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話し合いと慰霊式と大臣との懇談と夕食と

今日は朝から、ふたつの島から、またお近くからの患者さんたちを迎えました。テーブルを囲み、環境大臣と熊本県知事に伝える言葉について、誰が何を言うか、自分の経験を含めるか、過ごしてこられた時間と歴史と体のつらさ、医療と福祉の不十分さ、認定患者との格差、認定申請者の扱いなど、出し合ってきた意見を、出来上がった要望書を見ながら再確認しました。患者さんたちは、私の普段のことも聞いてくださって、その声を含めてくださいました。そのことに、私は救われた思いがしました。
午後からの慰霊式では、上野エイ子さんが言葉を述べられた。夫を亡くされ、6日後に生まれたお子さんが胎児性水俣病患者だったこと、二歳で亡くされたお子さんを解剖させてほしいとの依頼を受けたこと。お子さんの死後、耐えきれず水俣から逃げ出したこと。その後、水俣に帰り、お子さんと同じ水俣病患者を介護するために認定患者のための施設「明水園」で働いたことを語られました。最後に、亡き娘さんに対して「私ももうすぐそちらへ行きます。会えることが楽しみです」とおっしゃられ、なんとも言えない気持ちになりました。
水俣市長は、水俣病によって人々の間に生まれた溝が解消された、環境モデル都市を継承するという話をしました。溝はいまだ解消されてはおらず、市長就任後、次々に市役所の部署名や市の指針を示す資料から「環境」や「水俣病」、「公害」などの文字を消してきた市長の口からあふれる言葉の数々を聞きながら、途方に暮れました。
蒲島郁夫熊本県知事の言葉は、ほぼ、例年と同じでした。「常に弱い立場の方々に寄り添い」「知事就任以来、この原点をゆるがすことなく、水俣病の様々な課題に向き合って参りました。これからも水俣病被害者の方々に寄り添いながら、水俣病問題解決のために全力を尽くして参ります」「公健法に基づく水俣病の認定審査については、平成25年4月緒最高裁判決を最大限尊重し、私の任期中に1,200件の審査を完遂を目指し、迅速かつ丁寧に取り組んで参ります」
審査課ではノルマのように一年に三百人という人たちが棄却され、現場で、認定申請者への取り下げの誘導が行われ、患者の切り崩しが行われるなかを、熊本県知事の美しい言葉が並んでいく間、電話をくれた、飛び込んでこられた、あの申請中の方々の顔が浮かび、声が聞こえてくるようでした。
汚染が止まらなかったことを遺憾に思うと言っていましたが、熊本県は、止めなかったのです。国も、原因企業チッソ(JNC)も。みんなで、不知火海周辺の住民を見殺しにしたのです。
祈りの言葉の最後、「(認定を受けた)胎児性水俣病患者さんが、旅行に行きたいとおっしゃるので、介助者の旅費まで出しました。そうして支援しています」と言いましたが、だから何だ?それで何がチャラになるんだ?
言葉の一つひとつが、自分を守るためのものに思えました。
その後の環境大臣の言葉は薄く、私の心にはまったく残りませんでした。一つあるとすれば、懇談の席で患者さんたちの言葉を受けての発言で「これだけは言わせてください。環境大臣が変わっても、環境省の職員は就任した大臣に、『環境省は水俣病がきっかけでできた』と言い続けます。これだけは、言えます」と言ったことくらいで、私は大臣の目の前で、思いっきり首をかしげてしまいました。
大臣との懇談では、患者さんたちが、10年前に約束をした住民の健康調査、汚染地域の水銀値調査、認定申請中や訴訟中の方たちへの対応、JNC(チッソ)の子会社倒産への対応などについて、それぞれの言葉を述べられました。
私がお手伝いをさせてもらった患者さんたちも、緊張の面持ちで話しをはじめました。要望は環境省、そして熊本県に向けられたものでした。私は、昨年秋から一年の間、続いている熊本県から認定申請者への、申請取り下げ誘導について質問をしました。熊本県知事は、「そのような事実はありません」とした上で、「後日、ゆっくりと話しを聞かせてください」と言いました。
私は候補日をあげて、知事にメモを渡しました。すると知事はそのメモを後ろの職員に手渡しました。そこに会話はありませんでしたが、県職員は私の前に駆け寄り、「知事はあなたがたの話は聞きません」と言いました。「聞くとおっしゃいました」と言うと、「あなた、それは甘いよ。組織として聞くと言ったんです」と言われ。私は、甘いのでしょうか。
公の場で、マスコミを前にしたときは、耳障りの良い言葉を並べ、しかし、すぐにその約束を反故する蒲島郁夫熊本県知事。「甘い」という一言で知事の発言を撤回する熊本県職員。この10年見てきた熊本県の姿勢そのものだと感じています。
夕方は、乙女塚の砂田エミ子さんと、エミ子さんが息子のように思っておられる宮本成美さん、そして娘と夕食をともにしました。いつもは私がエミ子さんのところへ押しかけて、話をしたりお茶を飲んだり食事をしたりするのですが、今日は宮本さんのご招待で初めてお酒を飲みに連れて行っていただきました。今日一日あったことをエミ子さんに聞いてもらい、そのたびに眉をひそめたり、白い歯を見せて笑ったり、一つ一つの出来事に言葉を寄せてくれるエミ子さん。しかも私は、普段は飲まないお酒を飲みながら。こんなに幸せな時間はありません。私は幸せになっていいんだ。そう思いながら夕刻を過ごしました。
そして夜。電話で知人に知事の行いと県職員の発言、「私が甘かったのかもしれない」と話したときに、「永野さんは、決して甘くありませんよ」と言われたその一言に、勇気をもらいました。人から否定をされたとき、自分を保つことがどれだけ難しいか。それは認定申請者が、聞き取りを受けたときに県職員からひどい質問をされたとき、考えられないような理由で棄却をされたとき、自信を失いつつ飛び込んでこられたり、電話をかけてこられる患者の方たちから聞くことです。
私は、今日の熊本県知事のあの行いを忘れません。県職員の、あの言葉を忘れません。
今日、それぞれの場にいさせてもらって、言葉を紡ぐ手伝いをさせてもらったり、患者さんたちの言葉の一つひとつを聞けたこと。エミ子さんに私の話を聞いてもらえたこと、本当にありがたく尊いことでした。

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