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謀圧事件

いまから40年数年前。熊本県議会の公害特別委員会の杉村委員長らが環境庁に陳情した際に「水俣病の認定申請者にはニセ患者が多い」と発言。
一番の理解者であってほしい公害特別委員会の発言を受けた患者らは、次の公害特別委員会が行われるのにあわせて、150人でバス3台に分乗し、県議会に陳情に向かいました。議会前ではすでに30人以上の私服警官が待ち構えていました。
会の中で杉村委員長は「陳情の際の発言の内容は真意とは異なり、誤解を招いたのは遺憾」との声明を読み上げただけで退席、数人の患者が追いかけようとしましたが、私服警官が委員長を守り、患者らは抗議すら思うようにできませんでした。
そして数日あとの朝6時20分、突然、制服・私服警官及び熊本県警機動隊員140人が、相思社と患者宅を取り囲み、患者2人、相思社職員1人を含む4人を杉村委員長への暴行の容疑で逮捕、相思社を含む6箇所での家宅捜索が始まりました。
近所の子どもたちはあまりの物々しさに怖がり、親に連れられて登校したといいます。
見せしめ。警察の行動はそれが効果的になされるように演出されたものでした。それゆえ、権力が謀り(はかり)、患者運動を弾圧するために事件を仕組んだという意味でこの出来事は「謀圧事件」と呼ばれました。水俣病や患者に対する偏見差別、あるいは患者運動を極端に嫌う市民感情は、このような事件によって醸成されたのかもしれません。
一方、この謀圧事件によって、患者達の運動はより強固となり、新たな支援の輪も広がっていきました。これは「謀圧事件」を演出した人々にとって計算違いだったことでしょう。

ちなみに逮捕された4人はその後の裁判で有罪、患者・支援者が被告席に座らされた上でのあまりにひどい判決理由に総立ちとなった傍聴人が裁判官を追求。判決文が最後まで読めないという事態が発生しました。

また、被告のうち一人は暴行があったとされる場にもいませんでした。
【それにも関わらず、「共同謀議」で同罪という。運動に参加しているものであれば誰でも逮捕し、起訴し、有罪にできる。これが日本の行政制度であり、司法制度であるとするなら、日本という国はなんと嘆かわしい状態であろうか】という手記を読みながら。

※謀圧事件に至るまでも、ニセ患者発言は、地域住民や政治家たちから未認定患者運動に対して常時なされていました。「お金目当てに水俣病のふりをする」「診断に際してウソの申し立てをする」「水俣病のくせに元気に働いている」等々と、未認定患者に対する偏見・差別としてニセ患者という言葉が使われていました。
「水俣病」は医師による診断によってではなく、認定審査会という県の組織に認定棄却保留の業務が委ねられたことによって、水俣病はイメージの病気として扱われるようになり、同時に未認定患者運動に反感を持つ人々のあいだに、ニセ患者という言葉が権威化していきました。

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