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共に生きる!希望への道! 本「悲しみとともにどう生きるか」★5

多くの人たちに読んでもらいたい一冊。

悲しみから目を背けようとする社会は、実は生きることを大切にしていない社会なのではないか。共感と支え合いの中で、「悲しみの物語」は「希望の物語」へと変容していく。「グリーフケア」に希望の灯を見出した入江杏の呼びかけに、ノンフィクション作家・柳田邦男、批評家・若松英輔、小説家・星野智幸、臨床心理学者・東畑開人、小説家・平野啓一郎、宗教学者・島薗進が応え、自身の喪失体験や悲しみとの向き合い方などについて語る。悲しみを生きる力に変えていくための珠玉のメッセージ集。

2020年 入江杏
柳田邦男 若松英輔 星野智幸 東畑開人 平野啓一郎 島薗進

目次
まえがき 入江杏
第1章 「ゆるやかなつながり」が生き直す力を与える(柳田邦男)
第2章 光は、ときに悲しみを伴う(若松英輔)
第3章 沈黙を強いるメカニズムに抗して(星野智幸)
第4章 限りなく透明に近い居場所(東畑開人)
第5章 悲しみとともにどう生きるか(平野啓一郎)
第6章 悲しみをともに分かち合う(島薗進)
あとがき

入江杏さんは、「世田谷事件」で妹一家四人を喪った。そして、「悲しみ」について思いを馳せる会「ミシュカの森」を開催するようになった。本書は、そこに参加した6人の講演や寄稿を収録したものである。

はじめに、入江さんだったと思うが、「悲しみの共通の水脈の広がりに気付かされた瞬間、悲しみは生きる力に向かっていったように思う。」と言っていた。人生に悲しみはつきものだ。この不条理の世界で。たぶん人は皆、悲しみから逃れられない。皆悲しいんだ。だからこそ、「ゆるやかにつながり合うこと」「悲嘆を共に分かち合うこと」が大切なんだろう。辛さを分け、心を癒し、そして生きる力に変わる。希望への道

悲しみと真剣に向き合ってきた経験から語られる7人の言葉は、どれも寛容で、広く優しく包み込んでくれるようだ。学びは多い。特に、柳田邦男さんの二・五人称視点、平野啓一郎さんの準当事者、また「分人」の考え方が新鮮で、人としての器を、視野を、広げてくれる。とは言っても、簡単ではないな。少しづつでも、こういう意識をもって、社会の悲しみと向き合う。多くの人がそうなれば、社会は変わる、か? 悲しみのシェア!


第1章 柳田邦男(ノンフィクション作家)
「「ゆるやかなつながり」が生き直す力を与える」

悲しみの人が生き直す力を取り戻すには、身近な人々はもとより社会が亡き人を悼む眼差しを向けるのを忘れないことや、様々な喪失体験者が孤立しないでゆるやかにつながり合うことがとても大切。
生と死の人称性。一人称の死は私の死、二人称の死は家族や恋人の死、三人称の死は友人や無縁の人の死。人称性によって衝撃や悲しみがずいぶん違う。二・五人称視点、感情入りすぎず冷たくなりすぎない。

第2章 若松英輔(批評家)
「光は、ときに悲しみを伴う」

12月25日はそもそも異教徒の太陽神の祝日、心に光が差す日がクリスマス。
クリスマスは、親切と許しと恵みと喜びのときで、身近な人以外との間にもつながりがあることを思い出す時。ディケンズ「クリスマスキャロル」
伝える、微笑み声かけ、受けたものを次に渡す。
自分が他者に何を与えられるかはわからない。
苦しみは恩寵である。
変わる時は瞬間で変わる。

第3章 星野智幸(小説家)
「沈黙を強いるメカニズムに抗して」

自分は本当は何が言いたいのか、何にこだわりを持ってしまうのか、そこを見つめて言葉を紡ぐ。実感の持てる言葉で物語れた時、書き手は自分の存在を確かに感じることができる、読み手も何か変わる。無意識に自分にかかっていた制御を解除しうるのが、文学の言葉の力。
社会やメディアのつくる大きな物語に囚われることなく、自分自身の物語を紡ぐ。大事な人達や読書から、自分を表す言葉が発見できたりする。自分の表現をつくりだす。注意するのは自分の物語に囚われすぎないこと。変化するから。

第4章 東畑開人(臨床心理学者)
「限りなく透明に近い居場所」

居場所の仕事で重要なのは、一緒に居るということ。安心でき、自分らしくいられる場所。
基本はまずケア、次にセラピー。ケアは依存を引き受ける、ニーズを満たす。セラピーは心の痛いところを一緒に触っていく、自立を促す、手を出すのを控える。
アジール(逃げ込んで隠れ家になる場所)とアサイラム(完全に人間を管理する場所)の語源は一緒、正反対のようで実は同じ。ケアと管理は表裏、危ういバランスがある。居場所の存続が難しいのは自分たちでそれを壊してしまうということがあるから。透明性を求めた結果、世界はアサイラムだらけになってしまう。不透明な怪しいもの
スーホの白い馬、モンゴル、喪失と再生の物語

第5章 平野啓一郎(小説家)
「悲しみとともにどう生きるか」

当事者ではないからこそ書けることがある。当事者と非当事者ではなく、当事者と準当事者。準当事者として問題を受け止めることが重要なのでは?日本、犯罪被害者に対するケアがあまりにも弱い。社会で起きた犯罪はみんな準当事者、何が出来るか?
人間は非常に複雑な要素の集合体、一人の人間は複雑な属性を備えている。複数対複数の属性を照らし合わせると、どこかにコミュニケーションの可能性を見出しうる、そこに対話の糸口がある。「分人」の集合として自分を捉える、対人関係や場所ごとに自分を分けて相対化。
忘れるべきではない、忘れてもいい。

第6章 島薗進(宗教学者)
「悲しみをともに分かち合う」

死別の悲嘆に対する癒やしのための社会装置。葬儀や慰霊の儀礼、古来から様々。
「露の世は露の世ながらさりながら」おらが春、小林一茶。悲しみに満ちていた生涯。
悲嘆を「共に分かち合う」

グリーフケア、griefは深い悲しみや悲嘆。相手に寄り添う姿勢が大切。
グリーフワーク、悲嘆を癒やす営み。

また読み直したい。
本書の皆それぞれの本にも触れてみたい。

素晴らしい読書体験でした!

(^^)/

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