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コーヒーはマキネッタで

光を完全に遮断するカーテンを隅まで引き延ばし、明かりを受けないまま淀んだ朝に目を覚ます。昨日は思った以上に体を酷使していたのだろうか、疲れがまだ残っているようだった

朝食はいつもコーヒーを飲む。カフェインが目覚ましになるとは信じれない。夕食の後にコーヒーを飲んでも寝れる体質なのだ。ただ、コーヒー豆を挽くと鼻を通り過ぎていく香りと、手動でゴリゴリとコーヒーミルを回す行為自体が朝を呼び込んでくれるのが日課だから飲んでいるのかもしれない

そしてイタリアのコーヒーメーカー、マキネッタに挽いたばかりのコーヒー粉を入れる。少しでも贅沢をしているような感覚にさせてくれるのは、インスタントでは味わえない工程をしているのだと信じたい

ここで気をつけなければいけないのは、決して粉を押さえつけてはいけないという所だ。コツは容器自体をコンコンと床で均して均等にし、弱火でじっくりとマキネッタを優しく熱してあげる。そうすればうまくコーヒーが上がってくるという豆知識をイタリアの友達に聞いた。毎朝のおいしいコーヒーはこうして作られる


もうどれぐらいこの日課を一人で行ってきただろう。目の前には観葉植物が朝日を浴びて背伸びをしてるだけ

もう何年も前に別れたイタリア人の妻、数年ほど付き合って自然と行き先が食い違ってしまったフランス人の彼女、住む国に一緒にいけなかったロシア人の彼女。こう書くと何かをしていたかのように感じられるがそうでもない

そう、もう過去を思い出そうとしても温もりすら残っていない現在なのだ。人間の関係とは不思議なものだ


一人で過ごすのは苦悩じゃない。人は一人で死ぬのだからとかそういう格好いい考えはない。一人っ子でなんでも自分でやりなさいと言われ続け、気がつけば日々を生き抜くことに不自由はなかった。よくもわるくも欲がないのかもしれない


誰かと一緒にいることは本当に幸せなんだと想う。嬉しいことを共有できる瞬間は素晴らしい思い出になり、後に語ることのできる幸せな時間なはずだ

苦しいことを体験できる、その瞬間を見てくれている、感じてくれている瞬間もかけがえのない出来事だ


それなのになぜ、僕は一人を選んでいるんだろう。未来に行く当てが見つからない、誰とも旅ができないからだろうか。そこに返ってくる答えはまだ僕の心には聴こえない

人間の関係性って本当に不思議だ。最初は誰かが気になって(好意を寄せ)できれば行動を共にできるように努力し、道成を固めて行こうとしていたはずだった

それなのに今はどうだろうか。気になるのは見た目なの?体なの?顔なの?環境なの?お金なの?なんなの?

貴方は何をどう見てるの?


恋愛は盲目にさせると謂れるが、もう恋愛の域をはるかに通り越して妄想で目の前が入り乱れて何も見えなくなっているのかもしれない

ここまでくると、人間の関係性は末期症状となり浮き彫りになる。夜中で一人寒い空気を吸いながら眠りに着こうとする哀愁と未来への不安で他人を求めるようになれば、誰かを必要とする意味が好意とは違った感情を生み出し、本心とは違った答えを本当の答えなんだと勘違いするのだろう


素直になるのは大きな勇気が必要になる。失敗をするかもしれないからやらないのであれば、嬉しみも悲しみもなく終わってしまう

でも、一人でまだいる理由はそこじゃない。どれだけ卑下されようとも自分の気持ちには素直なままでいるほうがいい。例え相手に素直になれない時があっても、自分に嘘をついていると、いつかは目前の他人との関係性なんて壊れる未来しかないのだから


今はこれでいい、そう信じるしか僕にはできない

今もこれからも一人でコーヒーを入れながら、いつかは君においしいと飲んでもらえるように続けるよ

人生は一度きりなんだから

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