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過保護ママはその子の羽根をむしり取る

小さな子供にとっては、毎日が冒険です。

いや、一瞬一瞬が冒険と言えます。

小さな子供は、

『今』を生きることで、純粋な興味、関心、好奇心を育てることが出来ます。

純粋な興味、関心、好奇心は、その子が人生を切り拓いて進む為の推進力です。

一瞬一瞬の
小さな冒険が、
小さなその子の、
小さな背にある、
小さな翼を飾る、羽根なのです。

親から見たら、その子の小さな冒険は、まどろっこしく、おぼつかなく、思えるかも知れません。

テーブルに着いて、スプーンを持って、食べ物をすくって、口まで運ぶ、

たかだか、それだけのことに手間取る我が子の姿に、ほんの微かに苛立つ気持ちは無いでしょうか。

その苛立ちはほんの微かなもので、瞬間的なもので、親自身は見落とすことが多いのです。

見落とした、その微かな苛立ちを消す為に、子供のおぼつかない行動を待つこと無く、

先回りして、スプーンを取り上げ、食べ物をすくって、子供の口に運んだりしないでしょうか。

こぼすし、汚すし、まどろっこしくて待ってられない、は、親の都合、親の感情を押し付けています。

小さなその子の、小さな冒険を邪魔しています。

邪魔していながら、ママ友に
「ついついやっちゃうんだ、過保護は駄目だってわかってるのに、放っとけなくて…」

と、駄目ママっぷりを自認しているかに見せて内心、優しい自分、と悦に入ったりしています。

それ、優しく無いんです。
小さな事じゃ無いんです。

その小さな子から、小さな冒険を取り上げることは、

その子の翼から、羽根を一枚一枚むしり取ること、なんです。

翼から羽根がなくなったら、その子は飛べなくなってしまいます。

家庭は、雛が巣立つまでの安心、安全の巣であるべき場所です。

雛が親鳥の愛に包まれ、やがて訪れる巣立ちの時まで、翼に羽根を蓄える場所であり、時期の筈です。

羽根をむしってはならないんです。


巣立ちの時を迎えても、飛び立つことが出来ない雛の、その問題は親鳥の心にあります。

この子は飛べない、と悩む親の心に問題が有る、のです。

羽根をむしり取る事も問題ですが、

それを自分の、優しさ、だと感じている事が問題の本質です。

だから、

与えている、と思い込んで、奪ってしまうのです。

それに、気がつくことが出来たなら、

雛は若鳥となって、大空を舞うのです。

子が飛べないとき、

問題は子に無く、

親の心、にあるのです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム





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