じゃない方かな・・・
俺がドイツにいた頃、同じカンパニーに所属する友達がいた。カンパニーで働いていると、やはり同じ職場の人が大抵は知り合いとなり、友人と呼べる人も出てくるだろう。でも、ある一人の職場仲間は少し違っていた。なぜなら、仕事場以外でもある意味、趣味を共有していたからだ。
大抵の職場仲間とは仕事場で一緒に働き、その後に少し飲みに行ったりすることはあっても、外では中々会うことも少ないのではないだろうか。仕事は仕事、仕事仲間の家に行くことはそうそうない。まあ、年齢がまだ若い人の集まりのカンパニーだったこともあり、遊びに行くということも少々はあったが、それでも友達とは言えなかった。
友達、友人などと呼べる人の定義は俺もその頃は分別してはいなかった。仕事で知り合った人、どこかで知り合ったことがあり一度でも一緒に時間を過ごせばそれでも友達と言ってしまっていたのかも知れない。でもある時、一人の知り合いに言われたのは、仕事で知り合った人でも友達とは言えるかどうかはわからないと言ったことだった。
皮肉にもそれを言ってきた奴とは、友達というよりは知り合いに値していた。どこをどう定義すればいいのかではないが、今でも友達でありたいと思っている人とは、離れた今でも連絡ができる状態にはある。これは素晴らしいことではないだろうか。
さて、何故にこの友達と言うワードが出てきたのかというと、最近よく聞く不倫というワードについて少し気がかりだったということだ。
不倫を誰がどう処理しようなんて、社会が作ったルールを応用した人々の関係性という定義を、無難に処理しようとしていることだろう。まあ、そんなことはどうでもいい。結果的に、俺は不倫をされた方だから。
別に不倫を肯定も否定もしない。フランスでは不倫なんて言葉はない。と、思えるぐらい恋人はいつになっても現れる。そして、子供を持った独身の親、男も女も普通にいる。なぜにそれが悪い?と言わんばかりの量だ。そして、その子持ちの男女は、それぞれに恋人を作っている。周りはそんな人であふれている。
不倫は結婚しているから悪いのか。付き合っているから悪いのか。近い他人が、近い友人に恋をするのもよく見かける。俺の場合、特に仕事で外出することが多いので、どちらかというと嫁の方が俺がどこにいるのかと連絡をすることが多かった。嫁が言うには、俺のことは信じているが、周りの女が信じられないと言っていた。一体、何を本当に見ていたんだろうか。
それでも時はきた。全てがうまく行くはずのない関係は、悪い方向を向き出せばもう一つの選択肢を探そうと必死になり、今までの道なんてなかったかのように少しづつ少しづつ逸れいる道へと足を運ぶこととなる。あの時も、俺が遠出をすれば、嫁はその友人と言っていた彼と一緒に過ごしている時間が増えていた。後から聞いたら、周りの人は皆、彼らの関係をすでにわかっていた。
友人に裏切られたとは思わない。嫁に裏切られたとも思わない。交際していた二人の『近い他人』が道を逸れていくのはよくあることだ。それは、どういう経緯で結婚に至ったかなんて関係なく逸れていく。
俺は同じ方向に向けなかった嫁を恨むことはしたくなかった。どう考えても俺たち二人の関係は良くなかったからだ。だからまずは別れた。彼女にはもうその友人と言っていた彼のことが好きだったのは目に見えていた。でも、これは不倫なんだろうか。
俺は彼女が彼と何をしたかなんて興味がない。別に何かをやっていたから罪が大きいだとか、そんなアホくさいことは意味のないことじゃないだろうか。俺は常に考えていた、何が一番美しい結果だろうかと。
相手をその当時は恨んでいたのかもしれない。しかし、この恨みというのは俺に対しても向けていた感情だ。どうしてうまくいかなかったのか、そしてどうして協力できなかったのか。これは、結婚してからもよく考えたことだった。合わない人とは結局合わない。どれだけ頑張ろうと無理なものは無理だと悟れるまでは時間がかかる。
それから2年後に、正式に離婚が決定。最後に彼女はこう言った。
「今でも貴方は自分にとって特別な人だから、決別はしたくない」と
俺は真逆の答えをその時だした。「またどこかで会うことがあれば、まったく連絡をしない方が絶対にいい」と。
さらに4-5年が経過し、偶然にとある場所で会うこととなった。この現在のネットワークの世界において、知り合いで知らない人というのは珍しく、そして本当の意味での出会いがある。彼女とは少ししか話をしていないが、それでも上手くやっているようだ。風の噂では、あの彼と子供ができたらしい。これこそ美しき世界ではないか。
不倫を肯定はしない。それは傷つく人がかならずいるからだ。それでも否定もしない。それは幸せにいる人も必ずいるからだ。だから甘えたことを言うんじゃ無い。結果はその人たちの関係性だけなんだから。
だから、友人や友達という理論上の関係性も面白いモノだ。
ここにもう一つの話がある。それが秘密についてだ。
冒頭に書いた趣味を共有している友達、女の友達がいる。彼女も当時結婚しており、苦楽を共にしてきた旦那がいた。周りからはお似合いのカップルだと言われ、何も不自由していなかったと思う。それで知っているだろうか、知り合いの中での会話や噂と、友達や友人と呼ばれる人たちの中での会話はどう違うのか。
実は彼女は、満足なんてしていなかったのかもしれない。もしかしたら何かが違ったのかも知れない。そこに愛がどうだとか、ルールがどうだとかいうレベルの話ではなかったのだろう、感情だ。本能だ。そして彼女は、他の誰かを好きになった。
勿論悩むことは多い。結婚が悪いだとか、旦那が悪いだとかそういうはっきりした問題じゃない。ただ、何かが違うだけなんだ。
そしてそれは秘密となり、女友達は俺に悩みを打ち明けてきた。仕事場だけでなく、外で気軽に会えるのも俺が多くなっていたということもある。だから、時間をかけてだが友達の中でもたくさんのことを話し合える仲にはなっていた。そう、多分友達だったんだろう、お互いにとって。そして俺は彼女の秘密を知った。これも不倫の助けになっていたのだろうか、わからない。
友達とは、秘密を守る人であってほしい。これは俺の願望なんだろうか。例え知り合いの彼女の旦那に嫌われようと、恨まれようと、これは関係無いことだった。そして当時の俺の彼女、後から嫁になる人にも言うことはなかった。友達の秘密なんだから。
その後、女友達の彼女は旦那と別れた。だからと言ってその新しい彼とはうまくいかなかったようだ。でも、彼女も元の旦那も今では全く違う道を進んでいる。いいことだ。元の旦那は再婚し、子供も生まれている。彼女は世界中を今でも渡り歩き、あらゆる場所で活動している。不倫もただの選択肢と言えなくも無いじゃ無いか
この現実、もう一つの面白いところは、この友達とは未だに友達であるという所。そして、秘密が公になった時、俺の彼女は俺が秘密を守ったことに衝撃を受けていた。そう、俺が彼女に秘密を言わなかったからだ。
どうだろう、貴方はどうしますか?未来で不倫をされる嫁に過去の自分は秘密を打ち明けた方がよかったですか?彼女は一緒にいるんだからと秘密を隠すなというが、未来の貴方はどう思いますか?
友人、貴重な人材ですよね。性別が違っても友達でいる人は必ず友達でいます。それならその秘密は大きな鍵となっているはずです。社会での構成により、人の価値を選ぶより、もしかしたらその秘密がもっと強い力を持っているかもしれません。
もう一度思う。美しい最後を俺は見たい。
例えそれが自分にはいい結果を残さないとしても、今を恨んでも未来の今の現実は美しくあるように創造しないと何も生まれない。あの時守った秘密が、今でも書類にサインをしていない強固な繋がりを作ってくれた。それが本当に大切な絆だろう
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