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今日の昼、迎えてくれた老漁師
この前の台風は、あら大したことなかったな。あたは知らんどな、八十八夜時化(はちじゅうはちや じけ)ちゅうてな。今でいう、五月一日のことたい。八十八夜時化には気をつけろち、おら、こどもの頃からよう言われてな。漁師仲間が何人も、八十八夜時化で果てたもね。波にさらわるるとたいな。だけん漁師ちいうとはな、風と波が分からなんばつまらんと。分かったっちゃ、自然相手にゃつまらんとやけん。
それに比べれば、この前
水銀学者赤木洋勝さんのことと、2013年インタビュー(抜粋)
世界的水銀学者、赤木洋勝さんが亡くなってしまった。まだ私は、このことを、どう捉えたらいいか分からない。赤木さんは、不知火海にゆったりと浮かぶ舟だった。
赤木さんは、1942年に満州で生まれたそうだ。敗戦後だからおそらく3歳くらいのときに枕崎に引き上げた。枕崎には金鉱山があった。そこでは、金の精錬のために水銀が使われていた。
金の精錬のためには、ひとまとまりの水銀を、採掘した岩石が入った容器に注ぐ。
韓国は蔚山の斗東小学校で講演
韓国は蔚山の斗東小学校で、講演をしてきました。現地の「蔚山ジャーナル」の]이동고記者の記事が掲載されました。翻訳機にかけたものと、綴った日記を掲載します。→【水俣病センター永野三智さん、斗東の子供たちと会う】
【蔚山ジャーナル= 4日、蔚州斗東小学校で日本人の特別な講演が行われた。講演者は、日本の水俣病センターソシエテ・シャー(相思社)の常任理事である永野三智氏。 「水俣の人々の話に耳を傾けてくだ
寺尾紗穂さんとの対談
去る7月27日、寺尾紗穂さんという方と対談をしました。
その朝、私は高知空港の到着出口で、タナベヨシカさんとふたり、寺尾さんを待っていました。降りてくる人びとの中に寺尾さんを見つけたとき、娘だと思いました。私の娘本人が、「寺尾さんって私とそっくりね」と言うのですから、本当に似ているのです。
かと思うと母のような空気を醸し出す寺尾さんに、知らない土地で不安と期待がないまぜになっている私は次々と話しか
潮谷淑子前熊本県知事への尊敬と幸山政史熊本県知事候補への応援
数日前、水俣病犠牲者慰霊式で、私は蒲島郁夫熊本県知事の言葉を聞いていました。患者さんたちの声やお顔を思いながら、言葉と行動が一致しない彼の背中を見つめていました。
慰霊式が終わって、患者さんたちと次の会場へ向かう途中、潮谷義子前知事にお会いしました。彼女は「知事を見つめるあなたの目を見ていましたよ。あなたは、変わりませんね。貫いておられる。ずっと変わらずにここにおられる」と、私の手を握りました。潮
話し合いと慰霊式と大臣との懇談と夕食と
今日は朝から、ふたつの島から、またお近くからの患者さんたちを迎えました。テーブルを囲み、環境大臣と熊本県知事に伝える言葉について、誰が何を言うか、自分の経験を含めるか、過ごしてこられた時間と歴史と体のつらさ、医療と福祉の不十分さ、認定患者との格差、認定申請者の扱いなど、出し合ってきた意見を、出来上がった要望書を見ながら再確認しました。患者さんたちは、私の普段のことも聞いてくださって、その声を含めて
もっとみる幸山政史さんを熊本県知事に
今日、幸山政史さんが熊本県知事選への立候補を表明されました。これからの半年、全力で幸山さんを応援します。
幸山さんは、水俣に通い、私たちとの対話を続けている人です。私は彼のおかげで政治に希望を取り戻し、支えられてきました。
この11年、水俣病事件に関わりを持とうとするなかで壁にぶつかり、国、熊本県行政、熊本県議会、熊本県民、水俣市民の多くの人たちが「水俣病」に蓋をし、終わらせることを願っていると感
「公害」という字が削除されました
先日、水俣市議会の「公害環境等特別委員会」の名称から「公害」という字が削除されました。それは突然、水俣病の原因企業チッソが支援する議員らで作る最大会派や自民系、公明の各会派の過半数から提案されたものでした。いま、水俣では市長派(チッソ派):反市長派は、10:6の割合です。
「公害」の削除提案に関して決議が行われた日、開会直後、「藤本としこ議員(相思社元職員)の今会期中の発言が不適切」との動議が突然
一人の男性が死にました
一人の男性が死んだ。最初の記憶は小学生の頃、眼の前の海で、家族みんなで魚をとったこと。きょうだい5人の中で、自分は特に釣りがうまく、褒められた。大きくなると父と一緒に、水俣市の百間まで行った。母は毎日、おいしい魚を食べさせた。同じ頃、父の手が震えはじめ、しばらくして父は死んだ。中学を卒業後、東京に出て仕事をした。
東京に出てすぐの頃から、手が父と同じようにして震えることが気になり始めた。細かい作