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潮谷淑子前熊本県知事への尊敬と幸山政史熊本県知事候補への応援

数日前、水俣病犠牲者慰霊式で、私は蒲島郁夫熊本県知事の言葉を聞いていました。患者さんたちの声やお顔を思いながら、言葉と行動が一致しない彼の背中を見つめていました。
慰霊式が終わって、患者さんたちと次の会場へ向かう途中、潮谷義子前知事にお会いしました。彼女は「知事を見つめるあなたの目を見ていましたよ。あなたは、変わりませんね。貫いておられる。ずっと変わらずにここにおられる」と、私の手を握りました。潮谷さんは、式の間、私の向こうにいる被害に遭われた方たちのことを、見ておられたのだと思います。彼女こそ、知事時代と何も変わっていないと思い、あたたかな気持ちになりました。
私は潮谷義子さんを尊敬しています。知事時代、彼女は患者の一人ひとりを自分のこどものように考え、心を痛め、患者と会っての交渉に臨んでいるように見えました。被害を受けた方を、知事の全責任において認定なさったこともありました。
不知火海周辺に住んでいる、被害を受けたであろう47万人の調査を国に訴えたのも、彼女です。国からは、「そんなことをしたら患者の掘り起こしになる」と一蹴され、それでも訴えを続け、実現はしませんでしたが、その勇気ある訴えにどれだけの患者が支えられたことでしょう。
県内のホテルがハンセン病回復者の宿泊を拒否した事件では、ホテルに対し「人権侵害である」と厳しく抗議をし、一部支持を失ったと言われたこともありましたが、この行動は拒否を受けた方々に力を与えたことと思います。6月、熊本地裁がハンセン病家族訴訟で判決を出した際、蒲島郁夫知事が「コメントは差し控えたい」と言って判決への評価を避けたことを知ったとき私は、蒲島郁夫現知事は、一体何を守りたいのかと思い、同時に潮谷さんのあの抗議を思い出しました。
潮谷さんは本当に、その場、その場で心からの対応をなさってきた方だと思います。
そして同じ慰霊式の夜、幸山政史熊本県知事候補と話をしました。 ほとんどの時間を私が話してしまいましたが、幸山さんは耳を傾け、長い時間、聞き続けました。その存在と、「永野さんは決して甘くはありません」という言葉に少し自信を取り戻しました。幸山さんの熊本市長時代、私は熊本市に住まい、その仕事を見ていました。フェアトレード事業の支援や、こうのとりのゆりかごの立ち上げの英断、刑務所への訪問など、社会の闇とも思われる部分に光を当てていったのが、幸山さんでした。その後、私は水俣に帰り、逃げ続けた水俣病に向かい合いたいと思うようになりました。いまだに逃げ出したいと思うことがありますが、そんなとき、幸山さんが私を問うてくれたことがあります。それも、一度ではありません。幸山さんのまっすぐに相手と対峙しようとする姿勢や、おかしいことをおかしいと、きちんと口にする性格は、幸山さんの思わぬところでも、私に気づきを与えてきたと思っています。
潮谷さんは2000年から2008年まで、幸山さんは2002年から2014年までそれぞれ熊本県知事、熊本市長を務めたお二人には共通の経験も多いことと思いますが、私はいつも二人の長らしい言動に教えられ、助けられきました。
県や市の長とは本来、住民の命を守り、理不尽な状況に置かれていれば救い出し、傷ついていればそれを癒やす存在です。任期中、その行動を続けられたお二人に敬意を評し、これからも潮谷義子さんへの尊敬と、幸山政史さんの春の選挙戦への全力での応援をつづけます。水俣病事件は、この県の、この国の事件です。曖昧なまま幕を閉じようとしているいま、現状を打開していきたい。声を上げつづけます。
あの頃の熊本県に、戻るために。熊本県知事選、勝たなければなりません。12月に水俣で、幸山政史さんと膝を突き合わせて語る会を行いたいと思います。応援を、よろしくお願いいたします。

※潮谷義子さんの言葉
http://jiaien.or.jp/outline.html
※潮谷義子さんの本
https://www.amazon.co.jp/%E6%BD%AE%E8%B0%B7%E7…/…/4816709371
※幸山政史さんのHP
https://www.kohyama-office.com/

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