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陰キャだけどもたまには言わして

お久しぶりです。
車を待たせている横断歩道を駆け足で渡る人、信用できる。
いとそです。

あの、暦から春は消滅したんでしょうか?
クソ暑い日が続いているのと、僕が幼少期から推し続けているキングオブポップことマイケルジャクソンのマイブームの再燃が重なり
気付いたらここ3週間でTシャツを6枚(サムネイルの5枚+下の1枚)購入していました。アホですね。
これで安心して夏を越せそうです。やったね。

サムネに入れそびれた1枚。
これもまた最近ドはまりしているデヴィッドボウイ。
このダサさが愛おしい。


さて、前回の投稿からかなり間が空いてしまいました。
というのもここ約2か月、色々思う事はあったものの
文面として記事に昇華できずに悶々としていました。

これからまたぼちぼち再開しようと思いますので、お付き合いください。

※今回の記事はだいぶ自論と偏見で溢れてます。
恐らくそこそこ敵を作るような内容になってますが、あくまで個人の見解ですのでどうかご了承ください。
(とか注釈入れておかないと"イマドキの人"に怒られそうなので)




僕は食べ物の好き嫌いはほとんどない。
強いて言うならレバーくらいだろうか。
(だがレバーペーストはイケるので普段はノーカンにしている)

その分人やモノ・コトに対する苦手や好き嫌いは恐らく人一倍多いんじゃないかと思う。

もちろん当アカウントのメインテーマに掲げている
メンタル疾患に由来するもの(嘔吐関連、電車や飛行機、外食etc)だったり
発達障害に由来するもの(集団生活、コミュニケーション、集中力を要するものetc)などがあるが
そもそもパーソナリティ的な部分においての好き嫌いが多い。

集団でいる時は"やたら"喋るくせにサシになった途端にコミュ力が雑魚になるヤツ
ひとり反省会とか全くしたことがないようなヤツ
ゴリゴリルッキズムのくせに「人間見た目じゃない」とか言ってるヤツ
家にプロジェクター常備してるヤツ
聞いてもないのに"教え"を説いてくるヤツ
女子とカラオケする時だけBACK NUMBER歌うヤツ(あとOfficial髭男dism)
「幸せのお裾分け」とかいう訳分からんスタンスのSNS投稿してるヤツ
車運転できないだけのくせに"偉そうに"ママチャリ乗ってるヤツ
特定の人の噂話や悪口でその場を盛り上げようとするヤツ
とそれに追随して盛り上がってるヤツ
コムドット大好きなヤツ(あとジュキヤ)
人生をやるのが"器用"そうなヤツ
ビジネスで陰キャやってるヤツ
わざと自分を卑下して「そんな事ないよ待ち」してくるヤツ
行間が読めないだけのクセに人の揚げ足取って賢くなった気になってるヤツ
日常でLUUP"乗りこなしてる"ヤツ
そこそこ人がいる通路の真ん中で恋人の後姿を撮影するタイプのヤツ
黒塗りのアルファード乗ってるヤツ
試着が死ぬほど雑なくせに買う時は絶対新しいものを店員に持ってこさせるヤツ
「表現の自由」と「歩行者優先」が口癖のヤツ
etc.

お察しの通り、これだけ嫌いな人やモノ・コトが多いとまあ生きづらい。

もちろん異論は認めるし、これが"正解"とも思っていない。あくまで個人の解釈ですから。
ただこれを"正解"と言い合えるような人を大事にしたいし、そういう人に僕は惹かれる。

ね、ニーチェ先生もそう言ってますし



ここまでは只々僕の中に渦巻く毒素をぶちまけてきたが、本題はここから。


上記のようないけ好かないやつら僕が苦手とする方々に投じたブーメランが
多ければ多いほど自分に返ってくるリスクが当然ながらある。

基本的には自分がなりたくない人だったり、一生分かり合えないような人に向かって(陰から)投げてるつもりだが
こんな僕でもたまに好奇心でLUUPに乗ってみたくなるし、たまにヒゲダンみたいな流行りの曲を歌ってみたくなったりする。
そんな時に首を刎ねられそうになる。自分が投げたブーメランで。


そう、生きづらいのはてめえのせいなのだ。
そしてそんな自分に嫌気がさすことも多々ある。
「俺はなぜこんなに拘って、そして何にこんな憤っているんだろうか」と。


ただそれでも嫌いなものは嫌いだと、正論と誹謗中傷飛び交う窮屈な時代だからこそここでは言わせてほしい。
(もちろん人は人、自分は自分という前提のもとで)

人は時に非合理的だからこそ余白が生まれるし、その余白があるから情緒が宿るのではないかと思う。
そしてその余白こそが所謂「人間らしさ」なのではないかと思う。


好きな人なのに意地悪をする
試験前日に勉強する(訳がないのに)という名目で友達とマックに行く
本当は寂しいのに強い人間を演じてみるけど、なんだかんだ恋愛に逃げてしまう
「陽キャ=良、陰キャ=悪」という図式が世論的に確実にあるにもかかわらず、それに抗ってしまう
他人を許せば生きやすくなると分かっていても、嫌いなものは嫌いと言い続ける

イマドキ流行りの合理主義やリアリストたちが見たら泡吹いて倒れるような事例ばかりだろうが、むしろこれこそがリアルで、人間らしいのではないかと思う。

そもそもリアルだとか合理的だとかそんな小難しい事を追求するよりも
「あくまで自論である前提を忘れない」
「他人に害を及ぼさない努力をする」
「自分のケツは自分で拭く」
という事をクリアしているかどうかが重要じゃないだろうか。
(ちなみに僕が他人に抱く好悪の念はここを基準に判断していることが多いらしい)


今後も"生きづらい側"から脱却したくなってあがいてみたり
自分の住んでいる陰キャ村からこっそり抜け出して陽キャの村に顔を出してみたりすることもあるかもしれないが
それでもやっぱり自分と同じような(といったら烏滸がましいかもしれないが)泥臭くて不器用で、人間らしい余白がある人が好きだ
そして自分もそんな人生をコクとして楽しんで死んでいきたい。



あれ、これ何の話?








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