見出し画像

娘はなぜ「娘」をやめられないか#1


毒母と娘の関係は、不健全であるにも関わらず、断ち切りたくてもなかなか断ち切れないという現状があります。

娘はなぜ「娘」をやめられないのか?について
私の実体験エピソードから分析していきます。
今回は#1です。


親が悲しむから…


私は商売を営む家庭に産まれ育ちました。
父方の祖父の代から引き継いできた商売です。
田舎ですが地元テレビ局でCMが流れていたので、知らない大人にも「〇〇さんとこのお嬢さん?」と反応されることがよくありました。
幼いころはそれが心地良く、親は私にとって偉大で尊敬する存在でした。

そんな世間体最優先の環境で育てられたにも関わらず、思春期になっても嫌悪感を感じなかったのは、きっと私が、親の世間体に見合う子どもだったからだと振り返ります。

私は幼少時、比較的利発な子で、お受験して入る名門幼稚園に通っていました。親にとっては、従順で期待に応えてくれる、いい娘だっただろうと思います。実際3人兄弟の中で通っていたのは私1人、それがより期待を増幅させたのでしょう。

ところが11年後、高校受験に失敗したことで私の価値は大暴落します。
「自慢の娘」から「親に恥をかかせた娘」へと。
名門幼稚園は、内部試験のみで中学まで進学できたので、11年間のほほんと過ごしてきた私は、スッカリに選ばれない側の人間になっていたのです。

当然、私はプライドがズタズタ、直後はそれなりに落ち込みましたが、身から出たサビなので笑うしかありません(笑)
ですがすぐに、大学受験でのリベンジを決意し、挫折を忍耐へと変換させます。

私を大きく揺さぶったのは「猛烈に母にガッカリされた」という事実です。兄が一足先に受験にコケていたおかげ?で免疫はできていたものの、私への期待は逆に倍増してしまっていたのです。

とてもとても重荷でした。悲しいのは私自身なのに…
母親の悲しさは、娘の悲しみを悲しんでいる悲しさではないことが15才の私でもわかりました。

もちろんリベンジの理由は「自分が悔しいから」なんですが、それでも「母親を喜ばせたい」という想いが、挫折を忍耐へ変換させる重要な触媒になったことは確かなのです。

歪んだ愛は、自己犠牲を生んでしまうんですね。
進学の目的は「大学で何を学びたいか」ではなく「母の喜ぶ名の通った大学に入ること」になっていました。

さらにいうと、私は挑戦することをとても恐れるようになりました。
1度ガッカリさせた経験が、もう2度とガッカリされたくないという思考になっていたのです。
十分安全圏だった目標校を、受けたくないと主張したのを今でも覚えています。勝負することを避けたかったからです。

そしてさらに驚く事実がのちに発覚します。
結局、説得されて受けた大学は3つ、そのうち第1志望は合格できなかったのですが、その大学の受験学部を、母は親戚に虚偽報告したのです。
要するに「レベルが高いところに挑戦した」けど「ダメだった」という結果にしたかったわけです。
その親戚とは母の父親(祖父)でした。

母は、私を利用して自分の父親に虚栄をはったわけです。正直その行動には唖然としました。
かんばったこと自体に後悔はありませんが、「母を喜ばせるため」にがんばった部分を帳消しにしたくなったできごとです。


「親が悲しむから」と自分に無理をしているとしたら
「その悲しみは本物ですか?」と、いったん問いかけてみてください。


#2へつづく




#毒親 #毒親サバイバー #母と娘  #母娘 #親子関係 #子育て #親子の悩み #母親の悩み #縁を切る #自立 #依存 #共依存 #愛されたい
#生きづらい #結婚 #離婚 #自己肯定感 #アダルトチルドレン
#毒母 #女性 #心療内科 #カウンセリング #そう鬱病 #うつ病
#お母さん #親 #自己愛

全てのできごとは捉え方次第で「春の陽気」にも「冬の北風」にもなります。 あなたの視界が、北風から陽気に変わりますように♡ そんな想いで、日々記事を更新しています!