2022年10月5日 / 遠回りの人生

この年になると、いろんなことを焦る。映画でもよくテーマとされる、中年の危機というやつの一種だろう。もっとうまくやれたのに(すべきだったのに)、時間を無駄にしてしまった、遠回りをしてしまった、もう取り返しがつかない、といった焦燥感に責めさいなまれるのである。

こんなとき、寺田寅彦の文章を思い出す。これは以前も書いたが(たとえば以前書いたエントリ)、何度でも再掲したい:

いわゆる頭のいい人は、言わば足の早い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを見落とす恐れがある。頭の悪い人足ののろい人がずっとあとからおくれて来てわけもなくそのだいじな宝物を拾って行く場合がある。
 頭のいい人は、言わば富士のすそ野まで来て、そこから頂上をながめただけで、それで富士の全体をのみ込んで東京へ引き返すという心配がある。富士はやはり登ってみなければわからない。
 頭のいい人は見通しがきくだけに、あらゆる道筋の前途の難関が見渡される。少なくも自分でそういう気がする。そのためにややもすると前進する勇気を阻喪しやすい。頭の悪い人は前途に霧がかかっているためにかえって楽観的である。そうして難関に出会っても存外どうにかしてそれを切り抜けて行く。どうにも抜けられない難関というのはきわめてまれだからである。

寺田寅彦「科学者とあたま」

我ながら、「頭の悪い人」であった。だからこそ「頭のいいひと」には見えない風景は見えるかもしれないけど。

とは言ってもなあ、正直言うとやっぱり「頭のいい人」になりたかったよね(苦笑)。世の中、こちらが絶望するくらいに頭のいい人はいるからね。

まあそんなことを言っても仕方がない。まだ時間はある。ベストを尽くして頑張って生きていくしかない。頑張ろう。


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