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霧 in The ダンスホール

霧 in The ダンスホール

何となく息苦しい夜だった。
まだ春にもなっていないのに湿度がやたら高く、かとって温かいわけでもないので寒さで冷えた末端の血管に酸素が回っていない、そんな気持ちがする夜だった。

漠然とモヤモヤとした気持ちを晴らすため、というか閉じ込めるためもう寝てしまおうと万年床と化している布団にもぐった、しかしやたらと目は冴え、一時間ほどをごろごろと過ごしたが寝付けなかった。

相変わらず気持ちはもやもやとした

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パターン化されたエモと、ある男の物語

パターン化されたエモと、ある男の物語

「実際パターン化されたエモは俺もいかがなものかと思うわ」
「仕方ないだろ、それだけエモっていう感情が普遍的なって来たってことだ」
「朝焼けの海、夏の日のドライブ、色褪せた絵本、17時のチャイム…」
「エモっていうのも言ったもん勝ちだしそれがパターン化されてるってのも言ったもん勝ちだな」

「自転車と入道雲、水溜りに反射するネオン、深夜のコンビニ、廃墟から覗く人影、使いかけのクレヨン、青色の蝉、カレ

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鳥類転生とラーメンのこだわり

鳥類転生とラーメンのこだわり

一体全体どうしてこうなったかわからないが気が付いた時私は鳥だった。
正確にはアオサギ(学名Ardea cinerea)だ、水面に映る姿で確認するというディズニープリンセススタイルで先ほど確認した。

スズメやメジロといった小さくてかわいいやつじゃなくてよかった。なんせ中身は40の中年男性。サギくらい落ち着いた雰囲気のが身の丈に合っている。

私に残る最後の記憶は酔っぱらって店の階段から転げ落ちてい

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トマト

トマト

まだ私が幼いころ、山間の小さな集落に暮らしていた。
といっても車で一時間も走れば都市部にでることが出来、私の感覚的にはちょっと田舎といった程度の村だった。

集落の中心にはきれいな川が流れており集落の人々はその水を利用し農作物を育てたり養蚕などをして質素ながら不便無く生活していた。

あるとき私の実家で育てている農作物のひとつだったトマトの苗が2、3本余った。別段そんなことは珍しくなくいつもなら適

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母と神さま

母と神さま

母は宗教に入って変わった。

何かがあったわけでは無く、生来の性質なのだろう。
母はしょっちゅうヒステリックになりそのたびに父に当たり、真面目な仕事人だった父はそれが原因で精神を病み、私が小学校に上がる歳に消えてしまった。

それから当たり前のように生活が苦しくなった。母は昼夜を問わず酒を飲むようになり、時々出かけてはどうにかして金を工面しているようだった。

そして母の標的は私となった。母のヒス

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漁村の娘

漁村の娘

Aさんの祖母、吉江さんは昔、神奈川県の海沿いに住んでいたそうだ。

神奈川県の海沿いといっても横浜のような都会ではなく、小さな集落が山肌の斜面を何とか切り開いて作った小さな集落だった。
そして町へ行くためには峠を越えていかなければならず、台風などが来るとたいそう難儀したそうだ。

けれども村民達は何とか力を合わせ漁や養蚕に精を出し、つつましいながらもなんとかやっていけていた。

そんな集落にはある

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海

 海のそばの出雲崎というところで生まれ高校卒業までは住んでいた。たびたび都会へ遊びに行くこともあったが波の音がしないのが不自然な気がした。なのでこの場所で生きていこう、とは思ったものの少子化著しい漁師町は高校生の自分から見ても未来はなく、少ない学友と同じようにこの地を離れることにした。
 そうして気が付けばもう何年の故郷に帰らず、遠く離れた都会で賃金の割の合わない仕事を続けている。車や電車の騒音に

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龍

 まだ日本がバブルだったころ、私は骨董品屋を営んでいました。
骨董品屋といっても実際に店を構えてたのではありません。
海外や地方へ買い付けに行き、それを他の骨董品屋やそういった古いものが好きなお金持ちに直接売るということを生業にしていました。当時日本はお金持ちだったのでアジアやヨーロッパの珍品は良い品も悪い品も飛ぶように取引されていました。

 その日私は何度か行っていた中国の雲南省の怒江という川

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縄と森

縄と森

 私が住んでいた町のはずれには鬱蒼とした森があった。
大した勾配もなく、迷うほど深くもないその森は当時小学生だった私たちには絶好の遊び場で夏などはカブトムシなどを獲りによく行ったものだった。
 夏休みの終わりかけのある日の夕方、私とT君はいつものように森の入り口に集まり虫を捕りに行こうとしていた。しかし周りに住んでいる子供たちはみなこの森に虫取りに来るため、有名な樹液の出る木にはもうカブトムシやク

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妄想、野良猫、首長竜

妄想、野良猫、首長竜

 僕の通っていた小学校にはケンちゃんという男の子がいた。
彼はいわゆるちょっと遅れた子で、僕たちはよく彼をからかって遊んでいた。彼が転んだら大笑いし、遠足の時は同じ班にならないよう押し付けあったりしていた。
 彼がそこまで煙たがられていたのは、彼がどんくさかったからだけではなく、たびたび虚言を吐くせいだった。
しかもその内容は、昨日おばけに人が食べられるのを見ただとか気が付いたらお父さんとお母さん

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豆

私は長いことベンチに座っていた。
エクセルすらろくに使いこなせなかった私はデジタル化が進む会社内で孤立し、50歳の誕生日お迎えた先日、あっけ無く首を切られてしまった。もちろんこれから隠居して生きていけるほどの貯金があるはずもなく、かといってすぐに新しい仕事を探せるほどの気力も無くただ無為に時間が過ぎるのを待っているだけだった。

ずっと家にいると気がめいってしまいダメになってしまう。
そう考えた私

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蛇口

蛇口

 東京の大学に合格した私は、お金もないので足立区のボロアパートに引っ越すことにした。築60年を超えるそのアパートはその経年劣化を考えても安い家賃で借りることができた。
そのわけを仲介業者に聞いてみたが、日当たりがよくないだとか今どき人気のない畳だからだとかで納得できる答えはなかった。それからひと月程経ち一人暮らしにも慣れてきたある日、24時を過ぎ布団にもぐった私はあることに気が付いた。キッチンのほ

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落語「判子」

 蛤は桑名、鮪は大間といった具合でなんにでも名産地というものがあるが山梨の六郷というところは判子の製造で有名だった。
その中でも東海林判子店という店はこの店にない判子はない、という評判でそれは東京の街にも届くほどだった。
「おう将太、お前あの噂を知ってるか?」
「大家さんじゃないか、噂ってなんの噂だい?」
「判子屋だよ、おめーさん判子作りたいって言ってたじゃないか」
「そりゃ作りたいが俺の名字が珍

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焚火

焚火

 私は暇さえあればキャンプに行くほどのキャンプ好きだ。
それも大人数で行くよりも一人でのキャンプが好きで今回は東京から2時間ほどの田舎のキャンプ場まで一人で来ていた。
自宅から近いキャンプ場は空気がそれほどきれいではないのか星空もきれいに見えないし安全のため焚火もできない、何よりほかの人に邪魔されるのが嫌で私の足を遠方まで運ぶ要因となった。
このキャンプ場へ行くのは初めてだったが、地面に直接焚火を

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