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「公害」という字が削除されました

先日、水俣市議会の「公害環境等特別委員会」の名称から「公害」という字が削除されました。それは突然、水俣病の原因企業チッソが支援する議員らで作る最大会派や自民系、公明の各会派の過半数から提案されたものでした。いま、水俣では市長派(チッソ派):反市長派は、10:6の割合です。
「公害」の削除提案に関して決議が行われた日、開会直後、「藤本としこ議員(相思社元職員)の今会期中の発言が不適切」との動議が突然チッソ派の議員からあがり、不適切と決議、藤本議員の発言を議事録から削除するため、議会は一時間の休廷となりました。その前の週にも、藤本議員は理不尽につるし上げられており、議論の時間を奪うための戦略だったように思います。
休廷の時間、いろいろな人と話をしました。駆けつけた患者の人、新聞記者の人。いつもは傍聴席にいない若い人たちが10人、黒いスーツを着た50代と思しき男性とともに、群れをなしていました。声をかけると、彼らはJNC(チッソ)労働組合の人たちで、黒いスーツの男性は、東京のチッソ本社から傍聴にきていました。28歳の労組の書記長という人に、「何を傍聴に来たのですか」と尋ねると、「公害が取られるのを見に」と言いました。

再開後、各々の議員たちがなぜ公害を取るのか、また取ってはならないのかを語りました。内容は本文最後に記したURLから、youtubeの動画で見られます。藤本としこはある患者との出会いと、その人と家族の苦悩、若くして亡くなるまでを語りました。その人たちの存在をなかったことにしないため、「公害」の二文字は削除させない。その声を聞きながら目の前の患者の人は泣いていました。その後すぐに多数決が取られ、賛成多数で「公害削除」が可決されました。提案から一ヶ月も経たずの強行採決でした。水俣病事件の歴史はこうして漂白されたり、塗り替えられたり修正されたりしていくのだと思いました。

目の前の患者の人が、また泣きました。この人は、今日ここに来たこと、この場にいることがどれだけつらいだろうかと思いました。横にずらっと並んでいたチッソの職員に目をやると、小さく拍手をしていました。そのとき私は、人が傷つくのを見ながら、自分が平然としてその様子を見ていることに気がつきました。怒りや悲しみを感じることもなく。
だけど、今日別のことに気がつきました。私はあの時、平然としていたのではなくて、もう、心が動かなくなっていたのだと。おそらく私にとってその光景はショックだったのだと思います。目の前で傷ついている人がいて、その原因に対して喜ぶ人がいる。それを前にして、心が凍っていったのだと思います。そして何もできなかった。

今日。嵐の中の離島巡りをし、それぞれの患者さんの話を聞きました。環境省の人が東京から異動の挨拶に来て、同行のために。
50代の患者さんは、こどもの頃、自身の父が水俣病に倒れた50年近く前、近所の人が川で洗濯をしていた母に石を投げ、「お前が認定されたせいで魚が売れなくなった」といわれた恨みを語り、それから「環境省の職員が2年や3年で異動することで何度も同じ訴えをせねばならない」といいました。環境省の人は「チッソじゃなくて島の人を憎んでいるんですね」とか「へぇ、大変ですね」とか「ひどいですね」とか「ダメですか」とか言いました。言葉が違うという感覚。それは東京の人と不知火海の人という方言の違いではなく。一方通行な、テレビを見て、お茶の間で感想をいうような。50代の患者は、「いえ、私たち島の人間はみんな、チッソを憎んでいます」といいました。
別の島で同行した80歳近い患者さんは、45年、地域の患者たちのことを訴えています。自分のことは語らず、人のために尽くす人です。最近足が悪くなり、杖の支えがないと歩けません。雨の中を歩いて移動しようとしたとき、環境省の職員が両脇を支えました。歩き始めた彼は、「あたどん(あなた方)には本音は言わんとばい」と職員に言いました。職員は軽く「えー、本音でいきましょうよー、本音で」と流していました。私はその含蓄ある言葉に、心打たれました。目の前の、別空間で放たれたこの言葉をどう理解していいのか? 私と同じ年の頃からどんな思いで環境省と交渉をしてきて、その挙句、あなたがたに本音を語れないと言っている彼の切なさだったり、そう言うことで同時に彼は、自分の心や尊厳を守っておられるのではないだろうかとも感じて、胸が熱くなりました。

私は患者ではありません。チッソの職員でも、議員でもありません。その私は、いま、何をするのか。ショックでも何でもここにいて、私の足元にある水俣や相思社や水俣病歴史考証館で、「公害が削除される経緯」を水俣病事件の大切なひとコマとして、伝え続けること。
心が一時的に動かなくなることはあるのだと思います。心が癒えるのを待って、誰かと語って、整理していこうと、環境省の職員に「あたどんには本音は言わんとばい」と言ったあの人の、含蓄のある言葉を聞いて、あの日のことを、書き残そうと思いました。
※写真は考証館。人類の財産である水俣病事件の証拠資料を展示。実物の記憶、訴える力は人間とは違う可能性を持っている。

youtubeで議会当日の様子が見られます。


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