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「怒らなさそう」じゃないんだよ笑自分を受け容れるのに必死なだけで。

いまは、もうあんまり言われなくなったけど…わたしは一時期友達とか、ときには学校の先生から。
「優しそう」「真面目だよね」「怒ることとかあんまりなさそう」って言われてました。
 ……いやいや、ちょっと、ちょっと、待って? 💦😅
確かに、表面上はそうかもしれないけどさ。「わたしだって、腹立つことあったらちゃんと怒るし、考えを言いたくなるときだってあるし」と言いたい。

真面目な一面があったり、自分だけにわかってて相手に隠してる一面が、誰しもあるはず。
これまた心理学の話になっちゃうけど。

ジョハリの窓っていって、ひとには、4種類の領域があるんだって。

・自分も他人もわかってる(周知の事実)として認識されてること。(解放の領域)

・自分は知ってるけど、他人には分からない
(秘密の領域)


・他人は知ってるけど、自分は予想もつかなかった一面(未知の領域)

・自分も他人も未知の領域
(盲点)

その4つの窓からわかること。
自分が自分を一番理解してる、って思いがちだけど。
親や友達、親しいひとからみた、『新しい自分』に出会えることもあるし、昔のわたしのように『そんなキャラクターじゃないのに…』とどちらかというと受け容れ難い事実が判明したりすることもある。

だから、そんなふうに感じることがあっても、まずは
「あのさ、気づいたことがあるんだけど言ってもいい?」。

まず一歩、聞くことから
相手への理解が深まる。
聞いてみることから
相手も安心(心の準備)ができるだろうし、「何の話が始まるんや?」と構えなくてもいい。

 気の置けない友達だからといって、なんでも許されるわけではない。
「親しき仲にも礼儀あり」という言葉があるように、
言いたいことを言い過ぎてしまうと
それまで築いてきた関係性が崩れさることだってある。
それは、怖いよね。イヤだよね。 

わたしも、イヤだっていうほど味わったあの感覚。
何でもかんでも決めつけられてしまうことと、そのように振る舞わないといけなくなってくるストレス。

A型さんは真面目なんでしょ? とか
O型さんはおおらかなんでしょ? みたいな。
ざっくりとでもそういうフレームを作られてしまうと、違うって言いづらくなっちゃう。

ときには、違うっていうことすらもめんどくさく、煩わしくなる。

相手を想うこと=自分をも大切にすることだと、わたしは定義をしています。

それがあなたにとっての答えではないかもしれないけど、相手が自分のためを思ってしてくれたことは、
謙遜とかなしに、ありがとうでいいんじゃないかなと思うのです。

謙遜してナンボ。
自分を低く見せてナンボな風習は、いつまでも変わらないかも。
でも、それは同時に「感謝の気持ちを突っぱねて、相手に対してかえって失礼な態度を取ってる」ことと変わりません。

素直にありがとうと伝えられる方が、よっぽど気持ちいい。

脱線したけど…
ひとの感情は、推測することはできてもそのひとの考えを完璧にキャッチすることはできないから、
都度相手に寄り添うことが大切なんだとそのときに学びました。

つらつらと長い文章を読んでいただき、ありがとうございます。

明日からまた一週間。
研修もあるし、来月にはイベントも控えてる。
そんなときに自分をそっと受け容れる準備ができて、心から嬉しくなったな。

まだまだ、これからも。
がんばれる範囲でゆっくりと歩いていこう。

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