YUTAKA NAKATA

プロのコンテンポラリーダンサーで、振付家。海外生活20年以上になってしまった関西人。詳…

YUTAKA NAKATA

プロのコンテンポラリーダンサーで、振付家。海外生活20年以上になってしまった関西人。詳細は、www.yutakanakata.comでどうぞ

マガジン

  • 日常

    小説とはいきませんが、日々の思いや感想を綴っていきたいと思います。

  • コンテンポラリーダンサーの旅

    コンテンポラリーダンサーの人生を振り返りながらまとめて行きたいと思います。海外生活や、ダンスの事情、日本を飛び出て20年以上をどう過ごしたのかをできるだけ書きたいと思ってます。

最近の記事

芸術とヌードとエロスとAIと

自宅のインターネットが死んだ。別に生きていないのはわかっているのに、あまりにも日常に溶け込んでいるように感じてしまい、誰もがこの表現をしてもおかしいとは思わないだろう。 これは丁度よかったかもしれない。俺が生まれた時はネットなんて電話だったし、コンピューターだってなかったのだから。 今となっては誰もが携帯を持ち、さらにはスマートフォーンを持っているのが当たり前だと思われている世界。そんな世界は30年前にはなかった。それでも人は生きていたし、不幸だとは誰も言わないだろう。

    • 傷がなければ完成しなかった物語

      今年、3年ぶりに日本に帰国していろんな場所に行く事もできた。地元に勿論帰るのが一番の目的だったのですが、それでも関西を中心に大阪や京都、神戸に広島、そして東京にも5日ほど滞在しまして、よき気分転換になりました。 そして気がついた事といえば、自分にはあまり都心が合っていないという事ぐらいでしょうか。東京で3日も滞在すれば頭痛がして、慣れていない空気感というか、人混みというか、目まぐるしい情報とでもいうのだろうか、とにかくダメでした。多分、パリでも同じなのですが、仕事などで行く

      • 省略は内容を疎かにしていたのですね

        朝起きてまず最初にすることは、Morning Pagesと言われるexcerciseです。以前にも書きましたが、芸術やアイデアを復活させるにはモノを書くのが一番だというのは、自分でも本当に思います。そして何気なく始めましたが、どうやら1年が経過したみたいです。自分でもよく続いているなと思います。 毎日目が覚めたら机に向かいます。ノートはすでにそこに用意されており、妥協は許されません。どんな状況であろうとそのページを埋めないと食事もできません。ツアーに行っていたとしても、例え

        • 違和感は常に感じていよう

          今朝、起きて携帯の時計を見たらもう10時近くになっていたのでビックリして起床。コーヒーを作り、少し落ち着いたところで今日は気になっていたExpoに出かけようと考えながら、毎週日曜日に恒例となっている、日本の家族に電話をしようとしてPCを起動させる。 いつもと変わりのない週末。これと言って気にすることもない。 毎朝書いているmorning Noteもほぼ1年目に足がかかりそうだ。そんなことを考えながら両親と会話をしていた。今週は自宅の壁を友人と直し、風水を見ながらどんな壁色

        芸術とヌードとエロスとAIと

        マガジン

        • 日常
          13本
        • コンテンポラリーダンサーの旅
          51本

        記事

          夢の中の歌は強力だ

          私は批判はしたくない、それは自分の想像の幅を狭めてしまうから。 こだわりがないわけじゃない、嫌なものは嫌だ。でもそれがいいものだとは限らない。自己満足でしかないかもしれない。 どうあがいても、抗えないものがある。それが生命を無視した異次元からの声 ダンサーになれたのは、運命がそう誘ってくれたから。昔からいつも誰にでもそう言ってきた。誰も信じてくれなかった。 芸術の世界で生きて入れるのは幸せなことだ。そう言われて納得できる自分でありたかった。 人間の世界ってそんなに素

          夢の中の歌は強力だ

          +4

          カメラの勉強を始めます

          カメラの勉強を始めます

          +3

          じゃない方かな・・・

          俺がドイツにいた頃、同じカンパニーに所属する友達がいた。カンパニーで働いていると、やはり同じ職場の人が大抵は知り合いとなり、友人と呼べる人も出てくるだろう。でも、ある一人の職場仲間は少し違っていた。なぜなら、仕事場以外でもある意味、趣味を共有していたからだ。 大抵の職場仲間とは仕事場で一緒に働き、その後に少し飲みに行ったりすることはあっても、外では中々会うことも少ないのではないだろうか。仕事は仕事、仕事仲間の家に行くことはそうそうない。まあ、年齢がまだ若い人の集まりのカンパ

          じゃない方かな・・・

          The Artist's Way

          最近読み終えたJulia Cameronさんの本、Artist's Way. どうしてこの本にたどり着き、読み出すことになったのかはよく覚えてないのだが、確か本は偶然に目に止まったといってもいいだろうか。なぜなら、最初に購入した本は、Juliaさんのその後の本だったからだ。そのタイトルは、It's never too late to beginです。 実はダンサーとしてはもう次のステップへ移ろうというタイミングなのは自分でもわかっています。まだまだできると他人に言われよう

          The Artist's Way

          +4

          ダンスの写真を撮るためだけにロッテルダムへ車を走らせた

          ダンスの写真を撮るためだけにロッテルダムへ車を走らせた

          +3

          「どうして」と子供に言われて

          舞台に立てば、もうそこは別世界。その場にいると言う事は作品の一部になるべきして歩かなければいけないし、立ち座りをしている。それが舞台の世界。 そんな大人の偏見はどうでもいい。子供は大人に一言いうのだ。 「どうしてあそこに座っているの?なんで寝転がってるの?まだ始まらないの?」 そうだ、これが俺の疑問だったのだ。子供はそれをいとも簡単に打ち壊す。しかし、これは子供だからじゃない。本当は誰もが分かっているのに、台本に舞台が始まる、ダンスが行われる、マッピングが始まる。なんで

          「どうして」と子供に言われて

          身体の矯正、始めています

          ここ2ヶ月間ほど、5月に舞台を4ヶ月ぶりに立てるとなったその2週間ほど前からできる範囲で身体のリハビリ的に運動をしてきました。舞台の結果は勿論、自分の中では残念賞でしかありませんでした 外での活動規制も、スタジオでの規制も、ジムの停止なども重なり、それはもうメンタルも「今は我慢」と違う方向で考えていたもので、それがいきなり舞台で100パーセントださなければいけないとなったときはどうしたものかと思いました しかし、Youtubeを見ていて、Yuki Nakagawaという人

          身体の矯正、始めています

          腐った根っこと胡蝶蘭

          いつの間にここまで来たのだろうか。思い返せば長い各停電車を経由してきたのに、今思えば短い一瞬の夢を新幹線で突っ走ってきたのかもと勘違いしてしまいそうになる 本当に生きているのはこの瞬間だけ、どれだけの経験をしてきたのもその瞬間に行った現在を歩んだから。僕の足跡にはもう雨も降り、水に流され、太陽に照らされ、砂となって吹かれてしまった後のようだ 現在、僕は無職に等しい。誰かに庇護されようとも貶されようとも最深部の決定権で今があるのであれば、それは僕の責任だ。仕事に左右される人

          腐った根っこと胡蝶蘭

          空に登る炭の灰とソーセージ

          もう6月なのに雨が続く北フランス。ひと昔ならこの曇り空も見慣れた光景だったのに、ここ数年は5月からすでに日照りが続いていたので、少しだけひんやりとした感触は新鮮に思えてしまう。日本の梅雨がここにまで届いているような気分になる まだまだ皆んな、今の状況には不安を持っているかも知れない。でも、どういう状況であったとしても人類がウイルスと戦ってきたのは今に限ったことじゃない。人は社会のルールにはある程度従わなければいけないが、生物としての感情はたまにそれを上回ってしまう。昨晩はそ

          空に登る炭の灰とソーセージ

          コーヒーはマキネッタで

          光を完全に遮断するカーテンを隅まで引き延ばし、明かりを受けないまま淀んだ朝に目を覚ます。昨日は思った以上に体を酷使していたのだろうか、疲れがまだ残っているようだった 朝食はいつもコーヒーを飲む。カフェインが目覚ましになるとは信じれない。夕食の後にコーヒーを飲んでも寝れる体質なのだ。ただ、コーヒー豆を挽くと鼻を通り過ぎていく香りと、手動でゴリゴリとコーヒーミルを回す行為自体が朝を呼び込んでくれるのが日課だから飲んでいるのかもしれない そしてイタリアのコーヒーメーカー、マキネ

          コーヒーはマキネッタで

          真実に隠れた言葉

          現実からは逃れられないと承知しています 空想の中に逃げても目を見開けば目の前にあるのはいつもと変わらぬ本棚 いかに幻想が頭の中で美しく描かれたとしても、深呼吸すれば胸の中に蓄えられるのは花の香りじゃなくて無臭な空気 どれだけ僕たちは考えるんだろう。どうすれば生きている実感が味わえるのかと 今までやってきたことがどれだけ素晴らしいことであったとしても、その報いの言葉が耳に入ってくるのも、未来で苦しんで頑張れている時だけ 死ぬまで一生苦しみ続ける。これだけが真実だと、タ

          真実に隠れた言葉

          見知らぬお客様

          彼女が帰ってこなくなったあの夜から数ヶ月が経過した。あれから僕は、強がっていない雰囲気を出しながらも、心のどこかで常に『もしかしたら』という感情を抑えていた。 初めはただ、彼女が健康で有意義に時間を過ごしながら幸せに暮らしてくれていたらいいとだけ思願っていた。その考えは今も変わってはいない。もしこの想いが帰ってきて欲しいと変化すると、自己満足になってしまい、本当に時間を共有したいと想うこととは嘘の現実になるだろう。 それでも僕自身は何をすればいいのか分かってはいないのだ。

          見知らぬお客様