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水銀学者赤木洋勝さんのことと、2013年インタビュー(抜粋)

世界的水銀学者、赤木洋勝さんが亡くなってしまった。まだ私は、このことを、どう捉えたらいいか分からない。赤木さんは、不知火海にゆったりと浮かぶ舟だった。
赤木さんは、1942年に満州で生まれたそうだ。敗戦後だからおそらく3歳くらいのときに枕崎に引き上げた。枕崎には金鉱山があった。そこでは、金の精錬のために水銀が使われていた。
金の精錬のためには、ひとまとまりの水銀を、採掘した岩石が入った容器に注ぐ。岩石に金のかけらが含まれていれば、金が水銀に付着して銀色のかたまりになる。そのかたまりをあぶると、水銀が蒸発して金だけが残る。この金の精錬法は、今も世界中で使われている。水銀と岩石を熱して蒸発させる際、労働者はその煙を吸い込む。みんな、命をつなぐために、命がけで仕事をしている。
水銀蒸気は大気に混ざって世界中を移動し、雨とともに各地の湖などに降り注ぐ。1760年代から1830年代、産業革命によって石炭火力発電所からも多くの水銀が発生した水銀は、現在も大気を循環している。雨とともに降り注いだ水銀は、水中にいるバクテリアのはたらきで「メチル水銀」に変化する。メチル水銀によって魚は汚染され、それを食べた人々は、腎臓や神経系の機能を破壊される。それが人為的犯罪として行われたのが、水俣病だ。およそ20万人が被害を受けたといわれている。
赤木さんが水俣にやってきたのは1981年。岐阜の薬科大学院や厚生省への入省、カナダでの水銀研究を経て、国立水俣病総合研究センターへ赴任した。数年後、多くの研究者とともに、独自の水銀分析装置と手法を開発し、発表した。簡便かつ正確であることから、後に世界の水銀汚染地域の汚染原因や実態を解明していき、多くの研究者から高い評価を受けることになる測定法だ。しかし、日本の学会は赤木さんの測定法を受け入れなかった。
熊本県は1997年に水俣湾の安全宣言が出されて以降も、水俣湾でとれた魚を従来の公定法で測り続けており、その結果は、国の規制値を超えた年はない。一方で、赤木法で測定した結果は、4割が規制値を超えている。熊本県は今も旧来の公定法を使い、水銀濃度を調査している。「熊本県は『測定法を変えてしまうと、1970年代に測定した測定結果と比較ができなくなってしまう』といって赤木法を受け入れないけど、化学というのは日進月歩が基本だよ」と聞いて、驚いた。
赤木さんは、自身の測定法が日本で受け入れられないことを知ると、次第に海外に向けて論文を発表するようになった。92年赤木法が現地調査に活かされ、その適正な成果が発表されると、世界各国から赤木さんに「助けて」の声がかかり、多いときは一年の半分も日本にいないという時期が続いた。赤木さんは、幾度となく世界の小規模金採掘の現場へ出向き、自らが発明した「赤技法」の技術を余すことなく現地の研究者へ引き継いでいるように見えた。
一方で、私はこどもの頃の赤木さんは、私の身近にいるお父さんたちとは違っていた。赤木さんは洋館に住んでいて、暖炉の前にゆったりと腰掛けていた。私たちが駆け回るのを、読んでいる本から顔をあげて微笑んで見つめた。おじいさんのような、お父さんだった。大勢のなかにいる赤木さんは、周りがどんなに騒がしくとも下世話でも、いつも上品な笑みを浮かべてそこにいた。一見すると場違いにも見えたけど、ときどき周囲の人と一緒に(下世話な)冗談を言う姿は楽しそうだった。実際に、人生は楽しまないと、と言っていた。不知火の人たちを本当に愛していたと思う。周りの人々が不知火の海ならば、赤木さんはそこにゆったりと身を横たえる舟だった。
相思社OGの藤本としこ議員の選挙事務所で活躍をして最後には選挙隊長になった。ふたりで「うぐいす」をやるときは、隣りに座って、声に惚れ惚れするねと言ったり、迷いがないから説得力があるねと言ったりして、私を調子にのせた。そうやって周りを盛り上げて、楽しく嬉しく仕事をさせた。
写真のうちの一枚は、教員免許更新講習の様子だが、相思社で何か集いをもつとき、日本にいるときはどんなに忙しくとも来てくれて、「こういうことは、頻繁にやったほうがいい」といって、参加者と水俣をつなぐ協力を惜しまなかった。また、海外からの研究者が水俣に来ると、自宅に泊めたり、相思社の職員に応援を頼んで我が家に泊まってくれたりした。その人たちとの友人関係はいまも続いている。
赤木先生はいつも、水銀の研究者としてではなく、「水俣に住まわせてもらっている者として、私にできることを探すし、求められることには応じる」と言っていた。夜中の三時に胎児性水俣病の人から電話がかかってきても付き合う(私がこども時代のことだけど)という赤木さんの日常は、その立ち居振る舞いからにじみ出ていたと思う。
今年までの6年間、私は海外から日本にやってきた水銀や水銀条約に係る若い研究者や官僚をしている研修員のお世話をさせてもらう仕事をしていて、赤木さんに大変お世話になったが、海外の研修員は、北九州や東京で出会う講師、出会う講師から「水俣では赤木先生に会いなさい」「あなた方の財産になる」ということを言われた。同時に誰からも聞いたのは、「赤木先生とは会うといつも朝まで飲んだ」という決り文句で、赤木さんは酒でコミュニケーションをとり、たくさんのディスカッションをして見識を深め、協力しあえる仲間を作っていったのだということ。実際に赤木さんに会った研修員の心にとまったのは、赤木さんのボランタリーな精神。研究者として、人間として、目の前の課題に、目の前にいる人に尽くすということ。個として立ち、水俣病事件に向かい合うかを体現されてきた。赤木さんのような人たちに支えられて今の水俣があるのだと思う。最後の研修では、午後一番から3時間の予定を、まだ伝えることがあるんだとばかりに、希望者に対してその倍の時間を使ってレクチャーしてくれた。今でも亡くなられたことが信じられないし、こうしてまとめようとしても、まったくまとまらないが、ご家族にお悔やみを申し上げ、赤木さんのご冥福をお祈りする。赤木さんを思い出すと、胸の真ん中があたたかくなる。体温くらいの穏やかで静かなあたたかさ。赤木先生は不知火海に浮かぶ舟ではなく、不知火海そのものだったのかもしれない。

2013年、赤木洋勝さんにインタビューをした際の抜粋。水銀に関する水俣条約に係る能力強化研修についてが話題だったが、赤木さんの仕事の仕方がわかると感じて抜粋する。
赤木:広島長崎と同じように、水俣は爆心地です。現地の強みがあります。長年の経験とノウハウをこの研修に活かしてください。研修をするということは、水俣にとっても相思社にとっても役に立つことです。海外については経験がないので、そこはこれから先のことを考えれば良い経験になると思いました。足を踏み入れようとする人はどういう気持ちで入ってくるか?大部分は恐ろしい、聖地という感覚で入ってくるはずです。水俣に来て、なぜ水俣病のような悲惨な事件が起きたのか、その本質を知ることが重要です。現地ならではの話には奥深いものがあります。光と影の、影の部分にスポットを当てて事実は事実として水俣病の歴史を伝えていかなければなりません。そのことを伝えるために行動している組織と連携をしながら、水俣病の語り部や胎児性水俣病患者の方々に出会うことが重要です。研究の世界では微量汚染によって被害・障害を受けやすい脆弱な胎児への影響が最も懸念されています。これからそういったことが問題になるかもしれないという意識を持ってほしいと思います。
永野:研修では様々な立場・分野の研修員がいたので、水銀や条約に対する理解や関わり方が違っており、各人への伝え方バランスが難しいと実感しました。
赤木:まずは受け入れ側の関係機関で「理念をどこに持っていくか」を話し合うことが必要です。研修を担当した事務局が考えることもありますが、各国にどういったリクルートをしたか、政府としてはっきりとした趣旨説明があれば、講師にも具体的なお願いができます。研修員にも中身が伝わります。焦点の当て方一つで話は違ってきます。様々な専門分野の研修員に対する講義では、共通した大きな柱を立てることが重要です。例えば、深刻な環境汚染の実態、人体や生物への被害の深刻さ、一旦大規模な環境汚染が起これば回復には努力をしても長期間を要するという事実など、具体的な根幹をいくつか設定すると良いでしょう。それが批准に向けた行動プランになっていきます。事務局にはそのための知恵を出して設定してほしいと思っています。
永野:小規模金採掘に対してですが、赤木さんご自身は今後、どのような働きかけをなさいますか?
赤木:アマゾン全体だけでも二千箇所、世界中には無数の汚染源があります。水銀の汚染は五感で感じるものではなく、現地調査でサンプリングし水銀測定をして初めてその汚染の程度がわかります。これまで私はJICA研修や共同研究という形で南米アマゾンやアジアの各地域の金採掘現場での水銀のモニタリングに関する人材育成に関わってきました。またプロジェクトとして海外からの人材受入れも行ってきました。水銀分析技術を伝達するだけでなく、自ら技術に精通し正確なデータを残すことを中心に研修を行っています。小規模金採掘の現場では、金の抽出剤として水銀を用いる水銀アマルガム法が用いられています。汚染を起こさないためには、現場で回収し環境中に放出しないという原点処理が重要です。しかし現状は回収には無関心で、すぐに焼いて大気に拡散させています。その後何が起こるか、その理解を深めることが重要です。水俣病も、原点処理が行われていれば止められたはずです。それを踏まえて考えると金採掘現場でも本来やらなくてはいけないことは、原点処理です。そのための証拠を、研修員とともに正確なデータで残そうとしています。汚染源のない何百キロと離れたところでも汚染が起きているのですから、これは地球全体の問題です。これまで多くの小規模金採掘の現場へ行きましたが、携わる人達は家族労働をしていて、金採掘は食べるための職業になっています。そこで感じるのは、ほとんどの途上国で水銀汚染への危機感がないことです。水銀汚染に対しての危機感が薄い人たちをどう説得するか、が緊急かつ大きな課題です。
繰り返しになりますが、多くの場合、水銀は回収されることなく焼かれて大気に飛ばされています。解決の道は、状況に
応じて各国に委ねるしかありませんが、水銀汚染問題というのは地球全体の問題です。主に魚類などの食べ物を通じて循環し、いずれは人間に戻っていく。担当者がしっかりとそのことを考えてもらう。あとは各国へ戻って知らせて批准を検討してほしい、そのための研修だと思ています。

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