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日本の公害病

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日本に公害病はいくつあるのだろう。四大公害がなぜその名で呼ばれるようになったのか。当事者たちがあげた声が社会運動に発展したから? 裁判を起こし、支援の輪が広がり、勝訴したから? … もっと読む
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記事一覧

7月20(土)~22日(日)の水俣合宿へのお誘い

【7月20(土)~22日(日)の水俣合宿へのお誘い】 人と自然が水俣病によってどれだけ傷つけられたか、加害企業はどうやって成長したか、なぜ原因究明が遅れたのか、被害者の訴えはどう抑圧されたか、政府の解決策にはなにが足りないか、水俣病事件の記憶をどう子どもたちに、または家族や友人たちに伝えるのかを、三日間、一緒に考えてみませんか。 星槎大学と協働する教員免許更新講習は、ハードだけれど、この数日で私たちが手にするものは、きっと一生モノになる。 期間:2019年7月20日(土)9時

新潟と水俣の患者が成立させた公害認定

今年は新潟と熊本の水俣病公害認定から50年ということで、新潟日報から今週取材を受け、改めて、両水俣病の公害認定に至った経緯を考えました。一部では、「国はよくやった」とか「公害認定されて良かった」といった評価がありますが、これは患者が声をあげた結果であって、国の積極的姿勢ではありません。 熊本水俣病が公式確認されたのは1956年です。患者たちは声をあげますが、原因企業のチッソは59年、熊本県知事立ち会いのもと、水俣病の原因をあいまいにした低い金額の見舞金契約を患者との間に結びま

土呂久の人

土呂久(とろく)の公害患者で佐藤慎市さんの叔母の、佐藤アヤさんの歌を、時々読み返します。心を鷲掴みにされたようになります。決して彼女の存在を、彼女の苦しみを、彼女が生きたということを忘れないぞと思います。佐藤アヤさんの歌です。 ・我が疾病(やみ)を砒素中毒と切り離し低額迫る行政に泣く ・山咲の花も豊かな故さとに何時の日かえる土呂久の村よ ・夜の間にどんどん燃やす毒煙 土呂久の村は雲海の如く ・あれ程に煙害散らしおきながら害少しとうそぶく彼等 ・梅の香も未だ匂わぬ春浅く朝膳運ぶ

三井三池炭塵爆発事故

1963(昭和38)年11月9日、大牟田市の三井三池三川鉱で炭塵爆発が起き、多くの苦しみを生みました。 爆風と炎は各所に落盤を引き起こし、さらに一酸化炭素が坑内に充満して458人が死亡、839人が一酸化炭素中毒になりました。 きょう、日吉先生のお葬儀でお経を唱えたあと、事故で亡くなられた方たち、後遺症に苦しみ悶えて逝かれた方々にも、祈りを捧げました。 その日、坑内には1,200人以上の労働者が入っていました。事故の犠牲となった大半の人は、爆発ではなくて、炭塵が爆発することに

カネミ油症

水俣病の裁判の傍聴にきた私と同じ年のカネミ油症患者と10年前に会いました。私たちが生まれるずっと前の公害なのに、どうして、いう疑問。皮ふ症状や全身の倦怠感、内蔵疾患や手足のしびれ、爪の変色や鼻血。油症という公害は、母からも父からも遺伝すると聞きました。いまや三世代目のこどもたちが生まれているそうです。この苦しみがさらに何世代にわたるか、誰も知りません。 11月2日(金)18時30分、北九州市立大学のなかの北方シネマでカネミ油症の人たちを描いた映画「食卓の肖像」の上映会がありま