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自分の限界を考えずに突っ走る|ライフキャリアコーチへの軌跡(4)

無事に本配属の部署で入社2年目を迎え、与えられた仕事には一切NOと言わず、どんどんスポンジのように新しいことを吸収することに意識していました。響きはいいかもしれませんが、それはとても極端で、自分で業務量をコントロールすることを知らず、自分の身を削ればできないことはない!と信じて疑わず、新しい業務をどんどん取り込んでは、お昼休憩時間を自ら削ったり、始発で出勤して終電で帰るような生活を送っていました。しかも、そこにやりがいを感じていたのです。

もちろん、今振り返ると異常な働き方であり、もし過去の自分に出会えるなら「もう少しペースを落として働いていいんだよ」と声をかけると思います。でも、当時の自分はそうしないと先輩たちに追いつけない、認めてもらえない(認めてもらえてないわけではないのに)と無意識に急き立てられ、かつ、そうすることで安心感を得ようと必死だったので、聞く耳を持たなかったと思います。実際に「お昼ごはんちゃんと食べなさいよ」と声をかけてくれる先輩はいらっしゃったのに「はい!」と良い返事だけして、気づいたらもう夜・・・という日々が続いていました。

さらに、自他ともに認める体力オバケだったこともあって、1年目の間はシフト制でずっと通えていなかったフラダンスを再開し、さらに、やってみたかったサーフィンも休日に通い始めました。平日にすでに身を削る働き方をしているにもかかわらず、その隙間にどんどん習い事をねじ込んでいきました。当時は睡眠時間が3時間もないことも多かったです。振り返ると鳥肌が立ちますが、当時は自分の体力がなくなるくらい活動することでやっと充足感を感じられ、自らその環境を創り出していたのだと思います。体育会出身の新卒で体力が溢れるほどにあったからこそ、どんどん活動時間を増やさないと疲弊しない、疲弊しないとやり切ったと思えない、そんな思考回路だったので、どんな業務も引き受け、習い事も増やし、予定を詰め詰め状態にしていく・・・流れてくるものには一切NOと言わない自分でした。その背景には機会損失が怖いという思いもあったような気がします。

社内の廊下ですれ違う人すれ違う人に「大丈夫?食べてる?」「倒れそうじゃない?」と心配されることが増えるくらいに瘦せてしまった時期もありました。早朝に家を出て朝食を食べそびれて、お昼休憩もままならず、夜は深夜に帰って寝る前に食べるのは良くないから明日の朝たくさん食べようと思って少ししか食べず、結局翌朝も食べる時間がなく出勤、その繰り返しが続いた時期は当たり前の結果だったと思います。それでも若さゆえに気力で頑張って自ら身を削り続けていました。身を削れば削るほど一緒に働いている共働先の方たちが感謝がしてくださり、お役に立てているという充足感が自分を掻き立てる大きな要素になっていたからです。

しかし、1年を経とうとする時期に急展開が訪れました。コロナウイルスによりホテルの休業がやむを得ない状態になり、労働時間も急激に減ることになりました。それまでのような激しい働き方は不要になったと同時に体力が余り、体力が余るのに比例して無力感が増えるようになりました。自分は必要とされていない、つまり自分には価値がない(そして誰からも言われたわけではないのに)そんな感情に繋がる思考回路になっていたと思われます。

このくらいの時期からSNSで自己肯定感やセルフラブなどのキーワードを目にするようになり、無意識に「自分って何がしたいんだろう・・・」その質問に帰ってくる時間も徐々に増えていきました。

次に続く・・・


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