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カップヌードルの麺も、どん兵衛の麺も台湾がルーツなんですよ。即席ラーメン記念日に思い出したことです。

こんにちは、エースコックのワンタンメンが好きなDJムッチーです。
66年前の今日8月25日に日清のチキンラーメンが発売されました。
だから今日は「即席ラーメン記念日」なのだそうです。
僕が物心ついたころには、既にチキンラーメンはあったし、主流の即席めんは、いわゆる袋麺でした。
でも、日清のチキンラーメンが世に出た時は、一大センセーションを巻き起こしたようで、追随する食品メーカーは発売から5年ほどで360社にまで膨らんだそうです。爆発的に増加する人々のお腹をみたしたのでしょうね。
その後、粗製乱造の類は消え去って現在に至っているようです。

僕が、即席麺でショックを受けたのは、やはりカップヌードルの登場です。
スチロールの容器に入ってて、フォークで食べるスタイルがCMに乗って広がったので、最初ラーメンだとは思わなかったですね。
たしか銀座の歩行者天国を、歩きながらカップヌードルを食べてるCMだったと思います。
1971年の発売当初は、品薄でやっと買って食べたら、ちょっと味の濃いいチキンラーメンで、具にエビとか卵とかお肉が入っててびっくりしました。
武田鉄矢さんが九州博多から上京したのはカップヌードルが発売されて間もない頃で、「東京ではヌード写真もカップに入って売ってるのか」と感激して、買って家でフタを開けたら、乾燥したネギやエビが出てきてがっかりしたというエピソードが今も忘れられません。

歩きながら食べてお行儀悪いと批判されたCM

カップヌードルの麺は台湾がルーツ

チキンラーメンやカップヌードルの発明者は、朝の連続テレビ小説「まんぷく」の主人公のモデル安藤百福さん。安藤さんは台湾のご出身で、台湾の台南で食されている「意麺(イーメン)」を参考にチキンラーメンやカップヌードルを作られたようで、台南の方々もそうおっしゃる方が多いそうです。
意麺自体は台湾ではどこでも食べられる、小麦粉と卵から作った細平打ちのちぢれ麺の総称です。台南の意麺は料理する前に麺自体を揚げておきます低めの温度でさくさくな感じに揚げるので、麺もかた焼きそばのように茶色ではなく白っぽい感じです。これにスープをかけていただくのですが、触感はチキンラーメンやカップヌードルによく似ています。
ご興味があれば、台南の「小社意麺」さんで味わえますので是非。

小社意麵 小1杯 45元(約400円)

どん兵衛のうどんも台湾がルーツ

カップうどんのどん兵衛を食べた時、「これがうどんなの?」と思ったのは僕だけでしょうか。いまでこそ、改良されてモチモチ麺になっていますが、発売当初は、細いきし麺のような縮れた麺でしたよね。
これも台湾にルールがあったのです。仕事で台湾に行くことが増えた頃、現地の広告代理店のマネージャーに屋台でお昼をご馳走になりました。
その時、食べたのが「牛肉麺(ニューローメン)」。この麺が、初期のどん兵衛の麺と酷似した、白い麺だったのです。
屋台のおじさんに麺の事を聞くと思った通り、牛肉麺の麺には、細麺、中太麺、三角面、平麺があって、日本のうどんと同じ小麦粉を使った白い麺が使われているとのことでした。
安藤さんはどん兵衛開発にも、台湾の食材を研究対象にされていたのです。
台湾は日本だった時代が長くありましたから、日本のうどんが伝播したのだとしたら、どん兵衛は逆輸入ですね。
(台湾は、戦時中日本の植民地ではなかったので、お間違いないように)

平打ちの牛肉麺 台湾国内どこでも食べられます

食のインスピレーションは、食文化の交流でさらに拡大します。安藤さんが日本で活躍されたのも頷けます。
最近は、独占禁止法に抵触するとして警告を受けている日清食品のカップ麺ですが、カップ麺はしばしば安売りの対象商品となることを嫌っての営業指導だと思うので、少し可哀想かなとも思います。
安藤さんがご存命ならここを切り抜ける新しいアイデアを出されたのではないでしょうか?・・これからの日清食品の努力に期待してあげましょう!

チキンラーメンやカップヌードルの変遷については、僕の以前の記事をご参照ください。(内容がこの記事と少し重なります。)

それでは、今日はこの辺で失礼します。
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じゃあまたこの次
DJムッチーでした。

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