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本当に凄いもの

生まれて初めて「サーカス」というものを観た時には本当に驚いたよ。

物心がついた頃、両親に連れられて行ったんだけど、その芸当には本当に目を奪われた。狭い火の輪を潜るライオン。タバコを吸いながら偉そうにシーソーに乗っている小熊。

「こらっ!待てっ!」と注意されても言うことを聞かず、自転車に乗りながら延々とステージを回り続けるチンパンジー。よく観れば、衣装のポケットにウイスキーの小瓶を隠し持ってんだよ。

人間様も負けてはいない。

互いに銜えたナイフの先端同士を合わせて倒立したり、乗馬しながら業火を飛び越えたり、奥田英朗氏の小説「空中ブランコ」にもあるけど、プレイ中に目隠しをして相方に飛び移る「目隠し飛行」とか、金具の枠に張った障子を破る「紙破り飛行」とかいう大技までやってのけたりするんだ。

それは、オイラにとって、とてもこの世のものとは思えない光景だったね。

■奇人変人は凄いのか?

そういった影響を受けたのかどうかは知らないけど、TVジョッキーという人気番組で「奇人変人」というコーナーがあったのよ。何と、そのコーナーでは、参加者が変わった特技を披露するっていうんだから見逃せない。

胡坐を掻いただけで宙に浮く者。鉄棒を持って倒立しながら台の中央に置いてあるペットボトルの水を飲む者。己の丈夫な歯を自慢するかのように口でバーベルを持ち上げたりする者までいる。
※注意:良い子は真似しないように!

これらの芸を見せられた時、オイラは子供心にも「凄い!」って思った。
しかし時の経過と共に、心の中では「あんな芸なんて大して凄くないよ」って具合に変わってしまったんだ。

すると周囲からは、

「それは、あなたが一度大道芸を観ているからです。サーカスや奇人変人がするような芸が世の中に普通に存在すると認識したからです。だから凄いと思わなくなったのでは?」なぁ~んて、よく言われるんだけど。

こんなのは「初めて通った道は遠く感じたかも知れないけど、二度目からは道を知っている分だけ長く感じなくなった」というのと同じ属性なのさ。

世間的にはそうなんだろうけど。
物事の真理って…違うんだよね。

そのようなありふれた世間的尺度とは180度逆の所に存在するんだ。

■超能力者や魔法使い

今、目の前に超能力者が現れ、異能の力を発揮してくれたとしても、それだけでは凄くも何ともない。なるほど宙に浮いた人間が居る…

「だから何だ?」って話よ。

ここからは、少し駆け足で説明するね。

もしも、100円ライターを持った少女が江戸時代にタイムスリップしたとする。そこには煙管を手に持ちながらタバコを吸いたそうにしている男が居る。少女は、ほんの親切心で火を点けてあげたとする。

果たして、男は少女を見てどう思うかねえ?

(あの娘…今何をやったんだ? 急に火を出しやがった。ありえねえ…)
(手に持っている得体の知れない物は何だ?)
(迂闊に近づけば危険だ。ひょっとすれば妖術使いかも知れんからな)
(それに、あの肌の色も匂いも服装も見たことがない)

中世のヨーロッパなら、それこそ「魔女がやって来た」と民衆が騒ぎ立てるだろうさ。どちらにしても、少女は無事で済まない。しかし、現在に戻ったなら彼女は「妖術使い」でも「魔女」でもない。どこにでも居そうな普通の少女でしかなく、凄くも何ともないのさ。

現在の超能力者とか呼ばれている人達は、その持っている力がオイラ達の一般的認識の程度を超えているから、そう呼ばれているに過ぎないのよ。

もしも遠い将来に人類が生物的進化を遂げ、今でいう超能力や霊媒のような力が当たり前に使えるようになったなら、人々は、もはやその力を超能力とは呼ばないんじゃないかな。

尤も、外からの物質的満足ばかりを求め、それに相反するように精神性が失われた現在の人類では、退化することはあっても進化することは到底難しいと思慮されるんだけど。

だから特殊能力を使える者が威張り散らしていても、
凄くも何ともないんだよねえ。

あ~しんど(ハァハァ)

■凄いものは身近にある

「本当に凄いもの」とは、いつの時代にも変わりなく我々を支えてくれている存在なのさ。

ごく平凡でも我々の日常を支えてくれる一見凄くないと思えるものこそが本当は凄いのよ。

日常で当たり前のようにテーブルに並ぶ食事。オイラ達は、当たり前のように買い物をし、当たり前のように取捨選択する。でも、これらの物は毎日休むことなく作ってくれている人が居なければ存在することもないのさ。

だから、商売と解っていても…

米や野菜を育ててくれる人
家畜を育てている人
漁に出てくれている人
その運ばれてきた物を仕分けする人
捌く人(調理する人)
梱包する人
店頭に並ばせる人
店を営業する人が居る

み~んなが、居てくれるからこそ、日常の食生活が支えられているのさ。

テーブル一皿の食事も、それに係わる人達が休まずに手を掛けて働いてくれていて初めて存在するんだ。で、それを買うお金を稼いでくるのも「嫌だ嫌だ」と思いつつも毎日休まずに働いてくれる人と、それを支えてくれる人が居るからこそ初めて可能になるって話。。

本当に凄いものとは、そうしたごく当たり前の日常を当たり前のように休むことなく支えてくれている存在であり、普段そうした人達は決して世間に目立つことはないんだよね。

それらは、いつの時代にも変わらないのさ。

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