単純作業と生産性と達成感
クリスマスから一夜明け世間はもう正月ムード。
そんな中自分は前から働いていてしばらく行っていなかったバイト先のレストランで売っている「美山 最高級猪と山椒味噌の牡丹鍋セット」を入れる折を作る仕事を今日からしています。
折をひたすらボンドでくっつけて組み立ていくだけの作業。最初の頃は効率化を考えて作る順番とかを工夫していたりしていたけど、単純で簡単な分量があって作業が苦しくなってくる。
気持ち的には映画の『パラサイト』で一家全員でピザの箱を作り続けているそれ。
正直これで給料がもらえるなら全然黙ってやれる自信はある。しんどさは無いし座りながら自分しかいない部屋で黙々と音楽を流しながらするだけの作業だしむしろ話したりしなくていいから楽だった。
でもどこか消化不良感が否めない。これまでのお金の稼ぎ方は「労働(ある程度の苦労)の対価」として貰う給料と、投資で「今あるお金」を増やす報酬と臨時収入の3つが大きく存在した。
でも今回の仕事は少しおかしい。
そこまで苦しくないし割と簡単な仕事なのに給料が出る。
言ったらライン作業とかと変わらないから多分これからそう言う感じのバイトをしたらこの感覚になるのかもしれない。
どっちにせよこの作業、自分にかなり向いている気がする。
腰が痛くなったり材料が切れて取りに行く時以外全くそこから離れなかったし作業の手を止めることがなかった。
そして何よりも「苦痛に感じなかった」ことを改めて発見した。
こんなところで自分の得意なことを見つけることが出来るとは思ってもみなかったので少し得した気分。
こうしてnoteを書いているインフルエンサー的な人ってこういう作業向いてなさそうって偏見を持っているけど実際のところどうなんだろうか?
この前読んだ発達障害についての本によると、実際に人間はどの作業に向いているかということに対して障害を持つかどうかが影響するらしい。
例えば過集中をしがちな障害を持っているとこういった単純作業と噛み合ったら強い。とか、障害とはいかなくてもどれだけ楽をするかに固執する障害を持っていればそこで最適化する作業にすぐ入れる。とか。
こんな逸話を聞いたことがある。ある軍の配置の決め方について、司令官はこう言ったらしい「ずる賢い人間は前線を仕切らせ、頭のいい人間は後方で指示を出させ、素直な人間を前線で戦わせろ。そして中途半端に賢い人間は切り捨てろ」と。
分かりやすく説明すると、賢い人間は上手く人を使えるしずる賢い人間は前線で何としても生き残ろうとする。そして素直な人間は命令を忠実に守る。中途半端に賢い人間を切り捨てる理由は単純で、「なまじ賢い分勝手に最善策を考えて動き回るから邪魔」ということ。
何とも世知辛いそれを感じる。
何をもって障害と指すかは分からないし自分自身が発達障害を持っているかどうかとかは知らないから何とも言えない。
仮に持っているとすればADHDとかアスペルガーとかではないかと勝手に予想する。こういう時心理学部生は便利。医学部生とかも自分の症状からどういったものか予想したりもするのだろうか?
明日も明後日もその次の日もひたすら折を作る。仕事を終える予定日の30日の夜、どんな感想を抱くか少し楽しみ。
一応その鍋セットのリンクを貼っておくので気になる人がいたら買ってみてください。味は間違いなく最高です。食べてないから知らないけど間違いなく美味いから信じてください。注文されると自分が無心で作った箱に詰められて発送されます。
正月のおうち時間にでも使ってみてはいかがでしょうか?
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