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太平洋戦争。直視できない加害者としての歴史。

長野県飯田市に昨年5月、戦争や平和について学ぶ施設として、平和記念館が開設されました。

日章旗や特攻隊員の手紙など、市民から寄せられた太平洋戦争にまつわる資料約120点が展示されています。


旧日本軍の「731部隊」の元隊員らの証言を含むパネル8枚も掲げられる予定でしたが、そのパネル展示が1年以上も延期されています。


展示を見送った理由について、飯田市教育委員会は、
「731部隊は研究途上で、社会的にも様々な意見が存在しており、慎重に検討する必要があると判断した。遺族の同意が得られていない証言もある。」と説明しています。

市民団体や教員からの「過激な内容にならないよう配慮してほしい。」といった意見を踏まえたということでした。


しかし、証言が展示されるはずだった731部隊の元少年隊員は、
「自分たちがやった事実を後世に伝えなければ『平和祈念』なんてとても言えない」と訴えています。

その証言は、1945年7月、部隊の本部棟2階の標本室で、瓶の中でホルマリン漬けにされた人体を目にした、というものです。
おなかの大きな女性は胎児が見えるように腹を切られていました。


市教委は今年2月以降、展示内容を検討する委員会を開いてきました。
3月の会合で、2002年の裁判で認定された部隊の説明を引用する形で、パネルを展示することにしました。
元隊員の証言については今も議論が続いています。

朝日新聞が2015年に国立や都道府県立の施設に対して実施したアンケート調査によると、満州事変(1931年)以降の戦争資料を展示する85施設のうち、旧日本軍の加害行為を常設展示しているのは約3割(26施設)でした。



しかし、日本が、加害の歴史を隠蔽して、記録からも記憶からも消してしまっても、加害を受けた国、日本に侵略された国は決して忘れることはないでしょう。

加害の歴史にしっかり向き合うことで、侵略した国の人々ともつきあうことができるのです。そしてより良いものがうまれる。

加害の歴史についても資料を保管し展示をすることで、また同じことを繰り返すという過ちを犯さなくてすむのです。


9/1、今日は関東大震災のあった日です。
地震の後、差別により朝鮮の方が殺されるターゲットになり、たくさん日本で殺されました。
その出来事も日本政府は明言を避けるようになり、隠そうとしています。


加害の歴史とも正面から向き合いましょう。


 

参考資料
朝日新聞(2023年8月16日) 残響78年目の「戦争』



執筆者、ゆこりん、ハイサイ・オ・ジサン


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