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落語家探偵 事件ノオト 第三話 第一発見者

 『尾祖松商事社長、自宅で死亡! 心臓発作か?』
 早朝、ニュース番組の字幕テロップが目に飛び込んできた。俺の脳裏に、あの事件が鮮明に蘇った。
 
               * * *
 
 ある営業マンが尾祖松商事へ商談に行く途中、車に跳ねられて死んだ。俺たちはこのひき逃げ事件の現場調査に同行したことがあった。
 当時、とある大型プロジェクトの競争入札で、尾祖松商事に談合疑惑がかけられていた。ガイシャ(被害者)は談合に関する情報を握っていたため、誰かが雇った殺し屋に消されたんじゃねえか、って噂が流れたが、結局、「ながら運転」の車に跳ねられた、ってことで事件は終結した。妙なことに、このひき逃げ事件が幕を下ろした途端、談合疑惑に関してマスコミが一切報道しなくなったもんだから、尾祖松商事の事なんざ、今の今まですっかり忘れちまっていた。
「こりゃあ、居ても立っても居られねえ」
ってんで俺は、白Tシャツ、インディゴブルーのジーンズに雪駄履き、お気に入りのスカーフを首に巻き、羽根挿しの麦藁帽を小粋に頭に乗っけて家を飛び出した。江戸川亭探偵事務所の戸を「ダーンッ!」と開けた俺は、開口一番、
「てえへんだ、てえへんだ。尾祖松社長が死んだらしいぜ」
「おいらもさっきネットニュース見て、びっくリングだ」
 手ぬぐい鹿撃ち帽、浴衣風トレンチコート、漆黒の革靴、手には扇子という出で立ちの男。落語家探偵、江戸川亭四太郎だ。で、俺は弟弟子の鉢五郎。四太郎の助手をしている。
「死因は心臓発作らしい」
「ヒートショックかな?」
「風呂場じゃなくて寝室なんでさあ。なんでも、赤ん坊の世話に来てたベビーシッターが、この世のものとは思えないような凄まじい絶叫を聞いたんで隣の寝室を見たら社長が倒れてた、ってニュースでは言ってましたけど」

 ニュースで聞いたことや記事で読んだことを、二人で「あーだ、こーだ」とやっていると、一人の大男が事務所の入り口からツカツカと入って来た。
「あっ、熊さん」
リーゼントヘアにマトンチョップ頬髭、ティアドロップサングラス、エルヴィス・プレスリー風の高襟フリンジ付き白ジャケット、裾開きの白パンツ、白ブーツの出で立ち。両国警察署の熊倉刑事だ。
「今回もご協力お願いしますよ」
決めポーズをとった後、キラリと白い歯を見せ、サングラスを外す。
「ってことは、尾祖松社長の件はやっぱり、殺しですかい?」
身を乗り出して状況を聞き出そうとする俺を横目に見た後、ポケットから取り出した櫛で頭を撫でつけながら、熊倉刑事が意味深に言う。
「現場には、死亡した社長の他には、ベビーシッターの女性と赤ん坊しかいなかった。当然、警察としては第一発見者の彼女を重要参考人として取り調べているんですがね」
 
 熊倉刑事の話はこうだ。
 先月、尾祖松夫妻に初めての子どもが生まれた。男の子だ。社長の女房は赤ん坊が生まれてすぐに死んじまったらしい。んなわけで、ベビーシッターを雇って世話をしてもらっていた。ところがだ。雇ったシッターがすぐ辞めちまった。仕方ねえから別のシッターを雇ったんだが、これまたすぐに辞めちまう。その繰り返し。三日続けば長い方だったんだとか。事件当日に居合わせたのは七人目のシッターで、しかも初日だった。社長とも初対面だし、殺しの動機があったとは到底考えられねえ。
 
 「というわけでヨタさんには、辞めた六人のシッターを探し出して聞き取り調査をお願いしたい」
「あいよ」
 熊倉刑事の話を聞き、スマホのチャットGPTと睨めっこしていたかと思ったら、今度は扇子をパタパタと扇ぎながら考え事をしている様子の四太郎。しばらくすると扇ぐ手がピタッと止まり、閉じた扇子でぽんっと手を打つ。
「鉢、シッターの探りはお前に任せた」
「兄さんはどうなさるんで?」
「ちょいと気になることがあるから、おいらはそっちを調べてみるよ。じゃあ、よろしく」
「へえ、合点だ」

 師匠宅。
 今日はなにやら師匠の機嫌が良くねえ。
「おいコラァ、鉢! 酒はどうしたーーー!!!」
「し、し、師匠、ちょうど今から出掛けようとしてたんでさあ」
「てめえ、コノヤロウ、はやく行ってこい」
「へえ、合点だ」
 慌てて飛び出した俺はすぐさま車を走らせ、横丁でぶらぶらしている四太郎の居場所を瞬時にGPSで探し出して助手席に押し込んだ。一路、東京都青梅市へ。

 青梅街道を奥多摩方面へ、小鳥のさえずりと清流のせせらぎが聞こえるのどかな風景の中を、ローバーミニが猛スピードで突っ走って行く。小澤酒造(東京都青梅市沢井2-770)に到着し、蔵人、四太郎、鉢五郎の3ショットを撮り、銘酒『澤乃井』を入手。豆腐好きの師匠を喜ばせてやろう、ってんで、酒蔵直売店『ままごと屋』で買った自家製おぼろ豆腐を手土産に、再び、青梅街道を駆け戻る。
「ただいま戻りましたあ!」
 なんとか機嫌がおさまった師匠をパシャリ。ほろ酔い気分の師匠に見つからねえようこっそり抜け出し、写真とレポートをアップしておいた。

奥多摩の風景

 
 小料理屋「七草」。
 ここは、一番弟子で真打の江戸川亭酒乱(しゅらん)兄さん馴染みの店だ。落語をはじめとした芸能関係者もちょくちょく顔を出す。
「こんちは」
「いらっしゃい、はっちゃん。ヨタちゃんなら先に来てるわよ」
 女将の奈津菜(なつな)さんは元看護師。んなもんで同僚だった医療関係の女性客も多い。毎晩、なかなかの盛況っぷりだ。
 カウンターで先に飲んでた四太郎の隣に腰掛け、駆けつけ一杯とばかり、お気に入りの備前焼ぐい吞み茶碗で一気に酒を流し込んでから、さっそく俺は報告をはじめた。
「辞めた六人は皆、口を揃えて同じ事喋りやがるんでさあ」
 
 シッターたちの話はこうだ。
 草木も眠る丑三つ時、夜中の二時頃だ。
「もう怖くて怖くて」
「何があった?」
 寝ていた赤ん坊がムクっと起きて、寝室のドレッサーに置いてある女性用化粧水やら乳液やらを舐めるのだという。あまりの不気味さに怖くなって辞めちまったんだと。

 続いて、四太郎が話しはじめた。
「おいらは、ちょいと気になったんで尾祖松夫妻の事を探ってみたんだ。もともと、あの夫妻はしょぼくれた居酒屋をやってたんだってさ」
 四太郎が当時の常連客を探し出して酒を奢ってやると、みんな調子に乗ってぺらぺらと何でもよく喋る。そこで妙な話を聞き出してきた。
 
 常連客の話はこうだ。
 古い馴染みの客で、かすかに生えた白髪交じりの頭、尖った耳、くぼんだ眼、三重の上瞼、眼の横位置に座る低い鼻、皴の寄った口元、まるでスターウォーズのヨーダを思わせる風貌の小汚い爺さんがいたという。この爺さん、酒を注文する時に、いつも半分ずつ頼む癖があったらしい。
「おい、爺さんよ。面白い頼み方をするもんだねえ」
「お恥ずかしいんですけどね、こうやって半分ずつ頂くと、同じ一杯でも二杯飲んだような心持ちがするんです、はい」
 爺さん、器を両手に持って、ごくり、ごくり、ごくりと飲んで、嬉しそうに、
「もう半分」
とおかわりを頼む。
 ところが、この爺さん、駅のホームで飛び込み自殺をした。なんでも、五百万近い借金を抱えてたそうだ。ある日、爺さんがボロボロのリュックサックを肩にかけて、いつものように尾祖松夫妻の居酒屋にやって来た。
「もう半分、もう半分」
と気分よく飲んで、リュックを忘れて帰っちまった。実はその中には、愛娘が身体を売って作ってくれた借金返済用の金が入っていたという。慌てて店に引き返したが、夫妻は、
「そんなリュックなんか知らない」
の一点張り。爺さんがあんまりしつこいんで、
「妙な言いがかり付けるんじゃねえ、このじじいめがっ」
と罵り、挙句の果てに、爺さんの首根っこを引っ掴んで店の外に放り出し、足蹴にした上、戸をぴしゃりと閉めちまった。
「くそおぅ、覚えてやがれ。おまえら、地獄の底まで、とことん呪ってやるわ」
 絶望した爺さんは呪いの言葉を口走りながらホームに飛び込んだ。と、そんな噂がまことしやかに流れた。噂の真相はよく分からねえが、間もなく、夫妻が店を畳んで小さな会社を立ち上げると、二年余りで急成長した。それが尾祖松商事、ってわけだ。
 
 俺たちが互いに黙って推理を巡らせながら酒を飲んでいると、カウンター越に奈津菜さんがこんなことを喋りはじめた。
「そういえばこの前ね、昔の同期の看護師が来たのよ。産婦人科病院に勤務してるらしいんだけど、そこ、尾祖松社長の奥さんが出産した病院なんだって」
 
 看護師の話はこうだ。
 生まれた男の子は、いわゆる、異形をしていた。生まれたばかりなのに歯が生えている。かすかに生えた白髪交じりの頭、尖った耳、くぼんだ眼、三重の上瞼、眼の横位置に座る低い鼻、皴の寄った口元。赤ん坊を一目見た社長は、
「まるで老人だ」
「何を言ってるの、あなた。生まれたばかりの赤ちゃんは皴だらけなのよ」
 抱きながら顔を覗き込んだ女房に向かって、赤ん坊がキッと目を見開いて歯をむき出した。
「ぎゃああっ」
 女房は恐怖におののいた形相で死んじまった、ってわけだ。


 翌日。
 第一発見者のベビーシッターの事情聴取を終えた熊倉刑事がやって来て、捜査の進展状況を教えてくれた。

 シッターの話はこうだ。
 深夜二時頃。赤ん坊を寝かしつけて一息ついていると、突然、体に疲労感を覚えたんで横になった。頭は冴えてるのに体が動かねえ、いわゆる金縛り状態になったという。すると、さっきまですやすやと寝ていた赤ん坊がムクっと起き上がって、こちらに近付いて来る。怖くて目を開けられねえ。赤ん坊が、なにやら女の口元に手を当てて寝息を確認する。すると今度はドレッサーの方へ歩いて行った。気付かれねえように薄目を開けて様子をうかがってみる。赤ん坊は、近くにあった器にボトルの化粧水を入れて、ぴちゃぴちゃ舐め始めたかと思うと、そのまま両手に持って、ごくり、ごくり、ごくりと飲み干した。そン時、隣の寝室の戸の隙間からこっそり覗いてた社長が、驚いて戸を開けた。
「おのれ、じじい、迷って出たか!!」
こちらを振り向いて「にたあ」と笑った赤ん坊が社長に向かって言った。
「もう半分」


古典落語『もう半分』より
(了)




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