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落語家探偵 事件ノオト 第二話 おとり捜査

 東西に走る見通しの良い直線道路で、横断歩道を渡ろうとした男を白い車が跳ねた。
 横断者に気づいてブレーキを掛けようとした八十代の高齢ドライバーが、間違ってアクセルを踏んじまったらしい。車に跳ね飛ばされた四太郎(よたろう)は、まるでオリンピックの体操選手のようにクルクルッと回転し、両手を上げて「パー」と叫びながらピタッと着地した。幸いなことに、野郎は無傷だった。高齢ドライバーは後日運転免許を返納するということで、その場で厳重注意を受けるにとどまった。しかしまあ「ガイシャがなぜ迫って来る車に気づかなかったのか」っていう謎は解けた、ってわけだ。
 で、肝心の、ガイシャを跳ねたホシ(犯人)は? ってことなんだが、これまた拍子抜けするような結末だった。逮捕された運転手はスマホを操作し「ながら運転」をしていた。ハッと気づいた時には人を跳ねてた。怖くなって逃げた。そういうことらしいが、警察は引き続き、尾祖松社長と政界とのスキャンダルについての捜査を進めているようだ。

              * * *
 
 うちの師匠はどちらかというと物静かで、いつも弟子たちを優しい眼差しで見守ってくれているんだが、酒が切れると危ねえ。にこやかに笑っているのに目だけが吊り上がってきたら酒切れの前兆だ。そろそろ
「酒はまだかあーーー!!!」
って師匠が暴れ出すかもしれねえ。とりあえず事件が解決したってことで、俺たちは一路、長野県へ。助手席に四太郎を押し込んで、愛車ローバーミニをぶっ飛ばす。中央自動車道を諏訪方面へ、諏訪湖に浮かぶ遊覧船や湖畔をサイクリングする人々を見ながら、俺たちは宮坂醸造(長野県諏訪市元町1-16)に到着した。


蔵人、四太郎、鉢五郎の3ショットを撮り、銘酒『真澄』を入手してトンボ返り。師匠の晩酌に付き合い、満面の笑みを浮かべる師匠をパシャリ。で、写真とレポートをアップする。

諏訪湖の遊覧船

 お座敷遊び『こんぴらふねふね』の着信音で目覚めたのは、その翌日の事だった。熊倉刑事からだ。
「捜査に協力してもらいたい」
なにやら、おだやかじゃねえ。
「詳しい事は署で話したい。それと、この件はヨタさん(四太郎さん)には内緒で」
ますます、おだやかじゃねえ。一時間後に来てくれと言う。
「くれぐれもヨタさんに感づかれないように」

 俺は四太郎に気付かれねえよう細心の注意を払って事務所を抜け出した。白Tシャツ、インディゴブルーのジーンズに雪駄履き、お気に入りのスカーフを首に巻き、羽根挿しの麦藁帽を小粋に頭に乗っけて、周囲に目を光らせながら警察署へ向かった。
 リーゼントヘアにマトンチョップ頬髭、ティアドロップサングラス、エルヴィス・プレスリー風の高襟フリンジ付き白ジャケット、裾開きの白パンツ、白ブーツの出で立ちをした大男、熊倉刑事が俺を迎えてくれた。
「待っていたよ、はっつぁん(鉢五郎さん)」
決めポーズをとった後、キラリと白い歯を見せ、サングラスを外す。
「ヨタさんには気付かれなかっただろうね」
ポケットから取り出した櫛で頭を撫でつけながら、今回の捜査内容について話しはじめた。
 大阪の道頓堀警察署から、東京の両国警察署に捜査協力依頼があったらしい。詐欺師のおとり捜査だ。その野郎は決まって毎月十八日に犯行に及ぶのだという。
「容疑者のコードネームはワン・エイト。通称、一八(いっぱち)。全国指名手配犯だ」
 大阪を拠点に犯行を重ねているが、警察はまだ野郎の尻尾を掴めてねえそうだ。いつもあと一歩のところで「ぬるり」と逃げてしまう。うなぎみてえな野郎だ。その一八が今、東京に潜伏しているという。三日後の十八日に犯行に及ぶ可能性が高い。おとり捜査で野郎を誘き寄せようって魂胆だ。
 だが、どうも腑に落ちねえ。なぜ四太郎に内緒なんだ?
「捜査会議で『おとりになる人物』について協議したんだが、その結果、ヨタさんが最もふさわしいという結論に至った」
「なるほど、合点だ」
 つまり、こういうことだ。四太郎にはおとりになることを知らせず、普段通りの行動をしてもらう。四太郎の容貌や振る舞いを見れば、詐欺師なら必ず「こいつはカモだ」と思うに違えねえ。十八日に四太郎に近寄ってくる見知らぬ野郎が一八だ。そこを取り押さえる。とまあ、こういう寸法だ。

 十八日夕方、日本橋界隈。
 手ぬぐい鹿撃ち帽、浴衣風トレンチコート、漆黒の革靴、手には扇子という出で立ちの男。おとり役、江戸川亭四太郎だ。街中に紛れ込んだ捜査員は総勢二十名。四太郎の一挙手一投足を見守りながら、怪しい人物が近付いてこないか周囲に目を光らせている。こりゃあ大捕物になるかもしれねえ。
 一八の手口はこうだ。どこからともなく現れて、ぶつかってくる。「すみません」と詫びながら、急になれなれしく「その節はお世話になりました」と話しかけてくる。「あの時の御礼がしたい」と言って相手を食事に誘い、飲み食いした挙句、土産弁当まで持ってドロンする。とまあ、こんな具合だ。
 んじゃあそろそろ、俺も四太郎の尾行を始めるとするか。ちょいとした岡っ引気分。こういうのも悪くねえな。しかしまあ、何にも知らねえもんだから、呑気にひょこひょこと歩いてやがるぜ、あいつは。
 そこへ、物腰柔らかそうな男が近付いてきて四太郎にぶつかる。
「どうも、すんまへんなあ。おや? もしかして兄さんでっか? あン時はえらい世話ンなりましたなあ」
 一八だ。うなぎ野郎、今日という今日は絶対逃がさねえ。
「おンや? あン時の? こんなところでお前に会うなんてびっくリングだ。いったいどうした?」
「ワシ、昨日から仕事で東京に来てますねん。ちょうどよろしいわ、あン時の礼、させてもらいますよって」
「礼なんかいらない。この辺りはおいらの遊び場だ。だから今日はおいらが、お前の好きな所へ連れて行ってやるよ」
「え? よろしいんでっか?」
「お前、東京初めてか? 何か食べたいものあるか?」
「まあ、せっかく東京まで来たんやさかい、江戸前の旨いもん食いたいなあ思とったんですわ」
「そんなら、おススメの店があるぞ」
 なんだ知り合いか? とりあえず、このまま尾けてみるか。親しそうに喋りながら老舗のうなぎ屋に入っていく二人。こうなりゃ仕方ねえ、俺も夢中で店に飛び込んだ。女中に心付け渡して、二人が入った部屋の隣の部屋に通してもらう。俺は、う巻きをアテに酒をちびりちびりとやりながら、隣部屋の会話に耳を澄ますことにした。
「どうだ、うまいか?」
「ごっついもんでんなあ。これが江戸前でっか。関西とはちょっとタレの味がちゃいますわ」
「関西だと、うなぎは腹を開いて捌く。東京では背を開く。江戸は武士の町だから腹切りは縁起が悪いんだって、師匠が言ってたぜ」
「さすが兄さん、いろんなこと、よう知ってはる」
「ここの酒もまた絶品だって、師匠が言ってたぜ。ほら、お前も、もっと飲みなよ」
「えらいおおきに」
そんな調子のやりとりがあって、
「ちょいと厠へ行ってくる」
四太郎が席を外す。ところがだ。小一時間経っても四太郎が戻って来ねえ。ソワソワした野郎が女中をつかまえて事情を聞いてみると、
「あのお客さまは先にお帰りになりました」
「なんやて? くそっ、あいつ、詐欺師かいな。やられてもた。しゃあない、ほなこれで頼むわ」
「申し訳ありません、お客さま。少々足りないんでございます。お土産のお弁当代が」
「あいつ、弁当まで頼んだんかいな。なんぼや?」
「一万円の極上弁当が六人前で六万円になります」
「んな、アホな。どんだけ頼んどるんや」
 完全に四太郎に騙された一八。支払いをさせられて意気消沈しながら帰ろうとするが、
「ねーさん、ワシの靴知らんか?」
「どんなお靴で?」
「こういう、茶色の革靴。イタリア製や。ごっつい高かってん」
「そのお靴でしたら先のお客さまが履いてお帰りになりました」
 
 
~古典落語『鰻の幇間』より~
(了)


第一話 不可解な死

第三話 第一発見者


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