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大工に導かれた読書の「旅」は、各駅停車が醍醐味である。

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ポルトガルの海 フェルナンド・ペソア
インド夜想曲  アントニオ・タブッキ

「あなたに話があるの」僕が言おうとしたことをそのまま言われたんだ。司書は久しぶりに訪れた僕に珍しく微笑んだ。「あなたにこの2冊を授けたのは誰?」僕はそれには答えずにこう言った。「その2冊はどう読み解くべきだい?」ってね。彼女は、僕にその2冊を静かに重ねて囁いた。「真実に意味があるなら、偶然も必然よね」僕には彼女の真意の底は見えなかったが言いたい事はわかった。「なるほど、僕には、大工がいるよ」僕は、重ね合わせた本を受け取った。

「それには、ピアソラとウイスキーが必要だ」

と大工は答えた。

僕はピアソラが、なんたるかも知らないし、ウイスキーが翌日に残る体質だということも知っている。それを差し引いても、言う通りにするのが、この本の「旅」なのだろう。

詩集を読み解く事が出来れば、読書が楽になるかも知れない。

これは、私が最近読書をしていて強く感じる所だ。

タブッキが研究していたペソアの詩集を読む。ペソアの言葉は、私にも分かりやすく認識しやすかった。その認識がまだ浅いのかは別問題だ。

読み解くという感覚を感じるようにするには、まだまだ時間がかかりそうだが、詩における自分との間合いの世界を知る感覚になる。

私の経験上に置き換えるならそれは、剣道における間合いの攻防と似ている。お互いに向かい合い、打突出来る間合いでの駆け引きに精神力が削られ、一秒に満たない瞬間をその時間の体感を越えるような感覚だ。

一秒が十秒にも感じるそれだ。

それは、お互いの実力が折り重なって生まれるものだが、その舞台まで自分を引き上げられるのかが重要だと思う。

ボクシングで言うなれば、井上尚弥とドネアの間合いと同じようにね。

要するに一言で纏めるとこうなる。

「迂闊に飛び込むなよ。カウンターくらうぞ」

知った気になって飛び込むと一瞬で台無しになる。

詩を語るとは私にはまだ早い。

この出会いを機会にちゃんと勉強しようと思いながら、 ウイスキーを含み、タブッキのインド夜想曲を捲る。

「旅」に目的を覚えた事はあっただろうか。

「旅」そのものの目的は、変化しやすく当初考えているよりもその「旅」の過程や結果で思考まで変化していたりする。

人は旅して価値観に変化を求めたりする。その理由はどこにあるのかわからないが、この小説は旅している気になる。それは読者に想像を与え、何が起きているのかわからない体感をさせ、納得出来るものの答えも読み手に委ねるからだ。

思いを巡らせる読書も実にいい。「旅」だ。これは、酔っているからかも知れないし、そうじゃなくてもいいと思う。そこに答えを求めるのは、旅の醍醐味とは違う。

私がうっとりと、ここ好きだ堪らないと思った表現がこれ。

「僕の好みにしては、タクシーはスピードの出しすぎで、運転手は凶暴にクラクソンを鳴らした。」

「僕の質問もたしかにばかげていたが、彼の質問のほうがましだともいえなかった。」

須賀敦子が訳すこの文章のどこが好きなのか未だにわからないが、完全に連れていかれた。

「旅」をしている私の好奇心の行方はどこに進むのかはわからない。

図書館で借りたこの本に美術館の入場券が私による発見を待っていたかのように挟んであった。そう在りたく思ってしまう。

わざとだろうなぁ。そうであれ。

意図していれたのか、忘れていただけなのかまるでわからないが、受け取る私がどう「旅」をするかの問題だと苦笑いした。当日券の文字が「旅」に駆り立てる。

初めて聞くピアソラにウイスキーは合いすぎて、
明日の頭痛は止みそうもなく、 もう一度詩集を開きそうだ。

これは、大工のせいだろう。

読み進めていかないと。「旅」は終わらないらしい。海外文学。脱け出せそうもないし、脱け出そうともしていないのを知っている。明日の頭痛に怯えながら美味しいと感じてしまうウイスキーを飲んでしまう。完全に「旅」だ。ほんのり甘い香りが漂うウイスキーは、好みが別れそうだが私にはピッタリだった。


そもそも、私はこの大工にどこに連れていかれてるのか全くわからない。この大工から何冊の本を読むことになり、どれだけ質問したかもわからない。一回り以上も年下なのに学んでばかりだ。

この旅の行き先は不明だが、この大工は、私の読書人生に必要な「駅」であったことは間違いない。降りた駅は今までと全く違う空気を連れてきた。

そして、この列車に特急は存在せず。各駅でのみ楽しめるらしい。

どうぞご一緒に。


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