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違和感は常に感じていよう

今朝、起きて携帯の時計を見たらもう10時近くになっていたのでビックリして起床。コーヒーを作り、少し落ち着いたところで今日は気になっていたExpoに出かけようと考えながら、毎週日曜日に恒例となっている、日本の家族に電話をしようとしてPCを起動させる。

いつもと変わりのない週末。これと言って気にすることもない。

毎朝書いているmorning Noteもほぼ1年目に足がかかりそうだ。そんなことを考えながら両親と会話をしていた。今週は自宅の壁を友人と直し、風水を見ながらどんな壁色にしたのだとか、そんな他愛のない話だ。

それから会話も終わり、これから車で15分ほど走らせたところのExpoに出かけようかと思いながら、ふとネットに繋がれていない時計を見たところで違和感を覚える。

確か、PCで時間を見たときは「もう15時じゃないか」と。そしてご飯も食べていないのにと時間の速さを覚えていたはず。

でも、その時計はまだ14時過ぎを指していたのだ。

俺は一瞬、目を疑った。そして気づいたのだ。

「そうか、自動的に変化することになれて気がつかなかったが、夏時間になったのか」と


そう、ヨーロッパはまだ夏時間によって1時間の変更がある。10月と3月にその変化があるのだ。

昔は人が、今日から時間が変わるから気をつけようとかよく言われたものだが、携帯やPCでは自動で変化するので、もう気にする必要もなくなった。すこし残念な気もするが、これが現実だ。

つまり今朝は9時前に目が覚めていた。これが実は現実だった。社会が決めた取り組みにより、違和感を覚えたがこの感覚は人間が自然の中にまだいる証拠になっていて欲しい。


行動を起こすということに必要性を感じ始めた今日この頃。リハビリ程度に2時間ほど自転車でサイクリングを頑張った土曜日。残り5キロほどから最後まで見ず知らずの白髪の男性とタンデムをしていた状態になった。そこまで遅く走っていたつもりはないが、その白髪の男性はママチャリに近い自転車で俺と同じ速さで追いつき追い越し追い越されでタンデムをした。

コンディションを考えたら負けたと自分に感じていたかもしれないが、自分も、もうそんなガキでもないし競争していたわけじゃない。負けるのは嫌いだが、一緒に走れたことでなんか途中から親近感を覚えてしまった。


深夜に家に帰ってきた時がある。その夜は本当に暗く、車を走らせ家の近くで停車してから少し歩いたのだが、その途中でこんな暗い夜よりさらに暗いクロネコが道路を渡って直接俺の足元にきた。体を低くして挨拶してみると脚に寄り添い、体を擦りつけてくる。少しなでであげるとミャーと返してくる。

多分、誰かの飼い猫なのだろう。毛はふわふわでいいものを食べていそうだ。少し困ったのは俺がそれから歩いて帰ろうとすると普通についてくることだった。一歩一歩確かめながらだが、確実についてくる。家の扉までついてきて、そこから入ろうかどうか迷ってもいたぐらいだ。と、その時来た道の反対方向から誰かが近づいてきたのだろう。そのクロネコは来た道を戻りながら帰っていった。


3月にすでに満開になり4月を待たずに散っていく家の桜。マスクをしなくなって話しやすくなった周りの人たち。街で気になったExpoのポスターを見て、久しぶりに行ったミュージアム。行動には何かがくっついてくる。たとえそれが破壊であったとしても、再生をさせた時の素晴らしさだったり、埃まみれになりながらも掃除した倉庫のまとまりも、後になってからその結果に気がつくものだった。

春は来てくれた。時差は変更になった。すごい老人と出会えた。コンテンポラリーアートを見た。クロネコに声をかけられた。

これからも奇跡は続くだろう。たとえそれが10億円の宝くじの当たりじゃなくても、その奇跡は感じ取ってあげればいいものになる。感受性を高めていけば、いつか想像していたものが、創造に変わるだろう。

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