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省略は内容を疎かにしていたのですね

朝起きてまず最初にすることは、Morning Pagesと言われるexcerciseです。以前にも書きましたが、芸術やアイデアを復活させるにはモノを書くのが一番だというのは、自分でも本当に思います。そして何気なく始めましたが、どうやら1年が経過したみたいです。自分でもよく続いているなと思います。

毎日目が覚めたら机に向かいます。ノートはすでにそこに用意されており、妥協は許されません。どんな状況であろうとそのページを埋めないと食事もできません。ツアーに行っていたとしても、例え夜に舞台があってその後に食事に誘われ寝るのが遅くなり、次の日の早朝に電車があったとしても、1時間前以上にアラームを鳴らして書いてきました。

内容はバラバラで、思いついたことや昨日に起こった内容、たまには小説みたいな書き方、ポエムが生まれそうな日もありました。そして文章の書き方、字の書き方、体調による変化を感じつつ書き続けてきて思ったことは様々ですが、その中でも自分の癖というものに気がつきました。それが省略しがちな文字、「事」です。

人にはそれぞれ癖があり、よくも悪くもキャラクターをつけますが、決して癖が正しいとは限らない。自分は特に話の内容がすっ飛んで自分で答えを出した次の質問をしている時があります。文章でも同じで、「何々の事」と書けばそれを指していると勝手に思いこんでいるのです。

どちらかというと文系というよりは理系な考えなので、足し引きをすでにしてしまっているのですが、計算は人をそれぞれだという人間性を忘れてしまっているのです。

10ヶ月ほど経過したこのMorning Pagesでこう言った内容を把握することで、自分の頭の中を整理しただけではなく、文章の内容を正しく伝えるという「事」の重要性が見えてきました。


今現在、ダンサーとしての仕事を減らしてきています。ただしこれは自分の選択肢であると言えます。勿論、ダンスや芸術からは逃れられないだろうし、他に足を踏み入れようとは思いません。どこかで繋がっていると信じています。

そしてここ最近では写真の勉強を始めました。昔から写真を撮るのは好きで、常にカメラが身の回りにあったのを感じています。ただし、それも趣味の浅瀬から出た事はありませんでした。感覚だけで撮り、カメラの機能や性能も浅はかな知能しかありませんでした。

しかし、今回思い立って講習を受けてみて感じたのは、面白い、興味がさらに増えたという感覚でした。未来は選択肢であり、その選択ができる可能性は幸せである。そう捉える事だけが道標ですが、どうにかして何かに役立てられたらいいなと思います。


いかに「事」を、そして省略しないで言葉を選ぶという努力が文章として力を持つのかを知れた毎朝の習慣、大切にしていきたいものです。

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