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評・感想・レヴュー

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主に人の作品について書いたもの。お蔵出し。
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#短歌

切手をなめてゐる時の/魚村晋太郎『銀耳』

切手をなめてゐる時の/魚村晋太郎『銀耳』

人類。あなたでもわたしでもなく、もちろんわたしやあなたもここに含まれる大きな把握。
切手をなめるのは切手を貼るためだし、切手を貼るのは順当に考えれば郵便物を出すためだ。そしてその郵便物は、システムを経由して誰かのもとへ届けられる。

一連の目的のある行為の中で、切手をなめる、というのはいわば最初の所作であり、しかもある意味一番フェティッシュな部分である。たとえばその用途としては、文字通り切手ぬらし

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第14回牧水・短歌甲子園の歌

第14回牧水・短歌甲子園の歌

8/17・18と短歌甲子園を観に宮崎県日向市に行ってきました。昨年初めて行って大変いい体験だったので、今年もタイミングが合ってよかった。

当日気になった作品を引きながら、考えたことをいくつか置いておきます。

宮崎西の第1試合。題詠は「語」。一首としては語が渋滞しているところがどうしても気になるけど、宇宙と対置される「赤べこ」の存在感がとてもいいと思いました。
対戦相手の甲府東が台風で来れなかっ

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インフラと物量戦/長谷川麟『延長戦』

インフラと物量戦/長谷川麟『延長戦』

 この二十年で口語短歌は急速に整備されてきた。競技人口と作品数の増加を遠因とする、詩歌の中に使用される語彙や構文(よく誤解されているけれど、これは別に発話体に限らない)の拡張と共有があり、その更新スピードは年々上がっている。
 近年の口語による歌集の多くは拡張された詩語の領域を踏まえており、長谷川麟の第一歌集『延長戦』もまた、その延長線に位置している一冊と言えるだろうか。

 「ワンバン」も「イン

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「ならぶこと、えらぶこと」(短歌研究2023年8月号)

「ならぶこと、えらぶこと」(短歌研究2023年8月号)

 「短歌研究」5・6月号の特集は、すっかり恒例となった三〇〇歌人新作作品集。今年のテーマは「一周回って」であった。特集が現在の形になって四年目であるが、2021年の「ディスタンス」、2022年の「リ・スタート」に比べると、寄せられた作品の方向性は最も幅があるように思われる。2021年は「ディスタンス」というまさにど真ん中なテーマ設定もあり、広い意味で「コロナ詠」と呼ばれるような作品が多かった。20

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「揺り戻しに備えて」(短歌研究2023年7月号)

「揺り戻しに備えて」(短歌研究2023年7月号)

 短歌研究4月号の特集「短歌の場でのハラスメントを考える」について考える。特集についての、ネットでの反応は(それこそ刊行前から)追っていたが、短歌研究誌の「ネットに表出しない読者層」にはどう届いたのだろうか。総合誌でこの特集が組まれたことにより具体的な問題に初めて触れた層もいるだろう。継続的な企画としても、広範な反応をピックアップする必要がある。もちろん、ネットに触れている人間であれば正しい知見を

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「エンタメとその対岸にいるもの」(短歌研究2023年4月号)

「エンタメとその対岸にいるもの」(短歌研究2023年4月号)

 短歌研究2022年12月号には、次号予告として「多角的分析『成長するエンタメ短歌』」という特集名が掲載されている。その後、1月号を見ると当該の特集は掲載されておらず、エンタメ短歌はどこかへ消えた。
 その後2月号から連続企画と題し山田航、渡辺祐真(スケザネ)による特集「新時代『現代短歌2.0』」が始まるが、これが「エンタメ短歌」として当初企画されていたものなのかは分からない。予告が最終的に本編と

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運用と手順23(「塔」2021年12月)

運用と手順23(「塔」2021年12月)

皆様いかがお過ごしですか。
「現代詩手帳」二〇二一年十月号は「定型と/の自由」というテーマで、久しぶりの短詩形特集であった。(前回が二〇一〇年六月号、黒瀬珂瀾の編による「ゼロ年代の短歌100選」を読み返すと感慨深い)
コンテンツとしては、佐藤文香・山田航・佐藤雄一による三詩形座談会「俳句・短歌の十年とこれから」や、藪内亮輔「多様化するリアリズムと、その先」など、最近の状況を概説するような記事が、各

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まちおかのある街に暮らして/絹川柊佳『短歌になりたい』

まちおかのある街に暮らして/絹川柊佳『短歌になりたい』

短歌になりたい。わかる。わたしだってなれるならなりたい。本当に?

わたしたち人間は、短歌を作ることも、あるいは見方によっては短歌の中の登場人物になることもできるのだけれども、人間は短歌ではないので、短歌そのものになることはできない。

いずれも、都市部の年若い人間の暮らしを読み取ることができるが、とはいえこの歌集を、日常を丹念に描写するタイプの、いわゆる既存の「日常詠」「生活詠」の範疇で扱うのは

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第13回牧水・短歌甲子園の歌

第13回牧水・短歌甲子園の歌

8/19・20と宮崎県日向市の第13回牧水・短歌甲子園に行ってきました。

一緒に行った長谷川さんと雨月さんが短評書かれてましたので、わたしも何首か引いておきたいと思います。

ざりざりと血が滲んでいる新学期 談笑って右足からだっけ/岩本菖
下の句の言い回しから、混乱している様子、過度の緊張が伝わってきます。気負いのつたわる歌。上の句の『血が滲んでいる』は心理的な描写だと取ったけれど、噛み締めた唇

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「メラーニアから」/斉藤斎藤『渡辺のわたし』『人の道、死ぬと町』

「メラーニアから」/斉藤斎藤『渡辺のわたし』『人の道、死ぬと町』

斉藤斎藤歌集『渡辺のわたし』『人の道、死ぬと町』について
吉田恭大

〇1

それが架空であれ実在であれ、市の中の人々の営み、という俯瞰で示されるスケール、の遥か手前に私たちの生活はあり、私たちは大抵の場合半径五メートルくらいの視野で汲々と暮らしている。

ひとりひとりの半径五メートルの世界を丁寧に描写していくことが、短歌形式の優れたメゾットの一つである、というのはここで言い切ってしまっていいだろ

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運用と手順(ではない)

運用と手順(ではない)

時評書かなくなったらこういうトピックへの感度が全然下がってきて/それはお前の不精だから別にいいんだけど記録は残しとこうね、という件です。

Twitterでの蒼音さんのご発言。

浅野大輝さんの時評はこちら。
引用したのは最後のあたりです。

私も含め皆さん「塔」という短歌結社にいるので、会則とか色々の前提は共有しているつもりです。以下やり取り。

あくまで私の希望であり、暴論かもしれません。ただ

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「その街と獣のために」/川野芽生『Lilith』

「その街と獣のために」/川野芽生『Lilith』

川野芽生歌集『Lilith』評
𠮷田恭大

 二〇一八年に第二十九回歌壇賞を受賞した著者の第一歌集。

庭と芝居小屋。「借景」という機能によって二つの建築が結び付けられる。

市庁舎、図書室、美術館。人工物の中に詩歌を見出すためには、自分の中にその建築を、都市の機能を改めて理解する必要がある。

歌集の中に取り込まれた人工物は、実在のものに留まらない。とりわけ中盤以降、竜や天使といった、先人たち

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「つぎの著者につづく」/石川美南『体内飛行』

「つぎの著者につづく」/石川美南『体内飛行』

石川美南『体内飛行』評
吉田恭大

第四歌集。これまでの作品でも連作構成が巧な作者という印象があったが、今作はそれがさらに強固になっている。

歌集は「短歌研究」誌の三十首連載を中心に構成されており、改めて「あとがき」を確認すると、さらにいくつかのルールが設定されている。

ルールの中ではとりわけ、この作品群が時系列で編まれたことが重要になる。一首の次に然るべき一首があり、その繋がりが作者にとって

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「世界をたたむ手つきの美しさ」/笹川諒『水の聖歌隊』

「世界をたたむ手つきの美しさ」/笹川諒『水の聖歌隊』

笹川諒『水の聖歌隊』評
吉田恭大

 第一歌集。作中に触れられる感情はどれも繊細で、作者の細心の手つきによって短歌の形に整えられている。

比喩、特に直喩の歌の多さに注目した。
例えば一首目に提示される「紫陽花が遠目には宇宙のように見える」「紫陽花が死後の僕たちにもわかる花である」という二つの情報から導かれる、「宇宙」/「僕たちの死後」の重ね合わせ。あるいは、もっと想像に任せた読み方が許されるなら

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