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夫婦喧嘩のすゝめ


夫婦喧嘩は良いものだ。
いや、もちろん喧嘩の最中は本当に腹ワタが煮えくりかえり、
「どついたろか」と思うことなど、しょっちゅうである。
しかしだ。
夫婦喧嘩は、良い面もあるのだ。
それは、人として成長させてくれることである。

しょせん夫婦など、もとは他人どうしだ。
全く違う環境で育ってきた二人が一つの家族を作るわけだから、
合わないことだらけで当然である。
どちらも間違っていないが、お互いの考え方が違うために折り合わないことなど日常茶飯事だ。
しかしこういう場合、『なるほど。こんな考え方もあるのか』と相手の考え方を受け入れるように努力をしてみる。
すると自分の心が1つ成長し、広くなっていくのだ。

では、明らかに理不尽なことを夫に言われたとしよう。
夫が堂々とワガママ極まりないことを主張していれば、当然カチンと来て言い返す。夫も譲らない。すると大喧嘩になる。
大喧嘩が収まらないと、少し距離をおいて、お互いが一人になる時間を持つ。

この喧嘩の小休止は、とても大切だ。
もう一度、自分に問いただしてみる。
本当に夫だけが悪かったのだろうか?
もしかしたら夫の言い分にも一理あるかもしれない。
そこをもう一度考えた上で、どうするのか決めるのだ。

大切なのは、どんなに自分が正しいと思っていても、ただ頭にくるだけで終わるのでは無く、もう一度自分に問いただすという行為だ。
なぜなら大人になると、他人から怒られることなどほとんど無い。すると人は立ち止まって自分を顧みることが疎かになり、いつしか自分が正しい人間だと思い込んでしまう。
これは恐ろしいことだ。
人としての成長が止まってしまうからだ。
つまり年を取って頑固になっていくのは、そういうことだと思う。
どんなに偉くなろうとも、相手が間違っているときビシッと言ってやれるのは、夫婦だけなのだ。

従って、亭主関白やカカア天下で相手に何も言えない関係は、夫婦ともに成長が無い。
力の強い方は、自分を正しいと思い込み、
力の弱い方は、何も変えられないまま嵐が過ぎるのを待つだけだ。
そこにお互いの精神の発達は無い。

そもそも何のために喧嘩をするのか?
喧嘩はエネルギーが要る。誰かと向き合い、エネルギーをぶつけ合う作業は、正直言って疲れる。
それでも敢えてその作業をするのは、その問題をクリアし、その人との今後の人間関係に生かすためだ。
怒るという感情だって、愛情があるからこそ湧き出てくるものだ。どうでも良い人であれば、最初から期待しないから腹も立たない。
つまり怒ることや喧嘩をすることは、とても前向きな話なのである。

自分が結婚して初めて気づいたことだが、結婚したその日から夫婦になるのではない。結婚したその日から、夫婦になるための作業が始まるのだ。
それは相手を受け入れ、自分も受け入れられ、意見が合わない時には喧嘩という作業をしながら、1つずつ揺るぎない関係へと成長させていくこと。

それに合わせて夫婦喧嘩もどんどん変化をしていく。熟練夫婦になれば、もっとお互いのことがわかるようになり、言い合って意味がある喧嘩と、言い合うだけ無駄な喧嘩がわかるようになる。うちの両親がまさにそうだ。

我が家は結婚して5年目。
くだらないことで喧嘩は絶えないが、お互い言いたいことを言い合える関係であることは間違いない。

夫婦喧嘩なんて大嫌いだが、やはり夫婦喧嘩は大切だ。
お互いの良い面もダメな面も受け入れながら、上手に喧嘩をしていきたい。
そしてお互いの髪が真っ白になる頃には、夫婦として共に成長していたいものである。


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