ちさ@オーストラリア生活5年目

海外に行ったこともなかった28年の人生から一転、オーストラリア移住5年目です。 オース…

ちさ@オーストラリア生活5年目

海外に行ったこともなかった28年の人生から一転、オーストラリア移住5年目です。 オーストラリア永住目指して忙しく過ごしています。更新がしばらく止まったり毎日更新したりします。 QLDからWAに引っ越してきました。

最近の記事

【18】ファームでスーパーバイザーになった話

どんどん行きましょう!次は私がスーパーバイザーになったお話です。 パンデミックの影響もあって、私たちワーホリ勢は1年以上ファームに滞在する羽目になりました。しかし規制がどんどん緩和され、次のビザへの必要日数を獲得している人たちからファームを離れて行きました。 時系列が少し前後しますが、私のBest Friendsと言えるシェアハウスの皆んなも1人、2人とタリーを出て行きました。当時私はまだ元カレと暮らしていて、彼には私と一緒に町を離れられるほどの貯金がなく、私は彼がお金を

    • 【17】オーストラリアで免許を取得したお話

      さて、前回の記事でサラッと言ったのですが私は車の免許をオーストラリアで取得しました。日本での運転経験は皆無です。 私は高校卒業と同時に親元を離れて京都に引っ越してしまったので車の免許を取るタイミングを逃してしまいました。また父親が車関係の仕事をしていて運転をするなら親元でと言われ続けて面倒になってしまったのと、公共交通機関が充実していたので全く必要ありませんでした。 オーストラリアに来て思ったのは、「なんで免許とらんかったんやーーーー!」でした。本当に車がないと、生きてい

      • 【16】(ex)彼氏との出会いと英語の発達

        いい別れ方をしていないので、ここの一ページにささっと馴れ初めから別れまでをまとめようと思います。笑 出会いは、コロナの時間差勤務でガラガラになったバスの中でした。 正直彼のアクセント、訛りがかなり強くて最初の会話は悲惨なものでした。 彼は私の後ろの席に座り、私の席に頭を出して「FB聞いてもいい?」と言ってきたので私は「もちろん!」とすぐにアカウントを教えました。 そこからは、分からない部分はテキストにしてもらったりなどして会話をしていました。数日後、デートに誘われて何回か

        • 【15】COVID-19で国境閉鎖、町も閉鎖

          2020年、3月17日 オーストラリアはCOVID-19のパンデミックに伴い国境を閉鎖しました。 多くのレストランは営業停止、ロックダウン。市民、移民関わらず全員が混乱に巻き込まれました。多くの人が失業に追い込まれました。 しかし運のいいことに、ファームは”essential job”(必要不可欠な労働)に分類されており、私たちファーマーは失業に追い込まれることはありませんでした。 前述もしているように、私たちの暮らしていた町にはスーパーがひとつしかなく、マクドナルドや生

        【18】ファームでスーパーバイザーになった話

          【14】仕事が本格的に始まったと思ったら!

          本当に申し訳ありません。更新遅くなりました。この1年間本当に飛ぶように過ぎて行きました。あっという間に32歳にもなってしまいました。細々書いていこうと思ったけど、詳細を飛ばして書いていこうと思います! さて、2020年2月、仕事が本格的に始まりました。 私はパパイヤのパッキングだったはずが最初はピッキングに行かされることに。 英語がすごく訛ってて分からなくて焦った記憶があります。 パパイヤにはサップと呼ばれる白い液があり、枝から実をもぎるときに出てきます。その白い液が肌に

          【14】仕事が本格的に始まったと思ったら!

          【13】不安が募る2週間

          タリー到着2日目、前夜は疲れすぎて何も把握できてなかったのと1日大移動で何も食べてなかったので、スーパーへ直行。タリーにはIGAというオーストラリアでは少しお高めのスーパー1件しか存在していません。あとはお情け程度のアジアンマーケットもあります。それに比べてファームジョブの方はお酒をよく飲むのでボトルショップは3件もあります笑 次にしたことは、オンラインアプライ。事前の調べでタリーで一番大きいマッカイファームというところに入ることができれば安泰という説があったので、オンライ

          【12】バナナの町、タリー到着

          さて今回はタリーまでの行き方を説明致します。 本日の真夜中1:00からクイーンズランドのボーダーが開くとのことだったのでファームジョブする人たちが来始めるかな?久しく日本人に会っていないので、もし新しい友達ができたら嬉しいなあ、今はオミクロンが流行しすぎて外にはあまり出られないのですがね。 大まかに書くと、 ゴールドコースト空港→ケアンズ空港→シャトルバスでケアンズセントラル→ウーバーでピアセンターまで→グレイハウントでタリー という流れになっています。細かくは以下に書き出

          【12】バナナの町、タリー到着

          【11】貯金をしたい一心でファームジョブへ

          仕事が始まってからの生活は、 6:00-7:00 起床 8:00 朝ごはん・シャワー・化粧 9:30 出勤 21:30 帰宅 〜シャワー・シェアメイトと談笑〜 23:00 就寝 こんな感じで、仕事に行くと一日丸々潰れてしまう感じでした。 毎日売れ残りの寿司の持ち帰りがあったので食費はかからない、その代わりめっちゃ太ります。 週の給料は、$600〜$800ほどでした。Dくんの職場は$12から更にタックスを引かれるので雀の涙ほどの給料だったとのこと。周りの日本人の子たちは早朝ク

          【11】貯金をしたい一心でファームジョブへ

          【10】ゴールドコーストで仕事ゲット!

          バックパッカーホステル生活最終日、ビーチに向かいながら朝ごはんのサンドイッチを買い、海を眺めながらもそもそと(パサパサして美味しくなかったのに$7もした)食べていると知らない番号から着信。出てみると、なんとオーストラリアで有名なお寿司レストランチェーンからの着信!その日の午後から早速面接が決まりました。 日本人経営なので電話は日本語でした。 面接地はブロードビーチというトラムでカビルアベニューから4駅ほど行く所で、シェアメイトになるDくんもそこでレジュメ配ろうかなと言い、つ

          【10】ゴールドコーストで仕事ゲット!

          【9】初めてのシェアハウス暮らしと仕事探し

          渡豪後の初日は、日本人の友達が数人できてゴールドコーストのいいところを教えてもらい楽しくほろ酔いで終了。翌日は、早速偶然出会った男の子にお願いしていたシェアハウスのインスペクション(内見)へ! インスペクションしたところは、大きなバックパッカーホステルのある通りにある御宅で、ハウスオーナーは26歳の男の子でした。男部屋と女部屋が一つずつあり、あとハウスオーナーの個人部屋があって、各部屋には2人ずつ入れるようになっていました。 相部屋になる子の雰囲気もすごく良かったし、初め

          【9】初めてのシェアハウス暮らしと仕事探し

          【8】遂に海を越える!

          リゾートバイト終了後は、兄のところに3日ほど泊めてもらい、パッキングしたり携帯の解約をしました。携帯の解約は飛行機に乗る前日に行いました。ちなみに私はマネパカードというものをゲットしてそこにオーストラリアドルに換えた10万円を入れていきました。レートは常にチェックして当時一番いいタイミングで換えました。日本円のマネパカードに入れておき、自分のタイミングで変換することができるので便利、かつ現金を持たなくてよかったのと、デビットカードとしてそのまま使えるので到着後銀行カードをゲッ

          【8】遂に海を越える!

          【07】有名観光地でリゾートバイト

          お久しぶりの更新になってしまいました。(約11ヶ月ぶり) 今現在ワーキングホリデー3年目に突入しておりますが、今書いているのは2019年の7月ごろのお話です。ワーキングホリデーに至るまでの部分って、これからワーホリをしたいと考えている方には興味深いものかと思うので詳しく書いていきたいと思います。 2019年7月1日朝5時、私は初めて長野県に入り軽井沢の地に足をつけました。 リゾートバイトのエージェントの多大なるミスで、最初のインダクションを受けるために2店舗間を行き来させら

          【07】有名観光地でリゾートバイト

          【06】次のステップへ

          行き先はゴールドコースト!日程は3ヶ月後の10月!とにかくセール中にチケットを買わなくては、という気持ちで他のことは後回しにチケットを購入しました。 その後浮上してきたのが「貯金問題」フリアコの仕事も他の仕事も、全く不満はなかったのですが、何せ「お金が足りない」休みなく働いても、その大半は無賃労働。英語環境で働くことはできるというのを条件に無賃。 10月までにお金いける?という不安が毎日毎日押し寄せました。そして私はこの短期間の目標を「貯金」にシフトし、リゾートバイトに赴

          【05】ワーキングホリデーへの決意

          英語を極める!と決めた時に真っ先に思いついたのは、外大に通っているときに周りの友人が休学してよく行っていたワーキングホリデーでした。 「留学」という考えは一切持ちませんでした。というのも、座学がこの世で一番大嫌いなことでした。私は座って人の話に集中できない人間というのを、自覚していたのです。何事も実践から入るタイプでした。 ゲストハウスで英語を少し思い出してからワーキングホリデーに行こう。とぼんやり決めていたものの、なかなか段取りを取るまで踏み切れませんでした。ゲストハウ

          【05】ワーキングホリデーへの決意

          【04】初めての英語接客

          私が勤めていたフリーアコモデーションでは、朝勤務と夜勤務がありました。 朝勤務:清掃・メールチェック・電話対応・チェックアウトのゲスト対応 夜勤務:1階付属のバー接客、チェックイン対応 もちろんコロナ禍の前だったので、ゲストハウス内は主にヨーロッパから来たゲストで賑わっていました。日本にいるのに、外国にいるような気分(この時一度も日本から出たことなかったけど) “Hey do you have any recommend for dinner around here?

          【04】初めての英語接客

          【03】フリーアコモデーションという選択

          フリーアコモデーションとは、ゲストハウスで清掃・受付業務などの労働と引き換えに宿泊代を無料にして頂けるという制度です。 私は仕事を辞めると決めた日、「英語で生活できるようになる」ということを目標に掲げました。「英語を使った未経験でもできる仕事」という条件から「ゲストハウスで働いてみたい」と思いつき求人を探すものの、なかなかゲストハウスの求人というのはありませんでした。そんな中、いくつかのゲストハウスのサイトの中に「フリアコ募集」の文字を見つけ、初めてその労働スタイルを知りま

          【03】フリーアコモデーションという選択