連中と武を見てさらに自分が場違だと思うようになった。早くこっから出たいと願った。だけど今はタイミングが悪すぎる。

「おお久しぶり。お前義夫だよな?」

「こちらこそ久しぶり。元気?」

「いやぁ、全然変わってるから一瞬誰か気づかなかったよ。どこのおっさんが紛れ込んでいるのかとおもってさ」

 武はこう言ってゲラゲラ笑った。そのむかつくニヤケヅラを見てやっと頭の中でこの目の前の男といじめっ子の武が結びついてきた。

「あっ、武くんの席義夫くんの隣だから座ってよ。久しぶりにあったんだから話したい事いっぱいあるでしょ?」

「ああコイツの隣?別にいいけど。それでお前はどこに座ってるの?」

「ああ、先生のそばよ。私今年幹事だから」

「あんな爺さんの隣じゃ退屈じゃね。こっち来いよ」

「爺さんって。そういうとこ全然変わってないよね。もう社長なんだから普段から態度気をつけないといざって時ヘマするよ」

「うるせいな。こんな時までお説教するんじゃねえよ」

「はいはい、もうお説教はしませんよ。義夫くん、私の代わりにコイツの相手してやって。じゃあ」

 恵子さんはそう言い残してそのまま僕らの席から離れた。すると一気に気まずい沈黙がやってきた。別に武と話すことはないし、奴も恐らく僕と話すことはない。でも離さなきゃこの沈黙からは逃れられない。と考えていたその時武が口を開いた。

「あの、最後に会ったのいつだっけ?」

「多分高校三年の時じゃないかな」

「あ、そうだ。夜コンビニに買い出しに行ったときたまたまお前が入り口からでてきたんだったかな。あれからもう何年にもなるな……」

「そうだね」

 武はそこで口を閉じ、腕を組みながら僕をじっと見た。そしてこう言った。

「お前、今何やってんの?」

 この武の言葉を聞いたとき背中がぞわっとした。コイツは今僕の一番触れられたくない事をほじくり出そうとしていた。だけど僕は武に嘘やごまかしは無駄だって事はよくわかっていた。武は昔から僕が下手なうそをつくと鋭くそこを見抜いて正直に吐かせるまで延々と質問攻めしてきた。だからここで嘘をついたらみんなの前で僕が恥をかかされる。だから正直に全部話した方がマシだった。

「新卒で入った会社は一昨年やめて今は派遣で働いているよ」

 僕がこう話した瞬間武は一瞬固まった。そしてわざとらしく僕を憐れむような顔を見せて言った。

「それは……まぁ、お気の毒に」

 それから武は質問の代わりに僕の全身を眺めまわし、軽蔑と憐みの混じった不愉快極まる顔でこう付け足した。

「いやぁ、そうなのか。まぁ、頑張れよ」

 宴会が進むともう席なんて関係なくなった。男女とも酒を飲みホテルからクレームが来そうなほどの騒ぎ出した。恵子さんはその度に注意していたが効果なんてまるでなかった。元生徒たちだけだったらそれでもよかったが、なんと定年退職したての元担任まで騒ぎ出した。元担任は追っ払いのオヤジ丸出しで酒を飲み、女子に近くに来るよう要求した。もう席なんかどうでもよくなり皆好き勝手に移動していた。武の元にも何人か集まってきてみんな口々に彼の会社の事を聞いた。武はそれらの質問に対して上機嫌に答え、もう少しで上場するからそしたらお前ら株買えとか言っていた。武とその周りに集まる連中は今の僕からすれば全くスクリーンか液晶画面の向こうにいる人間だ。その連中が僕がまるでいないように自分たちの仕事や暮らしの事を話している。連中は仲間の自慢話に大げさに反応し、そして自分にふられるとさらに大げさに自分語りを始める。手あかのついたいかにもテレビドラマに出てくるような薄っぺらな世界そのままの事を語っている連中。それをバカにするのは簡単だ。だけどそんな事をしてもただの妬みでしかない。なぜならそれは僕が一生かかっても手に入れられないものだからだ。

「あ~あ、先生ようやく落ち着いた。あれみんな武くんの所に集まってどうしたの?」

 恵子さんがいつのまにかそばに来ていた。僕は彼女が自分を救いに来てくれたような気がしてホッとした。

「まぁ、もう完全にぐちゃぐちゃになっちゃったしいまさら自分の席に戻れなんていってもしょうがないか。やっぱりみんな武くんのこと気になるんだ」

「そりゃ気になるでしょ。だってクラスで一番の悪ガキだったコイツが今じゃ注目の青年実業家よ。あの頃誰もコイツがここまで出世するなんて思わなかったじゃん」

「まぁ、そりゃそうだけどさ」

「恵子さ、あの頃武と仲良かったじゃん。いっそ武と付き合っちゃえば?……あっ、もしかしてすでに付き合ってた?ごめ~ん!全然気づかなくて!」

「バカ!何言ってんのよ!私と武くんが付き合ってるわけないじゃん!それに私彼氏ちゃんといるし……」

「おっとぉ、これは衝撃的な発言!恵子って今まで自分から恋愛関係の事口にしたことなかったよね?もしかして結婚とか考えたりしてる?」

「ああ!ただうっかり口に出しただけ!結婚なんてまだ考えてないし!」

「ああ!ショックだああああああ~!俺恵子の事ずっと好きだったのにぃ~!」

「武くんふざけて大声出すのやめてよ!ほら義夫くんだって迷惑してるでしょ!」

 みんなが恵子さんの彼氏の事で騒ぐ声でもう僕はふらつきそうだった。もう僕らは大人だし恋愛ぐらいしているはずなのだ。そんな当たり前の事がただ明らかになっただけの事なのにどうしてこんなに動揺して彼女に裏切られたとさえ思うんだ。もう僕は中学生じゃない。恵子さんも、武も、そしてここに集まった連中もみんないい大人なんだ。だけど僕はその事実の衝撃に打ちのめされている。回復不可能な病人のように足元はフラフラだ。やっぱり恵子さんも武や他の連中と同じスクリーンの向こうの人なんだろう。幸せいっぱいに輝いていずれ結婚してどっかの不動産のCMのような生活を送るのだろう。僕はそれをただ見ているだけなのだ。切り離されたスクリーンの外の現実で。

「だけどさ。みんなホント立派になったよなぁ。俺も自分で言うのもなんだけどまさか企業立ち上げるなんて思ってなかったぜ。あの頃親だってあきれ果ててお前なんかコネでさえ就職出来ないってよく愚痴っていたからなあ。まぁ、あの頃の俺は確かに酷かったよ」

 と妙な感傷的に自分語りをしていた武はここで話をやめて、いきなり僕をヘッドロックしてきた。僕は突然の出来事に抵抗どころかもがく事さえできなかった。

「コイツをこんな風にいじめたりしてさぁ!」

「ちょ、ちょっといきなり何すんのよ!義夫くん苦しがってるでしょ!」

「おっ、と冗談だよ、冗談!友達同士のスキンシップだよ!義夫悪いな」と武が笑いながら僕の首から手を放して大丈夫かと声をかけてきた。僕はみんなの顔を見てそして笑いながら武に言った。

「なんだよ。いきなりびっくりするじゃないか。まあ慣れてるから大丈夫だけど」

 さっきまで不安がっていた連中も僕の言葉で安心したのか一斉に笑い出した。恵子さんもみんなと同じように笑っていた。ここで実はいじめられていましたなんて告白しても笑いものになるだけだ。僕はもう大人なんだ。いつまでも子供時代の事を引きずってちゃいけないんだ。僕はそれからしばらくしてみんなにトイレに行くと告げて部屋を出た。部屋の中の笑い声が廊下にまで響いていた。

 トイレに籠って僕は改めて思った。やっぱり同窓会に参加すべきではなかったと。もう僕のいる世界とあの人達の世界は違うんだ。あの人たちはスクリーンの中に入り、僕はそれを冷たい風が吹く路上から眺めるしかないんだ。もう今すぐ帰ろうと思った。

 僕は部屋に戻ってからみんなに急な用事が出来たから帰ると言った。恵子さんは僕の言葉を聞いて二次会にも来てもらおうと思っていたのにと残念そうな顔で言った。他の連中は誰も僕が帰ることなんかどうでもいいみたいだった。ただ適当な挨拶をくれただけだ。武は奥で数人の女子と喋りながら手を振って僕を見送った。僕はドアの前で恵子さんにお辞儀をしてそのまま去ろうとしたが、その僕を恵子さんが止めてエレベーターまで見送るからと言って僕についてきた。

「来年もまた来てくれる?」

「うん、予定があえばね」

「今日はあんまり話せなくてごめんね。なんかいろいろありすぎてさ。来年はホントにちゃんとして義夫くんにも楽しんでもらえるように努力するからさ。懲りずに来てほしいな」

 僕は恵子さんの前で嘘を重ねるのは辛かった。彼女だけはあの頃のように他の連中と違ってまともに僕と接してくれた。彼女だけがあの頃のように僕に彩りを与えてくれた。だけどその恵子さんももう僕と別の世界の人だ。彼女もやっぱり他の連中のようなスクリーンの住人なのだ。そして僕はそのスクリーンの外であるはずのない夢を見ている観客に過ぎないのだ。今エレベーターがやってきて僕を吸い込んでゆく。僕はカーテンのように左右から閉められるドアの向こうの恵子さんにお辞儀をしながらそっと彼女に別れを告げた。


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