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三井三池炭塵爆発事故

1963(昭和38)年11月9日、大牟田市の三井三池三川鉱で炭塵爆発が起き、多くの苦しみを生みました。
爆風と炎は各所に落盤を引き起こし、さらに一酸化炭素が坑内に充満して458人が死亡、839人が一酸化炭素中毒になりました。
きょう、日吉先生のお葬儀でお経を唱えたあと、事故で亡くなられた方たち、後遺症に苦しみ悶えて逝かれた方々にも、祈りを捧げました。

その日、坑内には1,200人以上の労働者が入っていました。事故の犠牲となった大半の人は、爆発ではなくて、炭塵が爆発することによって発生した一酸化炭素中毒で亡くなりました。

エネルギーが石炭から石油に変わっていったころ。石炭を採掘する三井鉱業は大量指名解雇による合理化を強行、三池労働組合などの労働者は、チッソ水俣工場を含む全国の労働組合の支援を得て313日にもおよぶ労働争議を行いました。だけど大規模な合理化が強行されて、人員は減らされて、生産量は増えました。

そこに、炭塵爆発が起きました。粉塵爆発の対策は、坑内を綺麗に清掃して、散水することだったのに、人が減ったことで、それができなくて、40年ぶりの事故でした。会社は、お金がかかる安全対策をしておらず、救出活動には長い時間がかかりました。

二年前におじゃました大牟田の三池炭鉱の被害者の妻、松尾恵虹さん。夫の修さんが、炭塵爆発事故に遭いました。事故が起きたのは午後3時でしたが、救出されたのは、夜11時ころでした。一旦、病院へ収容されたけれど、身体に何事もなく夜半に一人帰宅されました。
無傷と思われた修さんの体に変調があらわれたのは、事故発生から一週間程経過した日の夜のことでした。急に頭痛を訴え全身の激しい震えとともに40度を超す高熱で病院へ運ばれました。修さんは、一酸化炭素中毒でした。その日から、松尾さん一家の長い苦悩に満ちた闘病生活が始まりました。

ここから、松尾さんの話を聴くことができます。
http://www.at-douga.com/?p=10203

そして、あしたは公害(大気汚染)にかんするシンポジウムが。お近くの方は参加をご検討下さいませ。わたしも伺います。
http://www.fukujo.ac.jp/university/media/archives/209

日本の公害病は四つではありません。この国が起こした数々の公害事件の歴史やその被害が葬られてしまわないように。葬ろうとするチカラに、利用されないように。加担しないように。

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