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リップマン著「世論」⑥ 民主主義の虚構?

民主主義について

個人的な利害関心で動いている多数の人々が、どうやって何らかの共通意志を民主主義理論で展開するのでしょうか?

「人民の意志」とか「国民の決意」とか「世論」として知られるものがどうやってこのように移ろいやすい一時的な心象から結晶として取り出されるのでしょうか?


身近なコミュニティーで生活しているわれわれが、より大きな環境のことに関心を持たなくてはならなくなったとき、未知の広大な世界についてわれわれは権威ある人々を通じて関わりをもつことになります。
われわれが最初に出会うのは、両親、教師、物事に熟達した友人たちです。
生まれつき素人のわれわれが真理を探究するためには、さらに多くの権威ある「専門家」に頼るようになります。


そしてこのような権威者たちは、やがてマシーンあるいは「政党機構」とよばれる階層制の組織を作り政治に巨大な影響力を振るうようになります。
マシーンの構成員は一般大衆が知ることができないようなより大きな環境の重大な部分と実際に接触していて、彼らが決定し、彼らが命令を下し、彼らが取引することによって決定的なことが現実に起こるのです。


立法機関や行政機関で問題処理を経験した人なら誰しもこの世界がどれほど少数の人間によって支配されているかを認めざるをえません。
そこには権力の中枢にもっとも近い集団があり、同心円状をなしてそれを囲む諸集団は関心をなくしたか、あるいは、もともと関心のない一般大衆の中へとしだいに消えていきます。
マシーンがあるのは人間性が邪悪だからではありません。
どんな集団であれその一人一人がどれだけ私的見解をもっていようとも、そこからひとりでに一つの共通観念があらわれるわけはないからです。


一般大衆は自分たちに提示された問題に対して、「イエス」か「ノー」を言うのが精一杯です。
それですら、多くの情報がわれわれのところに届くとき、そのニュースについてわれわれがどのような感じをもつべきかについてわれわれは微妙な暗示を必要とします。
大衆が読むのはニュース本体ではなく、いかなる行動方針をとるべきかを暗示する気配に包まれたニュースです。
大衆が耳にする報道は事実そのままの客観性を備えたものではなく、すでにある一定の行動型に合わせてステレオタイプ化された報道です。




象徴の役割

成功した指導者にとって自分の支持者たちを統合するさまざまな象徴は実用上きわめて重要です。
象徴は一体感を保ちます。
象徴はそれ自体がきわめて有用であり、神秘的な力をもっていることが多いので、象徴という言葉までが魔力を発するほどです。
象徴の中で、感情は共通の標的に向かって放たれ、現実の諸観念がもっているそれぞれの違いは拭い去られます。
指導者は、象徴がその役割を果たしたときのみ自分がハンドルを握って群衆を動かせることを経験から知っています。

象徴というものは、個々別々の観念から情動を吸い上げる力をもっているので、団結の機能を果たすものでもあれば、搾取の機能をもつものでもあります。
象徴は人々を共通目的に向かって働かせることができます。
象徴は個人の意図をあいまいにし、区別をなくし、個別の目的を不明瞭にします。
それは個人を動けないように固定し、しかし同時に集団を活性化しその意図をひじょうに尖鋭化します。
そしてその集団を、目的をもった行動に向かって堅く結びつけます。
最も象徴が役に立つのは、戦時中など危機下にあるときです。
そしてその時最も有効な象徴は民族意識です。



どんな組織の指導者たちも地位を固めてしまえば非常に有利になります。
彼らには一般より優れた情報源があると信じられています。
一方で彼らは事実へのアクセスに対してひじょうに大きな統制力をもっていてある程度検閲官です。
一般大衆に何を知ってほしいのかをコントロールすることもできます。
こうして無名の大衆が受け取るのは「宣伝」ということになります。


執筆者、ゆこりん

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