#人生
2022年10月5日 / 遠回りの人生
この年になると、いろんなことを焦る。映画でもよくテーマとされる、中年の危機というやつの一種だろう。もっとうまくやれたのに(すべきだったのに)、時間を無駄にしてしまった、遠回りをしてしまった、もう取り返しがつかない、といった焦燥感に責めさいなまれるのである。
こんなとき、寺田寅彦の文章を思い出す。これは以前も書いたが(たとえば以前書いたエントリ)、何度でも再掲したい:
我ながら、「頭の悪い人」で
2022年8月18日 / 長く続けるということ
またブログ移転の記事かよーと思われるかもしれませんが、ご容赦ください。もうそろそろブログを完全に移行しようと思っているので、この手の記事を書くことはあとちょっとでしょう。多分。
それでしつこくブログ移転の話なんですが、その作業をしているときに驚いたのは、結構な割合でリンク切れになっているということなんですね。ブログをやめた人は本当に多いし、面白かった各種サービスはほとんど終わっている。死屍累々。
2020年12月7日 / 有馬朗人先生死去
有馬朗人先生が亡くなった。
有馬先生の Wikipedia のページ:
上記 NHK のニュースでも触れられているが、有馬先生の以下の言葉が印象に残っている:
「物理学者としてノーベル賞を受賞してこそ認められるが、研究以外のいろいろなことをやり学問を究められなかった」
この言葉は、私の記憶では、日経朝刊内コラム「私の苦笑い」が初出ではなかったような気がする? 多分、いろいろなところで話され
2020年6月1日 / 花火
花火のニュースを見て、井上靖の詩を思い出した:
若いころはどうにかして黄色の菊の大輪(たいりん)を夜空に打揚げんものと、寝食を忘れたものです。漆黒の闇の中に一瞬ぱあっと明るく開いて消える黄菊の幻影を、いくど夢に見て床の上に跳び起きたことでしょう。しかし、結局、花火で黄いろい色は出せませんでしたよ。
―― 老花火師は火薬で荒れた手を膝の上において、痣(あざ)のある顔をうつむけて、こう言葉少く語った
2020年5月29日 / 報われないことに一生を賭ける
以下の記事に感動した:
「ほとんどのがんの基礎研究者は、新薬を一生で一つも作れない」と記事にあるが、実際にそうなのだろう。漫画「フラジャイル」の67話にも、「新薬は一生にひとつ作れば天才と言われる世界」とあった。
それでも、研究者は、新薬を一生で一つも作れないだろうと分かっていても、こつこつと研究を続けていく。それを聞くと、私は震えるほどに感動するし、本当に頭が下がるような思いがする。私自身も
2016年11月16日
フィルタリングよけに,メールを送るごとにドメインを変えてくる日本のクソ某企業はほんと滅びろと思うよ,鬱陶しい.分かる人は分かると思うけど,「ホームページ」作成と,海外出張手配の営業.この二社が特にひどい.彼らに対しては絶対に仕事を依頼しない.
今日は,Windows 10 の設定ではまった.Windows 10 だと得てして自分のフォルダとかIDに日本語が入るので,私の過去の設定をそのまま使うと