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僕と大工と偶然と必然

「あら。須賀敦子はどうだった?」
珍しく司書の方から話し掛けられた。
「そう。それについては、まだ落ち着かないんだ。でもまとめるよ」
僕はそう答えていたが、僕の話を聞くまでもなく司書はこう言った。
「あなたが次に読む本。彼は何て言っているの?」
僕は、答えた。
「彼を知っているの?」
司書はそれに答えずこう言った。
「偶然と必然を知る意味はあなたにとっての必然になり得るかもね」
僕は、本を受け取りながら答えた。
「彼は大工なんだ」
司書は、珍しく僕の問いかけに作業を止めて答えた。
「その大工さんは、きっと腕がいいわ」
僕は、答えた。
「当然さ。その方がハッピーだ」

📚供述によるとペレイラは
アントニオ・タブッキ
📚不安の書
フェルナンド・ペソア

大工が私に求めるものを、自分に落とし込めるには、相当の時間がかかる。

彼は私にタブッキとペソアの併読を私に薦めた。
願わくば音楽を聴きながらのウイスキー添えで。

須賀敦子が翻訳したタブッキは、とても夜に合った。そして1人自然の中で読むのも良かった。

山にて


物語は、肉体の生と死の観念から、現実に生をなして、暮らしているなかでの精神の生と死について問い掛けてくる。

人が生きていく上で味わう精神の「破壊と再生」を順に丁寧に伝えてくる。いくつになっても、疑う事を恐れるなと。もし、自分の価値観が根底から間違っていたと気付いた時に、それを認めて再び動けるのか。

人は年齢を重ねると自分の考えに固執しがちになる。物語は、世代が違う若い人達の思想からもたらされる。

「もしかしたら、彼らが正しいのではないか」

思っていても、感じていても納得するには、どうしたって「過去の自分を否定」することに繋がる。

偶然か必然か現在の自分に重なる。

自分の歳月は、読書に於ける自分のスタイルを持たずそこに理由を求めず、指針もなく漠然と読んでいた。そこへ読み解き方、出会い方、文章への移し方。それぞれを教えてくれるような方や、本に触れて自分を見つめ直した。

今までの自分の時間を否定するのは、それなりに苦痛を伴った。納得した答えは正解か不正解かわからないが、

「遠回りして辿り着くのが自分だ」

ここに行き着いた。都合のいい解釈だが自分を再生するには、「その時間も無駄じゃない」と肯定を含む否定をすることにした。

先日、生まれて初めて「読書」を通じて人に会った。本の話を人にする事など、今まで一度もなかった。

夢の中と書いて夢中と読むように、その時間に夢中になった。

私が紡ぐ言葉をどう受け取っていただけたかは不明だが、ただ、自分に正直にあろうと決めて会いに行った。

初対面だが、本当に心の内を話した。

自分はようやく読書に向き合える気になっていること。
それに伴う知識が全くないこと。
思想、想いが感じられる文学に触れて感動したこと。
作家同士の葉脈がそれぞれの作品に反映されているのを知ったときの興奮。
読むべき方向性と描くべきこれからの自分の姿のこと。
私にとっての読書は、自分に落とし込むためのもの。

そして、なにより、自分の表現を見つけたいこと。

こんな事を話すのは、読書を通じて人とやり取りしていなければあり得ない事だ。

そして、自分のいたらなさ、変なプライドを捨ててもう一度再生しようという気になったからだ。

その人は、優しく聴いてくれて自分の経験を私に丁寧に教えてくれた。なにより、

「残っている作家の倍以上消えている作家もいる」

この言葉を聞けてよかった。こういう事を言ってくれる人に出会えてよかった。歴史は、どう紡がれるかわからないが、何でも誰でも挑んでいいものだ。と認識した。

私の遠回りは、人生についての遠回りではない。

こんな出会いは近道だ。

この本の主人公ペレイラと自分を重ねずには、いられなかった。

その日の最後に、彼女はこう聞いた。

「最後に何か聞きたい事はある?」

私は、グラスに残っているビールをゆっくり飲み干してこう答えた。

「連絡先を教えてください。また会いたい」

なんのはなしですか

木ノ子のナンパはこうして成功したと供述している。

熱くなりつつ私は大工の指示に従う。ごちゃ混ぜになりながらペソアを開く。

併読なのだ。

ペソアの散文をずっと読んでいた。
心の内を文章化する能力、それをさらに思想化させる表現。突き詰めるとはどういう事か。

とにかく常に書き残せと訴えてきた。


僕は、2冊を返却しに来た。
「その表情は、何を意味してるのかしら」
司書は、珍しく僕の目を見て囁いた。
「意味。僕にとっての意味はタブッキとペソアがそれぞれ感じていたように、文字に思想を残したいんだ」
司書は、少し間を置いた。
「それが、あなたに大工さんから、もたらされたものなのかしら」
僕は、少し深呼吸した。
「僕は彼にもたらされたのかもしれないが、それにより僕の思想は未だ不完全だが、より確かなものになりつつあるよ。僕は明らかに前より偶然に必然を感じているからね」
司書は笑いながら答えた。
「いい邂逅になったみたいね。そしてあなたにしては、珍しく次の予約が入ってないわ」
僕も笑いながら答えた。
「いいんだ。次は三島にいくから」
僕は、少し疲れた事を言わず、珍しく自分の本棚の夏子の冒険を手にした。

この2冊は、面白かった。私は翻訳者の凄さを知れたし、何より海外文学の良さも知れた。感想を書くというのは、その作品についての私見を述べる事になる。記録としてここに残すのなら当然ありなのだろうが、私は最近どうやらそういう方向には向かっていないみたいだ。ここ数年、一番読書が面白い。知れば知るほど、読めば読むほど表現の素晴らしさにぶつかる。自分の言葉を自分で綴るのが面白いしもっと調べたい。まとめるなら。

自分の思想の自分の表現を見つけたい。
どれも途中。あと10年。勉強したい。

とりあえず、君のはなしが聞きたい。






自分に何が書けるか、何を求めているか、探している途中ですが、サポートいただいたお気持ちは、忘れずに活かしたいと思っています。